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会に属せない私

今回のnoteは 人材育成 に関してです。

もくじ
1. 組織の強みと限界
2. 対人関係論と所属(ライフスタイル)
3. 理学療法士である私

1. 組織の強みと限界

私には居場所があり、これは本当にありがたい事だとつくづく感じています。生まれ育った地域・実家・学校、そして現在の家族・職場・団体、そしてこれから先の所属(ライフスタイル)を思う時、感慨深いものがあります。全てにおいて感謝の気持ちが湧いてきます。

非常につらい体験もありました。ライセンスにも人生にもピリオドを打たなければならないか。そう考えていた頃が懐かしく、今となっては全て現在のライフスタイルに必要なこと。こうやって自覚できることも、自身少しは成長したのかと感じます。

組織っていうと、なんか大げさなイメージを持つ人がいるかもしれませんが、小さい規模で考えれば、「家族」が人生で初めて経験する一つの集合体としての組織です。家族で「幸せ」と感じる人もいれば、「不幸」と感じる人もいるかもしれません。家族という集合体の組織で違和感を感じる人は、自分が親元を離れて居心地の良い「新たな組織」を自然と求めます。この話は良いとか悪いとかの話ではなくて、人が人として安心して暮らせるように自ら自然に選択する過程の一つと捉えています。

では、社会における仕事としての組織ではどうでしょうか? 基本的に全く同じことが言えると思います。家族は本当にありがたいですよね。家族あっての自分です。実家の父ちゃん・母ちゃんを毎日ありがたく思うのと同時に切なく心配に思います。これから先の話では、家族と会社を絡めて話します。

家族(会社組織)はありがたい。何が?と問われれば、それは間違いなく「自分を無条件で守ってくれる」からです。家族(会社組織)は自分自身の事を認めてくれます。保証してくれます。風邪をひいたら保険証があるおかげで支払いが安く済みます。家族(会社組織)に属しているからこそ特権があります。うちの母ちゃんの手料理がもの凄くうまい!とか。父ちゃんの会社のおかげで保養所に旅行に行けた!とか。その家族(会社組織)独特の味があります。自身の事については、良い事をしたら褒めてくれ、間違ったことをしたら修正するように教えてくれます。家族(会社組織)の絆は非常に固いものです。家族(会社組織)のルールがあるからこそ自身は安心できるのではないでしょうか? 家族(会社組織)からの恩恵を受けていることをすっかり忘れ、中学・高校くらいでは嫌気がさすことあります。いちいち干渉するな! 俺は俺で生きてやる!と。

こんな風に不満や不自由さを感じるとき、人は限界と判断します。または、自身の成長を自ら願い、さらなる飛躍を目指して独立するでしょう。家族(会社組織)とは、そう考え、自らを成長させてくれる場所であると考えられます。


2. 対人関係論と所属(ライフスタイル)

岩井俊憲 マンガでやさしくわかるアドラー心理学 JMAM 2014

によれば、アドラーの理論で、対人関係論についてこう示されています。「あらゆる行動には相手役がいる」としており、「相手役とは、その人の行動によって自分が影響を受け、特定の感情を抱き、何らかの応答をする人」と解説しています。また、「相手役は必ずしも他者とは限らず、自分自身である時もあり、アドラー心理学では、この相手役を抜きにして人間間の行動は語れない」と示しています。

つまり、家族や会社組織という相手役が必ず存在(自分自身も含めて)しており、存在しているからこそ今の自分があるという事でしょうね。だから家族(会社組織)のルールは必要だと感じます。学生時代、俺は俺で生きてやる!と突っ張ったところで、周囲からの助けなしには生きていけませんでした。日本国民なら消費増税や社会保障費の変動などに対しては将来の不安を煽るかもしれません。また、もっと言ってしまえば地球上に暮らしている我々は「人類」というくくりでの組織です。人類を滅亡させないように、環境汚染問題に関心が沸き、ごみ拾いをすることなどは、面倒な事かもしれませんが、でもその事が自身への補償となるわけですし、その先に続く子孫への補償に繋がっていくのだということは、皆がしっかりと認識しているはずです。

