日本は世界3位のGDPなのに,なぜ日本だけ,こんなにも経済と政治がダメなのか。理由は一つだけ。
日本はOECD(経済協力開発機構)加盟国の中で子供の幸福度が下から2番目で,大人から子供まで幸福度が低い国である。
幸福度は社会指標(social index)の代表で,なぜ幸福度が低いかは他の社会指標と合わせて考える必要がある。
例えば10代の場合,自身に価値があると答える割合が日本だけ10%を切る。
親の権威に関わる指標というのがあり,日本は親に権威は認めないという事がハッキリしている。
大学生から取った統計だと「親が愛し合ってる」と答える大学生は,恋人がいる割合が多くて性体験の数が少ない。
反対に「親が愛し合っていない」と答える大学生は,恋人はいなくて性体験の数だけ多い。
家族もダメ,自尊心もダメ,この状態で幸福である事は出来ない,という事になる。
つまり日本は家族が空洞化し,自尊心,自己評価の値が非常に低く,男女間において口では「カネより愛が大切」と言っておきながら,本当はカネで結びついている。
日本でバカみたいに騒いでいる少子化問題で言えば,日本の少子化の原因の99%は未婚化である。
日本人はキレイゴトを言って本当の事を正直に言わず,本当は愛よりもカネを見ている。
日本人女性は結婚したいと思っているが男を年収で足切りにする。
だから自分,峯岸が,ずっと言い続けてきたとおり,日本が本気で少子化を解決したいのであれば婚外子(非嫡出子)を認める以外にないのだ。
産んでくれれば結婚しなくていいよという事だ。
結婚と出産を切り離す政策である。
婚姻と出生率が結びついている今の状況では人口増加の可能性は完全にゼロなのだ。
コレは論理的にも現実的にも統計が出てるため誰も否定できない。
政府が言う「社会保険料を上げて増税すれば少子化対策になる」を,国民がバカだから本気で信じている。
ココまで日本国民の知能が絶望的に低いため,悪いのは政府だけではないのだ。
だから本当に人口を増やしたいのであれば法律で非嫡出子に大幅な権利を与え,欧米のように事実婚に寛容な政策を打ち出すしかない。
もっと言えば一夫多妻(または一妻多夫)を合法化する事だ。
ただ一夫多妻だとイケメンで財力がある男に人気が集中するため,弱肉強食社会となり結婚できない男が溢れ出てくる。
そして男が絶倫でないとキツい (笑)
どのみち今のままでは日本は人口が増加しない事が確定しているため,人口を増やしたいのであれば導入すればいいのだ。
因みに自分,峯岸は,日本は人口増しなくてもいい,すなわち少子化対策は不要だと考えている。
その理由は後述する。
日本は経済指標の低さが問題になっている。
2015年に韓国に平均賃金を抜かれ,2018年に1人あたりGDP(国内総生産)を抜かれ,欧米の最低賃金は15ドル(1950円)ぐらい,日本の最低賃金は地方だと7〜800円なので半分以下となる。
では,なぜ日本はGDPが世界3位なのに,こんなにも経済と政治がダメなのか。
答えは
既得権益を動かせず,産業構造改革が出来ないから。
以上!である。
コレ以外にないのだ。
日本は官民で誰もが沈みかけた船の中で座席争いをしている。
つまり所属集団内でのポジション取りである。
所属集団に,へばり付いている。
なぜ政治がダメなのかという問題とも同じで,正社員という制度を廃止しなくてはいけない。
正社員は労働組合を組織しており,彼らが「正社員の雇用を守れ!」と,既得権益に,へばり付く。
そうなれば絶対に産業構造改革は出来ない。
正社員という雇用形態を廃止すれば,市場が流動的になり産業改革が出来るため,生産性の低い企業は淘汰されて高い企業が残る。
そうすればアメリカのGAMAや中国のBATHのようなユニコーン企業が出現する土壌が形成される。
日本は解雇規制が岩盤規制(役所や各業界団体が改革に反対して撤廃できない規制)である。
企業が従業員を自由に解雇できない。
官僚と国会議員を代表とする既得権益にズブズブの者たちが変化を嫌うのは,自身の能力の低さが露呈して甘い汁が吸えなくなるからだ。
コレも日本人の自信の無さと密接に関係しているのだが,2020年にMNSI峯岸国家戦略研究所が取った統計があり,自尊心が低い人は公的関心が無い。
つまり自身に価値がないと思ってる者は自己防衛に汲々として余裕が無いため,政治的関心が持てない。
その証拠に日本の投票率の圧倒的低さが,この事を如実に表している。
そして日本人は自身の仕事や趣味や生活や余暇の時間など,全ての土台に政治がある事を理解できていない。
絵を描いてアート・アーティストとして活動したり,舞台やメディアで役者を演じ芸能人として活動したり,茶道や華道の習い事,ジムやヨガや語学や料理の教室に通ったり,音楽を作って個人やユニットやバンドでアーティスト活動したり,様々なイベントでDJしたり,こうした活動の全ての土台に政治がある。
コレを学問で例えると,社会科学(social science)というのは経済学,政治学,社会学,そしてpsychology(サイコロジー)を「心理学」と訳したのが大きな間違いで,サイコロジーは心の問題ではなく,世界の枠組に関する人間集団の態度の在り方の研究である。
自分,峯岸の先生である碩学,小室直樹(2010年9月逝去)は「理科系も含むコレら学問の一番下にmethodology(メソドロジー)がある」と言っていた。
小室直樹先生は自身を「メソドロジスト」と言っていた。
このmethodologyが日本では「方法論」「方法学」と訳され,バカ学者たちが訳の分からない事を言うから日本人が誰も理解できないのだ。
そうではなく,methodologyは理科系の数学や物理学も含む諸学問の一番下にある「学問土台学」と訳す。
だから政治という土台がシッカリしなければ,貴方の仕事や生活だけでなく,プライベートの余暇での習い事や学びたい事に大きく影響するのだ。
democracy(代議制民主政治体制。デモクラシーはism=主義ではないため「民主主義」は誤訳)は,民度に依存する。
速度も決定内容の質も民度に依存する。
知的レベルや感情レベルが低ければ民主的な決定は速度と正確性に欠く。
この事はイギリスのBrexitやアメリカのトランプ当選で我々は経験的に知っているが,ソレ以前に日本人は自国を見る事で分かる。
なぜ日本は既得権益に,へばり付く政党しかないのか。
ソレは日本国民の知的レベル,感情レベルが低いからだ。
自分,峯岸は,かつてdocomoの研究所の人と話した時,日本でiPhoneがリリースされた時に,彼らが「要素技術は全て日本が持っている」と言っていた。
自分は「パソコンなんだから当たり前だろ」とツッコミたい衝動を抑えながら「docomoの技術者で,こんなレベルかぁ」と,憂いに沈んだ。
「携帯電話にパソコンを実装するアイデアを考えてねえじゃん」という事である。
技術というのは単なる要素技術のレベルではなく,その環境にアクセスする時のインターフェースの在り方や,環境の,どのレベルにアクセスしているのかという,もっと人間学的なレベルでの技術革新である。
人間的想像力を欠いた人間たちが日本のエンジニアリングの技術革新を担っているのだ。
つまり絶望的。
democracy(民主政治)によって政治を方向づける役割りは国民にあるのだが,日本は,その国民が政治のハンドルを適切に切っていない。
この事を自分は講演などでバスを例えて解説してきたのだが,政治(統治権力)はバスの運転手で,この運転手と契約してバスに乗っているのが国民である。
契約どおり運転手が運転していれば良いのだが,道を間違えたり運転が乱暴だったりしたら国民が指摘し,それでも改善しなかったら運転手を引き摺り降ろして交代させる,コレがdemocracyの理念である。
だが日本は国民に,政治を見る力,為政者の能力を判断する力が全く無い。
だから愚劣な政治が放置されてしまう。
日本国民は任せて文句を言うだけで,自身らで引き受けて考え「私たちに相応しい国民の代表(国会議員)は,この者だ」と,判定する事が出来ない。
だからインターネットで,しかも匿名で愚痴って文句を言うだけしかしない。
なぜ世界基準(World Values=世界普遍価値)の当たり前の政治行動が,世界で日本(日本人)だけ出来ないのか。
まず義務教育の課程において政治的議題で討論,議論をしないからである。
G20諸国だけで見ても日本だけだ。
例えばアメリカ人は年始に,その年の目標を皆の前で発表し,自身の政治理念もハッキリ表明する。
そうしないと「コイツは何も考えてない適当な奴だな」と相手に判定されてしまう。
しかし,もっと深層な問題がある。
小室直樹の東大大学院時代の指導教授で,東大の名誉教授も務めた丸山眞男(まるやま まさお)という政治学者が,1950年代に「作為の契機の不在」と言った。
この作為の契機の不在とは,自身でヤッている事を自覚できない劣等性の事である。
丸山眞男は「日本人は社会を自然と同じように捉えている」と言った。
自然はソコに有るモノで,変えられないため適応するしかない。
社会もソコに有るモノで適応するしかない,社会学で言うadaptation(アダプテーション)優位で,自身の価値,構えを貫く為に社会をコントロールする力(価値,構え)が無いという事だ。
丸山眞男が指摘した,この日本人の考えは欧米近代(modern=モダン)と比較すると非常に特殊(真逆)である。
