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1人で生きていけないようにする方法

「そんなんじゃ、この先、生きていけないよ!」

時折、子どもの頃にそんな言葉をかけられていたことを思い出す。

今はどうだろう?と考える。
私は1人で生きているかというと、できてない気がする。

そう思っちゃうのは、マインドの部分が拗れている背景が見えてきたからだ。

【今回は私が感じた情緒を意図的に表に出した文章です。読み手の立場によっては、不快になるかもしれません。ご注意下さい。】

《1人で生きていけない人間から私は生まれた》

「あなたを食べさせていかないとならないから、私は頑張ってるの!!」

日課のように、そんな言葉のシャワーを浴びていた。

いつの間にか、
私は嫌いな食べ物を、吐きながら食べていた。

それでも、
「食べなさい!せっかく作ったんだから!食べ物は大切にしないとダメ」
怒りの表情+言葉をたたみかけることで、嫌がる私に何が何でも食べさせようとしていた。

私は、口に入れた吐き気を感じさせる物体を、2時間ずっと飲み込めずモヤモヤと共に噛み続けていることが日常だった。


・・・
逃れられない血を分け与えた存在は、口を開くごとに、私を産んだことに対する責任を語り、その責任の大変さを、私に聞かせ続けた。

その人は、その人の抱えている辛さと責任を、私に共感してもらいたかったのだろうが、

そもそも知ったことではない、
というのが私の今の見解だ。

私は、この世に落ちてくることを、私自身が望んだことは一度もないから。

・・・
その当時に、そんなことを知りたかった。
切に思う。
今も私の心を蝕み続けているから。
・・・

自分は、
大人になって劣等感を抱えていて、それを克服しようとして、子どもを産む選択をするマインドが大嫌いだ。

だって、

幼少期の私に、
「私はあなたを産んでから、私ではあなたを育てられると思えないとわかった。」

そんな言葉を私に言うの?

私はあなたの"排泄物"かよ。


そんなことも黙ってられないなら、最初から親にならないでほしいと言いたい。

親が育ってきた過程、逃れられなかった子ども時代の劣等感とそれを生み出した経験を、子どもに輪廻させることが最悪なのだ。

そもそも、言葉で伝えることができない《子どもの情緒》に寄り添うのが大人の役割。

子どもが大人の情緒に寄り添う社会なんて、
破綻してる。キモ過ぎる。

・・・

強烈な親の劣等感を受けて育った自分は、
無意識に身体の劣等性を培ったと感じている。

喘息・食物アレルギー・ペルテスなどの後天な身体的劣等性を持ち合わせることとなった。

そして、身体的劣等性を、無意識に認識させる言葉をかけられていた。

「ホント、あなたは身体が弱いんだから😊」

ことあるごとに、親から私の劣等性を指摘され続けることで、私の中に強烈な劣等感を植え付けられた。

その疾患は、弱くて劣等性を持つ証明となった。
私の存在は、生みの親である劣等感を持つあなたよりも、最弱の存在として。

シングルで、1人息子で、
あなたと私しかいない狭い世界を構築した上で、逃れられないヒエラルキーとフィジカル・マインド共に、あなたは絶対的強者となった。

・・・
私は、私自身が望んではいないのに、
あなたの劣等感を慰めるために、
あなたの無意識の願望を全て実現させてあげたのだ。
・・・

劣等感を抱えた親は、無意識に子どもの劣等性を育てる。

なぜならば、親より弱い存在であるからこそ、親としてより強者になる。

「私がいないと、この子は駄目になる!」

そう思える条件が強化される。

そのことが、
その子どもの1人で生きていける力を奪うだろう。

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