さて、家族(会社組織)という居場所、強みと限界、ルール、等について考えてみました。人はいつも所属を求めて行動します。動物でも群れを成して行動するのは何故でしょう? 私達は一人では生きていけないし子孫も残せない。自ら滅び、絶滅してしまうという事を過去の壮大な歴史の中から学んでいます。

ある家族(会社組織)に所属していても、得体のしれない孤独感に突然苛まれることもあります。だからもっと安心できる組織に所属したい。今を充実させたい。そう考えることは極めて自然な事なのです。

私達が健康で文化的な最低限度の生活を営むためには、ある組織に「所属」して自身のライフスタイルを決定していく必要があると考えられます。既存の組織に所属するもよし。新しい組織に所属するのもよし。そういうライフスタイルは自分自身で決められるから幸せです。


3. 理学療法士である私

核心に迫ります。理学療法士という道を選択した自分。なのに会に属せない自分がいます。会というのは色んな会が想定できます。科会・課内会・委員会・準備委員会・理事会・監事会・飲み会・歓送迎会・病棟会。会と名の付くものに積極的に参加していますか? なぜ参加しないのですか? 理学療法士というライフスタイルを選択した自分です。所属あっての自分であることは前述したとおりです。必要があるからその会が存在するのです。その会はあなたを必要としているから存在しているのに、なぜ断るのですか? 理学療法士は患者さんという相手役があってこそ成り立つ職業。更に関係各位という相手役があるからこそ成り立つ職業です。理学療法士一人きりでは絶対に仕事が出来ません。私たちの仕事の大元である理学療法士の会。いわゆる理学療法士会という会に属せない自分。辛くないですか? 理学療法という治療法を行いたいのであれば、やはり家族(会社組織)としてのルールが必要です。喧嘩になったとき、一人では勝てないことは、過去の戦や戦争という歴史から既に分かっているはずです。

会に属さない理由を探すより、会に属せない自分自身に勇気を与えて、会に属して得られるメリットを自ら探していきませんか? 

集団の持つ力は最強且つ無敵です。強い家族(会社組織)に守られているからこそ、自分自身が輝けるものです。もっと輝きませんか? 患者さんのために!自分自身のために! 

会に属さない?属せない? 理由は多々あるかもしれません。しかし、自ら孤立する必要はない事を既に分かっているのです。頑なに会に属さないことを主張する事は、アドラー心理学でいうところの、優越/劣等コンプレックスのいずれかを駆使していると考えられます。自身の劣等感と向き合わないといけません。

自分のやりたい事をきちんと主張することは、家族(会社組織)に対して提言するのと同じこと。愚痴や不平不満ばかりを話していても何も変わりません。変わらないどころか事態はさらに悪化するだけです。そうすると、会に属さない自分は、この会を責め立てます。だから入らなくて良かった!と。これは自分の家族・親兄弟を馬鹿にしているのと同じことのように思います。本当は、会に属したいのに属せないのは、今さら入会するのは恥ずかしい・属した後の色んな繋がりが不安、などの気持ちを抱いているのかもしれません。本当は会に属したいはずなのに。ホントは少しだけ勇気が足りないのです。

せっかく選んだこの世界です。理学療法士というこの仕事。みんな好きだからやってるんです。理学療法士というくくりで家族です。私たちは理学療法士という団体に所属し、理学療法士で生きていこうとライフスタイルを決めました。自分で決めたんです。だからこの会に属して、ルールに則って、共同体という感覚を持ち、助け合って仕事をしていきたいと思うのです。少しの勇気が見るもの感じるものをがらりと変えてくれます。

会に属せない私 が一人でも減ってくれることを信じて・・・

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