それなのに日本人は自身らを欧米と同じ近代とか先進国と思い込み,同じアジアの中国や韓国を見下して腐しているところが知能の低さ全開なのだ。
コレが日本人の劣等性である。
日本人は社会も自然のように適応するしかないと考えているのに,なぜ出来ないのか。
ソレは自身らで社会を創った事がないからだ。
17世紀を見ると,よく分かるのだが,パリのセーヌ川やロンドンのテムズ川は糞尿を捨てるためドブ川だった。
欧州は全土でペストが蔓延し,政治に対する不満が噴出していた。
対して日本(江戸幕府)は政治が安定していた。
日本の上水道は大きな河川から引いてきた運河で,時代劇に出てくる井戸は沢山あったが,コレは井戸ではなく上水道からの汲み上げ装置だった。
当時は下水道は無く,農家の人たちが桶を持ちカネを払って人々の汚穢(糞尿)を買い,コレを肥料にし,ある種のリサイクルになっていた。
江戸時代は疾病や流行病(パンデミック)は無かったため,病死者は殆どいなかった。
地方へ目を移すと,300近くの藩があり,どの藩にも刀狩りをさせ,武力に使わせる資金をインフラに回させた。
灌漑(河川から水を引き,農作物を育てる為に田畑へ人工的に給水,排水する仕組み)や橋を作ったり,とりわけ灌漑の技術が高かったため,皇居周辺の都心は,この時に埋め立てられた。
各藩に対して持ち株会社のグループ企業のように独立採算を求め,自立的経済圏を創らせ,人工学的な流動性を下げる,つまり横の移動はいいが引っ越しは出来ないとした。
こうする事で地域にコミュニティが出来,助け合いで生きるようになった。
明治維新政府が江戸時代の身分制を否定し,福沢諭吉が門閥制度を毛嫌いしたが,実は明治維新政府が自身らの政治的統治の正当性を人々へ知らしめる為の粉飾で,実際には江戸時代の統治体制を引き継いだ。
引き継いだ上で廃藩置県や明治5年以降の学生改革で,ある種の調整を図った。
だが実は,この学校制度の改革より天皇制の樹立が目的だった。
天皇制を樹立する為に「お父さま」という概念を作らなくてはいけなく,それまで武家を除いて一般の農家や商家は家父長制的ではなかった。
そこで,偉いのは,お父さまで,子供や女は,お父さまの所有物という概念を組み込む為に戸籍制度を作った。
この統治方法が上手くいったため,公(パブリック)というと御上(おかみ)を指す事になってしまった。
だが市民革命でプラットフォームを取り換えた世界各国が,公というのは市民革命で自身らで創り出した,以前と違う新しいプラットフォームだから,自身らで創り出した以上プラットフォームの維持管理は自分事であるという発想がある。
こうした特殊な観念で支えられたのが民主制,あるいはソレを軸にする近代国家だったという事である。
だから欧米諸国は国民が自身らで革命を起こして公を創り出したが,日本は国家が公を創ったため,丸山眞男が「日本人は社会を自然と同じように捉えている」と言ったのだ。
日本人の頭の悪さの典型はスペックに拘る事である。
スティーブ・ジョブズで言えば開発当初,他国のスマートフォンに較べてスペックが無いから何とかしないといけないという事に対し,そのスペックは全て落とそうと決断した。
spaceXとTeslaのイーロン・マスクも似ていて,その部品を,どうするかという時に,彼は「その部品いるのか?」と言う。
そうやってスペックをドンドン落としていくのだ。
スペックの話しをいているのではなく,人間とモノの間のインターフェースの話しで,ソコに,どういうアイデアが出てくるのかというところである。
彼らのようなリーダーシップを発揮する者が上に立てる条件は何かと考えると分かる事で,日本の場合は学問の世界でも,そうなのだが,学会で認められている研究領域意外の事は絶対にヤラない。
なぜなら予想不可能だから。
認められている研究をヤルと,どの程度,論文を書いて,どういう学会活動をすると何処まで出世できるか予想できる。
だが技術革新は挑戦しても実りがあるかどうかが分からないため,ひたすら挑戦である。
日本人は異常に失敗する事を恐れるためココで引っ込む。
日本の30歳前後の若いスタートアップ経営者たちも,そうだ。
コレでは世界基準の技術革新など出来る訳がない。
「そういう環境から世界基準のリーダーシップを発揮する者が出てくると思いますか?」という事だ。
岸田文雄が新しい資本主義を提言しているが,新しい資本主義と大きく風呂敷を広げてる,この中身は「再配分しましょう」と言っているだけである。
「分配と成長の好循環」と,当たり前の事を言っているだけである。
コレの何処が新しいのだ?
日本の経済と政治が停滞し続ける理由は前述したとおり
既得権益を動かせず,産業構造改革が出来ないから。
以上!で終わりなのだ。
コレ以外には何もない。
日本国民はコレを寝る前に10回言ってから就寝してほしいぐらいだ (笑)
では産業改革をする為に何をすればいいのか。
ソレは前述したように労働市場の流動性を上げ,正社員という制度を廃止し,解雇を自由にさせる事である。
このように言うと「解雇された労働者は,どうするんだ?」と思うだろうが,世界の政策を見れば分かるように,2年ないし1年の雇用保障をして,その間に教育訓練の機会を提供する。
そうすれば産業構造改革が出来てエネルギー・シフトがドンドン進む。
このエネルギー・シフト問題が大変で,再生可能エネルギーの基本は太陽光と風力だが,この発電コストは化石燃料と原発の半々となっている。
再生可能エネルギーは技術的学習効果でコストは下がっていくが,化石燃料はハード・オイル化と言って,これから採掘コストは上がっていく。
原発は東日本大震災のショック・ドクトリンで脳をヤラれた「原発は危ない!」の知能の低いバカどもがギャ〜ギャ〜騒いでいるせいで,新設どころかメンテナンスにおいてもコストは上がっていく。
そうすると日本が置かれている状況は将来に亘ってエネルギーを使用する為に各国と較べて高い年貢を納める事になり,現になっている。
この状況を何とかするのが新しい資本主義ではなく「ダメな日本を何とかする」なのだ。
こういう問題意識が無い時点で岸田文雄の新しい資本主義は話しにならない。
もう一つ,これからの日本の難局はESG投資で, ESGとは環境(Environment),社会(Social),企業統治(Governance)を考慮した,経営・事業・投資活動の事だが,地球環境の保全に努力していないようなサプライチェーン(部品供給網)は全て切りますという,こういう宣言をAppleはじめGAMAから始まっているため,日本はアメリカの属国なので,この既定路線上に居る。
こういう企業にとってはブランディングの要になるため,そうすると化石燃料を使って何かを製造している国からは一切,中間製品は買いませんという感じになっていく可能性がある。
日本国民が理解できていないため,且つ日本の政治と経済がダメな最大な理由なため何度でも言うが,日本は政権の与党も野党も既得権益に縋る,世界で唯一無二の特殊な国である。
国会議員だけでなく官僚(地方公務員も含む)や経済団体(経団連)や労組や商工会議所など,官民一体で既得権益に群がりチュ〜チュ〜吸い付いている。
ココに,へばり付いて死んでも離れない。
こんな国家は世界にない。
既得権益がある限り,為政者どもはココに皆へばり付いて離れず醜い争いを始める。
日本は地方の田舎ほど残された僅かな既得権益を巡って群がり,一切の制度的な技術革新が出来ない。
しかし他方で,例えば自分,峯岸は昨年(2022年)11月に長崎の五島列島の北部にある小値賀島(おぢかじま)へ行ったのだが,この島のように既得権益が完全にない地になると,ソコに外国人ら旅芸人的なコミュニティ・デザイナーが入って行き,何をベースに外貨を稼ぐのかという事で,共同体自治を行う事で空洞化していた人間関係,共同性が戻る。
欧州では再生可能エネルギー問題はエネルギー・シフトだけの問題ではなく,元々は例えば1986年にイタリアから始まったスロー・フード(食を取り巻く制度を良くする為の社会運動)は,経済指標と社会事業を完全に結び付けるという試みで,この20年のエネルギー・シフト,エネルギーの共同体自治の動きも,そういうモノである。
分かりやすく言うと,売れるから有機野菜を使ってブランディングするとか,法律が規制するから有害なモノを使わないとかではなく,仲間の為に作ってるから良いモノを作り,そういう努力を知ってるから少し高くても買いますという,感情の働きと資本主義を結び付ける動きである。
エネルギー・シフトに関わる共同体自治も全部そういう事で,組織の代表者が「コレが一番イイ」と説得し,その何かを実装したとしてソレが上手くいかなかったら代表者のせいになるが,そうではなく新しいリーダーシップというのはファシリテーション(集団活動の中で段取りや進行や支援する事)の能力で,ソレによって同じ風力発電塔と風力タービンを建てるとしても,我々が考えて作ったから問題があればソレは我々の問題という,つまり他責化できない事で自身らで引き受けて様々な修正をしていく。
そうすると,その過程で,また共同体自治で皆が仲良くなっていき,仲良くするかどうか,なれるかどうかをコントロールするのがファシリテーターの役割りである。
コレが世界では標準で,日本には,こういう人が個人レベルで数える程しか居ない。
2021年12月にリリースされた『気候危機とグローバル・グリーン・ニューディール』という著作があるのだが,多数の統計が満載の著作で参考になり,まず気候変動懐疑論が統計で完全に反駁できる。
しかし統計で反駁できるのはソレだけでなく,例えば欧米が主導している炭素税を導入してもCO2の削減には効果が無く焼け石に水という事が証明される。
あと脱成長主義者,極端に言えば脱資本主義者,コレも統計で徹底的に論破される。
例えばリーマン・ショックの時に世界経済が揺らいだ。
このリーマン・ショックの3〜4倍,成長が落ちても,CO2の削減から見ると焼け石に水で,どうにもならない事が判明している。
EU(欧州連合)が「2050年までに1.5度という気温上昇のキャップに従いましょう」と約束し,その上で「GDPの1%を毎年,使う」と宣言したのだが,1%ではなく2%以上でなければ足りない。
この事も様々な統計が指し示している事なのだが,何が拒んでいるのかを『気候危機とグローバル・グリーン・ニューディール』の著者のノーム・チョムスキー(MIT名誉教授)の結論はdemocracy(民主政治)となる。
気候変動の事を,よく知っているくせに頰かむりする既得権益強者が一方に居て,他方で雇用不安に怯える既得権益弱者が居る。
この者たちがdemocracyを引き回す事になるため,どういう策があるのかとなり,一つは中国のような権威主義で権力者が決める。
もう一つはチョムスキーと,人類学者でLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)教授だったデヴィッド・グレーバー(2020年9月死去)の考えで,democracyのサイズを小さくするしかないという事。
そうしないと人間の完全情報化が出来ず,デマゴギー(虚偽情報)に踊らされる事になる。
欧州諸国は人口が200万人〜300万人,多くて1000万人で,このサイズの国家だと危機に陥った際,有事の際にリーダーシップを執れる者が素早く出てきて陣頭指揮を執れる。
だが日本のように1億人だと超中途半端となる。
政治学的に言うと,democracyの適切サイズは上限で3万とされている。
コレだと殆ど匿名権が生じず,面識権と匿名権と言って,それなりの顔見知りの枠の中で議論する時には,ある決定がなされた時に「私はソレでいいが,この人は,どうなるんだ,あの人は,どうなるんだ」と,それぞれの仲間について想像できて気にかかる。
この状態がないと適切な決定は絶対になされない。
だからグレーバーの批判によると,巨大な社会における代議制みたいな事をすれば,必ず損得で釣る為政者が現れ,この為政者の競争はカネをバラ撒ける者が勝つ。
そうするとdemocracyの価値観,適切な価値に基づいた政治をする事から遠ざかっていく。
カネと酒と女で懐柔する,まさに日本の政治そのものだ。
既得権益強者が権益で魚釣りみたいにして人を釣る事が出来る,ソレが今の人口を土台にしたdemocracyで,コレが出来るようにするにはサイズを小さくする。
しかしココで問題が生じるのは,中間集団,グループ同士が抗争になったら,どうするのか,コレは今ならない,なりようがない。
例えばエネルギーの共同体で考えてみると,太陽光パネルや風力タービンを建てるにしても,スマート・グリッド(電力網)やスマート・メーター(電力量計)といった電子部品と連結しないと,どうにもならない。
場合によっては原発と連携しなくてはならなかったり,同じようにスロー・フードのような食の共同体自治もそうで,自身らで自給自足するわけではないため,他の共同体と分け合っていくしかなく,連携する以外に共同体自治というのは有り得ない。
今は共同体自治によって軍閥集団の闘争みたいになる事はないため,そういう意味で技術水準を前提にすると,democracyのサイズを小さくした上で連携する事は幾らでも出来る。
コレが学問の最先端の発想である。
だが残念ながら日本でコレを社会実装する事は出来ない。
なぜなら権力者(為政者)どもが既得権益を死んでも放さないからだ。
唯一の可能性は自分,峯岸のような加速主義,つまり徹底的に既得権益が失くなる事で,国民が既得権益の上で胡座を掻いている為政者どもに従わなくなる事で,初めて新しい視界が眼前に広がる。
コレらの事を昨年(2022年)10月末に東京で講演した際に話したのだが,最後の質疑応答コーナーで「どうしたら日本で,そういう動きが出てきますか?」という質問を受けた。
もう日本は先進国ではない。
だが殆どの日本人は今でも日本が先進国だと履き違えている。
これから先,更にジリ貧になって衰退していく日本だが,国際的に日本ブランドの価値が失くなり傷つく状況を迎え,場合によってはESG投資的に心理的,物理的圧力,社会的制裁を受ける可能性もあり,しかも99%の日本人は日本が貧しいという事実(現実)を自覚していない。
インフラだけは世界最高水準で整備されているため生活しやすいと錯覚しているからだ。
過去の女を忘れられない女々しい男のように,いつまでも80年代の豊かな時代を引きずり続け,これから日本が復活すると本気で思い込んでいる。
だから今より更にドン底に貧しくならければいけないのだ。
文革時代の中国のように,1億人の死体が転がってるようなドン底に落ちなければいけないのだ。
500円の牛丼が高くて食べれないとか,200円の交通費が高くて電車に乗れないとか,他国の国民が出来る当たり前の事が出来なくなる状態,ココまで落ちる事が日本の社会変革には必要である。
そうしないと朝から晩までメディア(テレビ,新聞,雑誌,ラジオ)に嚙り付いて脳を深くヤラれている日本国民は自覚できない。
「なぜ日本だけ,こんなにダメなのか」という事を認識しなくてはいけない。
認識できないから「なぜダメなのか」という分析が出来ない。
認識して分析しないから,そのまま選挙の投票率として表れている。
そのくせ「給料が安い」などと不満を口にするからタチが悪い。
国家だけでなく国民も同じレベルで劣化している。
コロナ・パンデミックの対応で露呈したとおり,都道府県という自治体は無能力の象徴なため,もっと小さなユニットで経済対策や外貨の獲得に成功していくなど,ソレがインターネット上に情報として載って学習されていく事で,その成功事例をモデリングしていく者が出てくるという事は期待できるというか,既得権益でズブズブなメディアどもは絶対に報道しないためコレしか期待できない。
日本の左派(リベラル含む)のダメなところは,制度を変えれば良くなると思っているところである。
だが日本はコロナ敗戦国で,このコロナ敗戦の仕組みは先の大戦と同じで,勝ってる時は打って一丸,負け始めるとセクショナリズム(会社で言えば自身の部署の利益と効率を優先し,他部署に非協力),または沈みかけた船の中での座席争いでネジの規格ひとつ揃えられない。
あるいは餓死とマラリアで亡くなった者が9割以上というインパール作戦を見て分かるように,憲法(法律)が変わっている。
だからコレが日本的な特殊性で,欧米は幾つかの理由があって制度を変えると社会は良くなるのだが,日本は,この幾つかの理由が無いため,憲法や法律を変えても社会は良くならない。
じゃあ,どうすればいいのか。
国家が売国政策で国民を捨てているのだから,人(国民)の性能を変えるしかない。
国が変わるのを待つのではなく自身を変えるという事だ。
ただ人の性能を変えるのは容易ではないため,低い性能の者でも不利な条件,不利益が表に出ないような制度を作る。
日本には社会が無い。
コレは公衆,大衆が無いと言ってもいい。
日本人は前述したように自身の所属集団の事しか頭にないため,空間的にも時間的にも後は野となれ山となれとなる。
だが日本人は,かつて地域の中にある家族の中に居て,あるいは擬似共同体的な企業の中に居て,皆が同じ生活をしていると思ったので,匿名権だとしても袖擦り合うも多生の縁で完全に利己的になる事がなかった。
でも今は終身雇用企業も無い,地域は完全に空洞化,家族はバラバラ,この状態だと日本人の劣等性はモロに全開状態になる。
この解決策はマクロにはないため感情の働きを変える実践が必要で,自分,峯岸は,MNSI峯岸国家戦略研究所の中で実装しているのだが,コレは規模が小さいが確実性はある。
日本最大のオンライン・サロンであるHIU(堀江貴文イノベーション大学校)もそうで,そういう指導者たちが,かつての寺子屋方式で教育していくしかない。
その中で学んでいる者が,いちいち他人の顔色を窺って空気を読むのではなく,それぞれ異質な考えや価値観を持ち,自身の思想・理念を堂々と主張できるようになれば,今の日本とはガラっと変わる,激変だ。
洗脳教育機関である今の学校教育が,就職活動で同じスーツ,同じ髪型,同じメイク,同じセリフという,あの薄気味悪い没個性の無味無臭な人造人間を量産している。
こういう教育機関で育ってしまうと,皆が同じで皆と同じ事をしないといけない,輪を乱してはいけないと,脳に刷り込まれてしまう。
分かりやすく言えばココで完全に日本人特有の奴隷根性が植え付けられる。
コレが今の日本人の99%が該当する小利口である。
一流大学へ入学して一流企業へ就職する事が人間の最善の生き方だと考える。
何処を切っても同じ顔の金太郎飴のような,周りに合わせる者だらけで,そのくせ「多様性を認め合う社会」と政府に喧伝され,まんまとハマって騙されている愚かさだ。
「多様性を尊重しろ」と言いながら,その多様性に関わる耐性,免疫が落ちている。
共同体は皆が仲良しという事ではなく,凸(デコ)と凹(ボコ)が補う関係である。
一人の人間が経営も出来て英語も話せてプログラムも書けてと,何でも出来なきゃいけない社会は進化論的に異常である。
経営能力が無ければ能力のある有能な人を外から呼べばよく,英語が話せなければ話せる人を呼べばよく,プログラムが書けなければ書ける人を呼べばよく,コレが共同体のチーム力(集合的パフォーマンス)になる。
このように人間は生き残ってきた。
だが今は誰もがアレもコレも出来なきゃいけないと学習塾へ行ったり資格取得などの習い事をして,時間もカネも無駄な社会コストを掛けている。
だから意識高い系と呼ばれる痛いバカが出現するのだ。
自身で何もかも出来なきゃいけないという思考が歪んだ考えだと理解しないといけない。
「出来ない事があったら出来る仲間を探せばいい」と,日本の学校では教えない。
だから世界で日本だけが「孤独死」という問題に直面している。
日本の教育機関,企業,組織は,誰もが平等で協調して同じでなければいけないとしている。
この教えが最初に義務教育の9年間で徹底的に刷り込まれる。
だから隣りの芝が青く見え,他人に嫉妬して足を引っ張るようになる。
人間それぞれ異質な考えを持ち,自身の思想,理念があれば嫉妬などしない。
だから自分,峯岸は,嫉妬した事がない。
「アイツの彼女めちゃタイプだわ」とは思うが,コレは嫉妬ではない。
日本人的同質性,同質観念というのは,何かというと嫉妬して足を引っ張る事である。
学校や職場など同じ集団の中で座席争いをする,その座席争いの感情の働きは嫉妬である。
男女で嫉妬は異なり,女の嫉妬の多くは異性(男)にモテてチヤホヤされている者へ感情の矛先が向かう。
男の嫉妬は能力(自身に無い才能や人望など)に向かう。
分かりやすい例が堀江貴文で,彼は嫉妬されまくってきた。
その最たるが官僚で,だから彼は国策捜査に遭い実刑を喰らった。
官僚は学校の試験の点数だけが良いだけの偏差値番長で,生産活動できない,技術が無い,経営能力が無い,現実世界では全く役に立たない無能の集まりなため,有能な民間人に大きく嫉妬する人種である。
だから堀江貴文のような民間で能力がある者は,凡庸の中のエリート(官僚)に嫉妬され攻撃対象となる。
昭和の時代はミスター通産省と呼ばれた佐橋 滋氏のような本物の有能な官僚が居たが,今は皆無だ。
今の50歳以下の官僚は無能で,無能だから官僚になるのだ。
前述した日本最高峰の政治学者である丸山眞男も指摘しているとおり,日本人は所属集団の中でのポジション争い以外には関心がない性質がある。
この事を社会心理学者の山岸俊男が統計的なリサーチを通じて検証し,この事実が証明された。
日本人は自己中心性が圧倒的に高い。
日本人は集団主義だと言われているがコレも違うと分かる。
集団の事を考える意識が無いという事が判明した。
では何かと言うと,自身が置かれている所属集団の中でのポジションである。
組織の中で省られてないか,裏で変な計画が進んでないか,こういう事を凄く気にする。
大企業では社内での従業員どうしの会話は全て人事についてで,つまりポジション取りの話しである。
前述したように,勝ち戦の時は皆が打って一丸となる。
だが戦況が陰ると途端に蜂の巣を突いたように転嫁する。
自身が争っている組織の温存と,組織の中のポジション争いに突如として焦点が変わるのだ。
コレを丸山眞男は「sectionalism=セクショナリズム」と言っている。
戦況が良い時は果敢に攻め込み,追い込まれた途端に沈みかけた船の中での座席争いとなる。
経営破綻する直前の企業も同じで,船が90度に傾いているのに1等船室に残ろうとする行動心理だ。
船は確実に沈没しているのに,その状況下でも,なぜ日本人は座席争いをするのか。
この事に関係する研究を小室直樹の学友の山本七平が1977年にリリースした『空気の研究』で解説しており,日本人は空気に支配されているという。
周囲の人は,こう思っているだろうという自身の良きに皆が支配される。
その結果,裸の王様問題が起こりやすくなる。
皆は王様は裸だと思っているが,皆「王様は裸だ」と言ってはいけないと思っているだろうから,私も言わないとなる。
皆が醸し出している空気を指針とするという事になる。
そうするとコレは合理的,理性的な分析とは異なるため,行けぇ!と常勝ムードの時は良い。
ところが戦況が陰り下落相場になった時は理由を分析して手当てをしなくてはいけない。
この手当ては機械ではなく社会なため,この制度が悪い,このポジションにいる奴が間違えている,こうやってハッキリさせる事を失敗の研究と言い,空気の支配が専らであるが故に下降線に乗った時の失敗の研究が出来ない。
ドイツの社会学者のマックス・ウェーバーが,この沈みかけた船の座席争いと所属集団の外へ出られない問題について「内部規範と外部規範が無いから」と解説している。
所属集団の内部に居る時は勝手知ったるで,どういうシキタリ,慣習に従えばいいのか明確だが,所属集団の外に出たら方向性が定められないため不安になる。
「不安なら外へ出ろよ」と言われても「いや,俺は大丈夫だよ」と,踏み出せなくなるという事だ。
今,日本でNFTとメタバースが流行っているのだが,この事も講演で話したとおり自分,峯岸からしたら,今さらメタバースかよと拍子抜けした。
例えば貴方がデジタルのサイバーな世界で絵を描いたり音楽を作ってもコピーされて終わってしまうが,NFTならコピーできないというトークンが付いた財(非代替性トークン)が話題になっている理由は,メタバース(3D仮想空間)化が急速に進むとされていて,このメタバースで「このエリアは俺のモノだ」「この施設は俺のモノだ」という感じで「俺のモノだから使う時にカネ払ってね」と言えるように仕組み上なっている。
ココで大きな問題があり,例えば公正や正義を要求するのは何処かとしたら,自身がソコに居る場所だと思うからで,これまで我々はリアルな世界=ユニバースに居たから,ソコで公正や正義や再配分してくれと言っていた。
だがメタバースが自身の居場所となってユニバースのリアルな世界は排泄と接触だけの場所となると,公正と正義は不要でベーシック・インカムだけあればいいという事になる。
そうなると自動的に米欧日(アメリカ,欧州,日本)は中国と同じ社会になる。
難しい事は全て国家が決め,ソレと同じでメタバースで生きてる者もデザイナーが決めるとなる。
コレを「余剰人口国家」と言う新反動主義者(反democracy論者)は「人々がバカになっているのでdemocracyなんか回したらグチャグチャになる。国民は仲間じゃないので俺たちはカネ持ちだけど絶対に再配分なんかしない。だけどオマエらは大丈夫,ゲーム(遊び)とベーシック・インカムで保障してやるから」というのが新反動主義者のイデオロギーである。
今コレが実装されている。
だから「我々はメタバースを作るが,あくまで拡張現実として作り,更に言えばリアルな現実世界で幸福になれる人間関係を作る為にメタバースを使う」という,どうメタバースを構築するかについての理念,価値観の抗争が欧米では起きている。
だが,この事を日本人は全く理解できていないため,この場面でも世界基準から大きく逸れて,だから単に「メタバースすげぇ!」で騒いでるだけの残念な民族である。
「もう日本は先進国ではありません。税金は重く賃金は低く国民は貧しいです。インフラだけは世界最高水準で整備されているので外からの視点だと暮らしやすい国に見えるだけです。しかし日本には珍しいモノがあります。他には無い変わった人も居ます。日本特有の文化で海外の方を楽しませる事が出来ます」と,このように見栄を張らず正直になり,外国人のオリエンタリズム,エキゾチズムを刺激するような珍妙な存在であり続け,コレを観光資源にするとかでしか,もう日本が生き残る道はないのだ。
例えば北海道のニセコが成功の良い例で,唯一無二の上質な雪(パウダー・スノー)を求め世界中から人々が押し寄せる。
自分,峯岸の友人の外国人たちも「ニセコに行きたいから案内してくれ」と言う。
かつての深圳のように何も無かった打ち捨てられた限界集落のニセコ町が,今や超高級なヴィラが乱立し,高速道路を絶賛建設中で新幹線も通る町へと変貌を遂げた。
外国人が多数いて日本ではないような光景である。
計画前のニセコは政治力の無い,既得権益が全く無い町だったからこそ,このような産業改革が出来たのだ。
共産体制で社会が統制され中間市場が無かった分,改革が一気に進み急速に経済成長した中国の原理と同じである。
実は,このような地が日本には幾つか点在しており,前述した長崎の小値賀島のように,自分はソレを外国人たちに教えてもらっている。
こういう事は日本人より外の者の方が敏感にキャッチできるのだ。
日本人の愚かさを言うと,未だに「日本すげぇ!」「先進国の日本が」と言ってるバカがウヨウヨいる事である。
カネがないと幸せになれないと思っていると今の日本では幸せになれる人はいない。
ココまで衰退した日本だが,まだ70年代と較べると豊かで,でも70年代は今のように「カネが無い」と悲観してる者はいなかった。
ソレは今と違い共同体が生き,地域は繋がり,人々が空洞化していなかったからだ。
それが今はインターネットが普及したため,リアルで会った事がない,顔も名前も経歴も素性も知らない者とインターネット上だけで繋がり「友だち」という事になっている。
このリアルで会った事のない,インターネット上だけで繋がる「友だち」は,貴方が危機に直面した際に助けてくれますか?
貴方が無一文になったら,このリアルで会った事のないSNSやプラットフォームやクラウドだけで繋がる「友だち」は,貴方を助けて資金援助してくれますか?
そういう事だ。
そんなインターネット上だけで繋がる,リアルで対面した事がない本名も経歴も知らない「友だち」からの「いいね」に依存して生きている。
ココまで今の日本人は感情までも劣化しているのだ。
自分,峯岸は,多様な生き方を許容すればいいと思っている。
例えば自分は,もうすぐ48歳になるが結婚してないし,これからもする気はない。
家族は要らない。
親は離婚して祖父母に育てられたため,結婚相手の両親には認められないだろうと,小学生の時に悟った。
自分の友人や知人に「オレ本当は結婚したくなかったんだよね」と言う者が結構いる。
「本当は家なんかローンまで組んで買いたくなかった」とか「子供も欲しくなかった」とか,本音を漏らす人が結構いる。
彼らは義理の親や周囲に配慮せず,空気なんか読まずに,もっと正直に生きたかったと思っている。
本当は,こういう考えの人たちが多数いると自分は見ている。
こういう考えの者たちが無理に結婚したり子供を持ったり家を買ったりするから不幸になるのだ。
だから,これからは官僚が嫉妬するような人材を育てていく事が大切である。
こういう者たちが増えればココまで記してきた点が改善できる。
前述した凡庸の中のエリート,つまり霞が関の官僚だが,25年ぐらい前から東大法学部からキャリア官僚になる者はいなくなった。
東大生は自分,峯岸の2〜3コ上の世代からゴールドマン・サックスなど外資系金融機関へ就職しだしている。
自分から言わせれば,何で東大へ行ったのに就職活動してんだよ,という話しなのだが。
だから今ごろ官僚になってる者たち(50歳以下)はヤヴァイので信用しないように。
【ジャニー喜多川問題から見て取れる,既得権益を崩せない裏に付随する日本の“加入儀礼”という思想】
昨年(2022年),1ヶ月ごとに各都道府県で講演した際に話した事で,日本には「皆が,そうしておられます。そう言っておられます」問題がある。
この「する」の中に作為(commission=コミッション)だけでなく,不作為(omission=オミッション),わざとしない事があり,わざとしない事をする,という事を考えると,日本中どこもかしこも,そうしておられます,皆が,そうしておられます,この問題が蔓延っている。
この「そうしておられます」は何を意味しているのかと言うと,コレは「加入儀礼」である。
エントリーする時に儀礼的(ritual)な過程を辿らないとダメという事だ。
この事を世界で明確に示したのが我が師匠の小室直樹である。
我々は学校に入学,会社(企業)に入社(就職)するまでは,公平な条件で学習し,平等な条件で試験を受け,合格した者が入学,入社する,こういう競争がある。
しかしコレが社会人になった途端に,いわゆる専門家集団に入るには加入儀礼が必要となる。
通過儀礼は貴方も理解あるとおり,コレは子供集団から大人集団へ移動する際に儀式,儀礼を施す。
例えばバンジー・ジャンプはポリネシア文化圏のバヌアツ共和国では通過儀礼として行われる。
通過儀礼とは元々,子供共同体の枠組を壊した上で粉々になったところへ新しい枠組を実装する仕組みである。
加入儀礼は通過儀礼と同じ移行儀礼の一種で,通過儀礼は時期が来たら必ず全員が受ける。
だが加入儀礼は違い,ある専門家集団に入り,包丁1本にサラシを巻く料理人の世界であったり,映画や芸能や放送や音楽業界にもある。
料理人も含めた職人の世界を考えると分かるのだが,日本の職人は何の技術,技能の習得になるのか全く意味不明で,施している側にも説明できない,皿洗いを数年ヤラせるとか,先輩の衣類の洗濯をさせるとか,我々,昭和世代の部活動にもあったように,全く意味のない事を長期間ヤラせる。
かつて世界の職人の世界も同じだったが,説明責任を果たせないような,なぜヤラなきゃいけないかを学術的に説明できない事はヤメようという動きになった。
だが日本だけ未だにヤメる事が出来ないでいる。
この事を小室直樹先生が自身の著作『危機の構造』(ダイヤモンド社,1976年10月刊)で解説している。
自分,峯岸が産まれた翌年,約50年前に問題が明らかになっていたという事だ。
加入儀礼は多くの場合が理不尽で,理不尽であるが故に従来の枠組を破壊し,ある種カルト的な新しい枠組に入り,その事によってメンバーシップ(船員資格)の,ある種の価値,稠密生を確認して使う。
至る場で過酷な加入儀礼を経て集団に入った経験を持つ者が日本には多数いる。
例えばイギリスの公共放送BBCが報道した事で世界的に広がった,ジャニーズと言う日本の芸能会社の創業者が起こした性的大事件がある。
この大事件を日本のメディアは,NHKが16:00の視聴が少ない時間に1〜2分ほど仕方なく取り上げたのと,民放キー局が1社,同じく渋々と取り上げただけで,その他は最初の文春以外は何処も報道していない。
日本のメディアは芸能人の熱愛だの離婚しただの,どうでもいい,くだらない報道ばかり流し,国民の為の真実の報道をしない。
まさにコレがズブズブの既得権益である。
このジャニーズという会社に入るジュニアの子たちは,創業者のジャニー喜多川に抱かれる事が加入儀礼という事を周囲が見ているという事である。
セクシャリティな問題なため個人的感受性は千差万別で,皆が同じように傷ついた訳ではなく,独りで抱え込んでトラウマになった子もいれば,両親や専門家に相談した子もいる。
一つ確定している事は,ジャニー喜多川が人類史上最大の性犯罪者である事だ。
エプスタインどころの話しではない。
ただ自分,峯岸は犯行現場を見た訳ではないため「オマエ見てねえだろ」と言われたら反論できない。
ただ公式な裁判記録と被害者の証言があるため,事実である事には変わらない。
人は皆「日本の首相は岸田文雄」「ジャニー喜多川はジャニーズの創業者」と言うが,その際に「岸田文雄が日本の首相という証拠を出してよ」「ジャニー喜多川が存在する証拠を出してよ」と言われたら,実際に対面で会った事がない者は出せない。
でも日本人は「メディアに岸田文雄が日本の首相として出てるし,皆がジャニー喜多川はジャニーズの創業者と言っているから」と言う。
コレが社会である。
冒頭で述べた,この「皆が,そう言っているから」が社会の本質なのだ。
人間は皆が多くの識別基準を設けており,conspiracy theory(権力者共同謀議)と,そうでないモノ,想像と現実,このように厳密な意味ではないが有る事にしている。
その上で議論する事が近代社会の在り方である。
丸山眞男がコレを凄く意識していた。
現実と虚構の区別がある事も虚構くさく,日本とアメリカそれぞれ様々な国民国家が有る事も虚構くさく,ソレを言っちゃおしめえよで「現実を成立させる為にも虚構がある」というのが丸山眞男の主張である。
どうして日本は権力者どもが死んでも既得権益を手放さないのか。
どうして沈みゆく船の中でも座席争いをヤメられないのか。
ソレは沈みゆく船であっても良い座席を獲得する為に必要な加入儀礼があったからだ。
加入儀礼は人によって受け取り方が違うのだが,トータルで言えばコストになる。
コストを掛けて良い座席に座った。
このコストとは良い大学へ入り良い会社(組織)へ入る事だ。
単に競争に勝って儲かったという話しではなく,もっと儀礼的,儀式的で,数々の加入儀礼を経て既得権益の上層に登り詰めた者はコストを掛けてきたため,この既得権益を手放せなくなる。
つまり加入儀礼というパラメーターが入ると,ソコで出てくる損得計算が加入儀礼の無い社会に較べると圧倒的に歪む。
明らかに不合理と思われる選択も,その者の立ち位置から見れば合理的になり得るという事である。
コレが日本の全ての産業分野で起こっている。
「俺は我慢に我慢を重ねて,このポジションまで来たんだ!オマエみたいな我慢した事のない青二才に合理性だどうだと言われて,ココから抜け出せると思ってんのかバカ野郎!」というのが,日本の既得権益で劣等性である。
4月12日のexジャニーズJrの岡本カウアン君の会見場でもあった,日本外国特派員協会(外国人記者クラブ)制度を自分,峯岸は,ずっと問題にしてきた。
私的懇話会なのに政治家や官僚から便宜を図ってもらい,この記者クラブ制度の閉鎖性を使い問題意識のある様々な組織や個人から参入の機会を奪ってきた。
年齢で被選挙権を制限し,べらぼうな供託金で立候補の障壁となっている,明白な憲法違反である今の選挙制度と全く同じである。
まさに既得権益の中の既得権益だ。
昨年(2022年),自分,峯岸は,社名を言えば誰でも分かる大手新聞の労組の組合員と話した。
自分は,この労組の組合員に「なぜ貴方たちは調査報道しないんですか?」と訊いた。
日本のメディア(NHKと民放キー局5社,新聞5社,共同通信と時事通信の2社,新潮と文春の2社,計15機関。この15社をアメリカの指令を受け統括しているのが電通)は発表報道だけで,調査報道はしない。
調査報道とは,警察や検察などの行政官庁によるリークだけで記事を書くのではなく,メディアが主体的に情報を発信して真実を追及する報道である。
各メディアには調査報道部という部署があり,タレコミに従い調査して報道する。
多数あるタレコミの中から選んだ説明責任を問われるため「なぜウチは,この調査をして真相を明らかにしているのか。ソレはウチの価値観が故である」と,調査報道は必ず価値観を問われる。
メディアは調査報道できないから記者クラブ依存の報道しか出来ない。
メディアどもは「記者クラブで席を失わない為に調査報道しない」と言う。
だがコレは大嘘だ。
真実は調査報道する覚悟が無いから記者クラブに依存しているのだ。
この事を自分が労組の組合員に言ったら彼は固まった。
もっと大きな真実を言えば,日本の全メディアはアメリカ様の指令どおりにしか報道できないからだ。
その現地司令官が電通である。
アメリカの意向を受けた電通が日本の各メディアを動かしている。
だから政府にとって都合が悪い事は絶対に国民には伝えない。
真実は国民には伝わらない。
この事を日本国民が理解できない。
政府とメディアが国民を欺く事などする訳がないと信じて疑わないからだ。
コレが洗脳である。
メディアの構造を全く理解できていない。
「政府が私たち国民を欺くなんて絶対に有り得ない!」と,本気で思っている。
コレが日本人である。
だから日本人は世界基準の学問と思想が理解できないのだ。
例えば自身の価値観に基づいて,様々な価値観に基づく調査報道が社会に溢れていれば,こういう価値観を持った国民を統治権力は操れない。
コレがdemocracy(民主政治)の基本である社会の監視である。
日本国民が統治権力を監視できないのは,朝から晩までメディアの発表報道に嚙り付いているからだ。
自分,峯岸には,大手メディアにも僅かだが残っている愛国記者から連絡が来て情報が入ってくる。
彼らは調査報道し,国民へ真実を届けようとしているのだが,所属する会社の上層部で取り下げられてしまう。
だから自分,峯岸に寄せてくるのだ。
【日本が絶対に中国に勝てない明確な理由】
自身の所属集団以外に社会には数多な集団がある。
コレを外集団と言うが,社会は複雑で精妙なマシーンなため,その全ての集団に,乗っかっているプラットフォームを保とうという努力が無い。
その努力に基づいて様々なメカニズムのメンテナンスをしないとプラットフォームが続かない。
所属集団よりもプラットフォームの方が大切で,プラットフォームあっての所属集団という事を理解できている事が近代的である一つの条件である。
分かりやすく言えば,政治という土台があって自身の生活や仕事があるという事だ。
だが前述したように日本人は,この事が理解できないため,内集団が全てになってしまう。
この状態で何が起こるかと言うと,至る所で沈みかけた船の中での座席争いになる。
つまり日本の病原菌である権益抗争だ。
なぜ日本が30年間も経済成長が止まったままで,一人あたりGDPも平均賃金も最低賃金も世界どころかアジアの中でも凋落したのか。
コレも答えは同じで
為政者(権力者)たちが既得権益にベッタリ張り付き,産業構造改革が出来ないから。
以上!である。
コレ以外にない。
日本が生産性の高い産業にシフトできないのは,為政者どもが既得権益に,へばり付いているからだ。
コレは巨大既得権益である政財界,電力,自動車,メディアの業界だけでなく,全ての国民もそうなのだ。
「日本がダメと言っても,自民党以外に良い政党がないじゃないか!野党に変わったら今より悪くなるだろ!」と,自民党に収まり続けている。
コレは国民が自民党(と公明党)という既得権益に縋り付いている事である。
つまり日本人という人種は上から下まで既得権益に,しがみ付いている。
だが国民に,この自覚が無い。
政権を批判するくせに,自身が自民党という既得権益から抜け出せない。
だから個人は弱いので,共同体に支えられたり共同性に埋め込まれたりする事なくしては強い力を持つ者,すなわち権力者に利用されて終わる。
ココで日本人と,中国人またはユダヤ人の大きな違いが浮き彫りになる。
ユダヤ人はモーセの時代から数えて約4000年,バビロン捕囚から数えて約2500年のディアスポラ(離散民族),中国は王朝が変わる度に大量殺戮があり,彼らは金融と実物の資産に頼れなかった。
そこで中国人とユダヤ人は共通して血縁主義になった。
そして現代はグローバル化が進み,勝ち組と負け組でハッキリと大きな差が出来た。
中国人のネットワークに入っているか,ユダヤ人のネットワークに入っているか,この,どちらかに入れているか否かで勝ち組か負け組かが決まっているのだ。
中国人とユダヤ人は血縁社会で,彼らは強固なネットワークがある。
例えば留学する時など,彼らは単身で他国へ乗り込む事はなく,何処へ行っても中国人(華人)とユダヤ人の血族が居る。
日本に来ている留学生たちも血縁ネットワークを頼って来ている。
だが日本人が外国へ行く時は単身で海を渡る。
渡った先に血縁ネットワークは無い。
完全アウェーだ。
ココで日本人は孤独を感じる。
だが血縁社会は違う。
この事を彼ら血縁主義社会は紀元前から理解しているため,留学するにも企業で進出して駐在するにも,単身で乗り込む感受性は血縁主義社会には皆無なのだ。
何処へ行っても先行する中国人のネットワークとユダヤ人のネットワークがあり,同じネットワーク上に乗っていると分かると,面識が無くとも彼らは家族のようなホスピタリティ(思いやり精神)で扶助するのだ。
だから彼らは何処へでも出て行き,単独で乗り込むのと違い先行者から知恵をシェアしてもらえる。
だからグローバル競争に地縁社会の日本人が勝てる確率はゼロなのだ。
中国人やユダヤ人は血縁ネットワークの中で育まれ,ココを頼って外国へ行って活動するため,まず「リターンを返したい」という強い感情が働く。
19世紀のアメリカは金融業(銀行員)が激しい差別に遭っていたためユダヤ人が担ってきた。
差別されていたから能力や時間や資金を融通し合い,相互扶助していく事でユダヤ金融資本が産まれた。
ココでハッキリとホームとアウェーの戦場が区別され,仲間にリターンを返す為に外で徹底的に戦うという考えが産まれた。
この中で自身が育っているためリターンを返そうとする。
人間は進化生物学的に言うと,利己性より利他性の動機の方が強い。
利己の動機は自身が「もういいや」と思って諦めたらソコで終わりだが,利他の動機は自身に関係なく,自身の大切な人や待ってくれている人(友人や恋人や家族)が困っている事実は消えない。
ネットワーク内の自身の大切な人を思うと力が湧く,コレが利他の動機である。
コレが血縁社会で,中国人とユダヤ人がグローバリゼーション(グローバル化)に強い理由だ。
日本のように血縁が薄い社会がグローバリゼーションに弱いのは,日本は地縁社会だからである。
だが,かつては地縁も血縁と同じ機能を果たす事が出来た。
自分,峯岸の先生である小室直樹は福島県会津市出身で,非常に貧しい母子家庭で育ち,周囲の支援があり会津高校へ入学して京都大学の理学部数学科へ進み,森嶋道夫の推薦で日本最高頭脳としてフルブライト留学でMITとハーバードに行きトップに立った。
この原動力こそがリターンを返す,日本的に言えば故郷に錦を飾るという事で,コレが中国人とユダヤ人の血縁ネットワークに相当する,自身を育ててくれた故郷に恩返しをしようという精神だ。
コレが今の日本には失くなってしまった。
有るのは利権集団だけである。
東日本大震災以降,福島に戻ろうとする人は,自身を助けてくれるのは血縁者だという思いに駆られたためだった。
だけどコレは違って「助けたい相手が被災地に居る,だから私は帰る」という,強い利他性の動機によるモノである。
【適切な進化圧を掛けられない日本】
2020年4月1日から大学無償化の制度が始まった。
正式名は「高等教育の修学支援新制度」と言う。
条件はあるが,これまでの奨学金が返済義務の無い給付型へと変わった。
この制度は危険で逆効果である。
まず無能な教員の雇用維持策でもある。
世界基準のように優秀な者が無償なら問題ないし当然である。
それどころか優秀な者には大学から給料が支払われている。
介護も同じで「誰かがヤラなければいけないから私が働いてるんです」と言うのも大きな間違いだ。
講演の質疑応答の際に「介護職なんですが,どうすれば給料が上がりますか?」という質問があった。
答えは「介護保険制度がある以上は絶対に賃金は上がりません」だ。
介護職だけでなく,どの職種に就いている人も自身の給料が安いとか上がらないとか,それだけしか考えていない。
コレは前述したように日本人の悪い点であるスペックに拘るからだ。
外国人実習生を受け入れて茶を濁しているのもそうで,この制度も最悪で心証が悪すぎる。
昨年(2022年)のカタールW杯で大きな問題となった移民労働者に対する人権問題と同じである。
日本に来ている外国人実習生たちは奴隷労働である。
現代の奴隷制度である。
日本に来ている実習生たちは何の身分も無い。
永住権も選挙権も無く帰化も出来ず,長時間労働と賃金の不払いの上に高い税金を払わされる奴隷階級だ。
移民ですらないソレ以下の,カタールで過酷な労働環境下でスタジアム建設に携わっていた彼ら以下の扱いを日本で受けている。
介護で言えば介護職に就いている人の給料は介護保険で賄っているため高額報酬など絶対にない。
だから一定数をロボット化し,人員削減して適切な進化圧を掛けない限り絶対に改善しないのだ。
コンビニのスタッフも外国人を大量に採用しているが,そうじゃない。
自動化,ロボット化せず,人間がヤル必要のない仕事を人間にヤラせているからダメなのだ。
例えば日本人が大好きなマクドナルドは機械が不得意な工程だけ人間が配置されており,1930年代にマクドナルド兄弟が当時,最先端のオートメーション化でラインを作った。
ココだけは人間の方が安く上がるという箇所だけに人間が配置されている。
だからマクドナルドはトヨタのような工場のラインと同じである。
工場の配置を何回もシミュレーションし,小規模工場オートメーション化していた。
この事がマクドナルド創業者のレイ・クロックの半生を描いた映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』(2016年)で出てくる。
だからマクドナルドこそ早く無人化すべきで,こういう業態の従業員はカウンターで商品を客に渡す人だけ一人いればいいのだ。
具材を乗せたりソースを掛けたり,手(指)が使えるAIロボットが居れば今のような人員は不要なのだ。
だから安い賃金で働いてしまう人がいなくなれば,オートメーション化が進む。
機械化の懸念材料はコストだけである。
例えば10年前にタイのバンコクに行った時,宿泊していたホテルにドア・ボーイが居た。
ソレは自動ドアを導入するより安いからという理由だった。
だから進化圧はコストに左右される。
【日本に意識高い系が蔓延する理由】
1946年に明治憲法から現行の憲法体制へ遷移し,制度も法律も変わったが起こってる事は同じという,コレが日本である。
自分,峯岸の講演や話しを聴いてる方は分かるとおり,よく自分は「コレが日本なんです」と言う。
直近の話しで言えば,日本は今ごろになってChatGPTで騒いでおり,自分は「本当バカだなコイツら」と,外(外国)から日本を見ているのだが,自治体や大学などがChatGPT採用に後ろ向きな態度を見せている。
〜転載貼り付け始め〜
〜転載貼り付け終わり〜
まさにコレが日本である。
表面には出すがIT化が一向に進まない理由も同じで
既得権益に,へばり付き続け,産業構造改革が出来ないから。
以上!だ。
日本のコロナ敗戦を見て分かるとおり,まさにコレが日本で,官民で何度も意味の無い同じ事を繰り返し繰り返し行っている。
この問題に最も早く気づいて警鐘を鳴らしていたのが「議会政治の父」と呼ばれた,戦前の衆議院議員の尾崎咢堂(おざき がくどう)と,戦後だと作家の三島由紀夫である。
三島由紀夫が「空っぽな日本」と言った理由は,日本人は一夜にして天皇主義者がdemocracy(代議制民主政治体制=民主政治)信奉者に変わったからである。
今なら一夜にして持続可能性主義者,一夜にして多様性主義者,一夜にしてフェミニスト,一夜にしてLGBTQが産み出されている。
このように,たった一夜にしてガラっと変わる,コレが日本である。
コレらを日本では「意識高い系」と呼んでいる。
自分,峯岸に言わせれば「自身の思想を持てない煽動されてるバカ系」だ。
世界一の言語弱者で英語ですら満足に話せないくせに,顔に色が付いた極東の土人のくせに,何がsustainability(サステナビリティ),何がdiversity(ダイバーシティ)だバカどもが。
まさに三島由紀夫が言ったとおりである。
舌の根の乾かぬ一夜にして豹変する思考を,価値観やイデオロギーとは言わない。
コレが今の更に劣化した日本人である。
お題はハッキリしており,この欧米に憧れる脳をヤラれた知能の低い意識高い系どもは価値観を持っているのではなく,ポジションを取りたいだけである。
コレが近代から続く日本人の圧倒的劣等性である。
日本に蔓延る,この意識高い系と言われる痛い日本人への処方箋は,日本は何をしても変わらない歴史的教訓があるため,人(人間)を変えるしかない。
例えば自分,峯岸は,知識の伝達は必要ではあるからヤルのだが,それより大切な動機付けをシッカリ伝達している。
人を助けたいとか,あの人と同じ世界に入りたいとか,享楽を享受したいとか,そういう感情が産まれるようにする。
プラグマティストであるアメリカの哲学者のリチャード・ローティが,思想家で哲学者のジョン・デューイを敬愛しており,このジョン・デューイの著作『Experience and Education 経験と教育』(2004年10月,講談社学術文庫)で,教育の基本は知識の伝達ではなく経験を通じて動機付けを伝達する事を提唱している。
リチャード・ローティも同じように倣い,今の日本で声高に叫ばれている「多様性を認め合って共存しましょう」というゾーニング主義を徹底的に否定している。
むしろコレは多様性を認めない感受性を温存する為の小手先だとしている。
自分,峯岸が言う多様性とは,人間は日本人でもあり白人でもあり黒人でもあり男でもあり女でもあり大人でもあり子供でもあり,様々な主体が自身の中にある事である。
棲み分けする事ではなく渾然一体となる事で,完全に同一になる事ではなく様々な人の中に様々な主体があるという事だ。
人間は子供でもあるし大人でもあるし男でもあるし女でもある,このような感覚を持てるかが多様性の基本である。
自分が今の10代の若い中国人たちに知識以上に伝えている事が,この動機付けで,一般的に動機付けは2つあるとされ,競争動機と理解動機である。
競争動機とは,学校の試験で一番の点数を取りたいとか,誰よりも高い偏差値の学校へ入学したいとか,相手に勝つ喜びを得たいという動機で,親や先生に褒められたいという欲求も同じである。
もう一つの理解動機は,自力で問題が解けたとか,自身の考えを上手く伝える事が出来たという,分かる喜びである。
戦後日本は,この2つの動機付けで教育してきた。
だが自分,峯岸は,自らの経験から,もう一つ加える。
ソレは「感染動機」だ。
感染動機とは「俺もアイツみたいになりたい!(私も,あの人みたいになりたい!)」と思う強い衝動である。
相手に惹かれると,その人の一挙一動をマネてしまう。
自分は小学生の時,BOΦWYというバンドの氷室京介に,中学生の時,B'zというユニットの稲葉浩志に感染し,彼らの歌い方やマイクの持ち方や仕草まで全てマネて歌っていた。
この感染動機が最も大切なのだ。
競争動機は競争に勝った時の喜びの瞬間,理解動機は理解できた時の喜びの瞬間,この,それぞれの瞬間を求めて人間はヤル気を出す。
だが感染動機は好きな人に感染し,その人の事が頭の中にありながら何かをしている時が,全て喜びの瞬間ではなく「時間」になるのだ。
だから感染動機が最も強い内発性を与える。
内発性とは内から湧き上がる力だ。
前述した中国人とユダヤ人の血縁社会での,ネットワーク内の自身の大切な人を思うと力が湧く利他の動機だ。
損得勘定で何かする時,その何か自体が喜びな訳ではない。
コレは自発性である。
喜びの瞬間を目指して何かする時も同じだ。
だから競争動機と理解動機は自発性に基づく。
だが感染動機は好きな人に感染した事により,何か自体が喜びとなり,ヤル事すべてが喜びになる。
自発性は環境に依存しているが,内発性は環境から自立している。
pragmatism(プラグマティズム)は日本で「実用主義」とか「行為主義」と訳されているが誤訳で,正しくは「動機付け主義」である。
日本人が政治を見れないのは,この動機付けが無いからだ。
日本の子供は義務教育の9年で競争動機と理解動機ばかりを植え付けられ,この時期に最も大切な感染動機を教師も親も教えない。
動機付けには友人や仲間たちと自国の政治を語る事で産まれる価値観が必要だが,前述したように日本人は自尊心が低く自身に価値がないと思っているため公的関心(政治的関心)が無い。
だから,この価値観が産まれない。
だから,その為に「あの人みたいになりたい!」「コレをヤリたいからヤル!」という,強い内発性の利他的動機による感染を引き起こす事が大切なのだ。
自分,峯岸の学問面での師匠(先生)は2人いて,その一人が小室直樹である。
小室直樹先生が無料で開いていた小室ゼミという私塾があり,ある時,塾長の小室直樹がベロベロに酔っぱらって登場し,ジェファーソン(トーマス・ジェファーソン。アメリカ合衆国第3代大統領)の独立宣言を独唱しだし,外に出て下の通りに向かって立ち小便し (笑) 塾頭だった橋爪大三郎氏(東工大名誉教授)が怒って帰ったエピソードがある。
もう一つ,1983年1月26日,田中角栄のロッキード事件(ロックフェラー家による権力者共同謀議)の論告求刑の公判で,検察が田中角栄に懲役5年を求刑した。
この日,当時8歳だった自分,峯岸は,学校から家に帰り,祖父母が「こんにちは2時」という昼の番組を観ていたので,なんとなく一緒に観ていた。
この生放送の番組に小室直樹が出演し,小沢遼子ら論客たちを相手に独りで論陣を張っていた。
そして小室直樹は立ち上がり「角栄を有罪にして起訴した裁判官と検察官どもが憎い! 電信柱に吊るして死刑にしろ!ぶっ殺せ〜〜〜〜〜〜〜!」と,拳を振り上げながら叫んだ。
自分は8歳だったが,持って産まれた能力で,この頃に,おおよその世界体制の大きな枠組が見えて理解していた。
だから形式上,検察庁(検察官)は法務省に帰属する行政官だが,実際は独立して逮捕権まで持つ準司法機関で,そのように最初から戦後日本の体制としてアメリカが創って動かしている事が分かっていた。
だからdemocracy(民主政治)の根本である議会に検察が干渉する事を許さないという小室直樹の叫びだと察知した。
当時8歳の自分,峯岸祐一郎は,小室直樹が生放送で「検察官と裁判官どもを纏めてブッ殺せ〜〜〜〜〜〜〜!」と叫び,番組スタッフに抱えられながら退場させられた姿を観て「俺の先生は,この人だ!」と決めた。
小室直樹に感染した瞬間である。
コレが感染動機である。
【 ChatGPT以下の知能の日本国民】
メタバース同様に日本人は今ごろになってChatGPTに色めき立っている。
犬や猫や猿,そして魚や虫なども脳を持っている。
人間の脳との違いは容積の大きさ,そして神経細胞の数で,簡単に言えば大きさである。
人間にも犬にも猫にも猿にも魚にも虫にも目があり,人間も動物もヤッている事は同じである。
目や耳や舌で感じる感覚を認知と言う。
目で見る視覚の認知は,大脳の後頭部の視覚野で処理され,目から入ってきた情報を,この視覚野で処理していると考えられている。
だがコレは違って,この大脳の視覚野で,まず推論をする。
これまでの経験から「こんな映像が見えるだろう」と推論する。
ソレを返ってきた情報と照合し,100%に近づけていく。
この動きを何回か行い100%に近づけていき,その差分だけを見て調整(調節)している。
こうする事で全ての統計を神経で転送しないようにしている。
なぜならエネルギーが必要になるため,人間は1日ごはん茶碗にして10杯ぐらいのカロリーを摂るが,このうち3分の1を動物は使う。
ブドウ糖は脳の唯一のエネルギー源で,ごはん3杯ぐらいで1日を動くのだから効率が良い。
認知も同じで,認知は脳機能の中では低位に位置する機能で,自律神経や運動も認知と同じような仕組みで動いている。
運動は同じ動作の繰り返しで,例えば歩行は歩く事を意識して歩いていない。
歩行は反射という仕組みが入っており,脳に伝達しなくとも無意識に動いている。
コピーペーストのように一度ヤッた事は,もう脳を通さずに出来る仕組みが出来ている。
認知も自律神経も運動も同じ仕組みで動いているのだ。
AIが囲碁の王者に勝った事や,Facebookで写真を撮ると「◯◯さんですね」と出るのがコレである。
コレは元々の写真にノイズを加え,このノイズから元の画像を復元させるという事をヤラせている。
何回も何回も同じ事を繰り返しヤラせる。
この認知や運動を12〜13年前ぐらいにディープラーニングで脳の神経の働きと全く同じマネをさせたら同じ事が起きた。
人間の神経細胞の動きをマネしたら認知したという事だ。
ニューラル・ネットワーク(人間の脳の神経回路の構造を数学的に表現する手法)の研究をしている者たちは何十年前からいるが,ハガキの郵便番号を認知するぐらいしか出来なかった。
ソコから10年ぐらい前に人間の顔の細部を認知できるようになり,囲碁などに応用し出した。
つまり動物の脳を作るという事が10年前にディープラーニングで出来ていた。
ソコで,じゃあ次は人間だなという事で「人間の本質とは何ぞや?」となり,ソレは喋る事,話す事だと仮説を立てた者たちが出た。
人間の国語の教育は何をヤッているかというと,例えば穴埋め問題をヤッている。
この「」の中に入る単語は何でしょうか?というような,巨大言語モデルのようなGoogle Bard(対話型AI)を作り,穴埋め問題をインターネット上の膨大な情報から照合し,会話のデータもYouTubeの文字起こしでガンガンに覚え込ませたら2年ぐらい前に知能が飛躍的に躍進した。
人間なら脳の前頭前野で認知や神経や運動の統計を統合して同じ事をする。
人間は推論する過程で知能を得て自我を持つ。
「日本という国に私が居る」という事で自身を認知する。
2023年の現時点で,ChatGPTでさえ知能の低い人間以上の知能を持っている。
つまり殆どの日本国民の知能はChatGPT以下という事だ。
コロナ敗戦国の日本の現状を見れば一目瞭然である。
この重大な事を日本国民が全く理解できていない。
人間とChatGPTの違いは一つしかなく,ChatGPTはチャットしてる間は短期記憶で残っている。
チャットを長くヤルと人間ぽくなっていく。
ディープラーニングで長期記憶の膨大な学習統計を持っていて,ソレが人間だと短期記憶が脳の海馬という組織を通じて長期記憶に一定度,変換される。
ChatGPTは,この機能が無いだけなので,こんなのは直ぐに作れるため既に中国のAIスタートアップで研究が進んでいる。
感情エンジンとクラウドAIを搭載したpepper君のようなヒューマノイド・ロボットを改造して進化している。
日本人は脳をヤラれた残念な民族なため,この事が分からない。
それなのに偉そうに中国人を下に見て愚弄している,本当にバカで痛い民族だ。
アメリカどころか日本など相手にならない程に中国の技術は世界最先端を走っている。
日本の売国メディアどもがインドの人口が14億人の見込みとなり世界一と報道しているが,中国の本当の人口は16億人である。
ゴールドマン・サックスに居たクオンツ(高度な金融工学の理論で市場や投資戦略を分析する事)のインド人たちは電卓で微分・積分するぐらい数字(数学)に強いが,物作りが全く出来ない。
道路や橋やダムなどのインフラ建設が出来ない。
だから中国には勝てないのだ。
4年前にMNSI峯岸国家戦略研究所が出した,2050年までのGDP推移の統計をLINEに載せたが,2031年ぐらいにインドはアメリカを抜いて世界2位の経済大国となる。
もちろん,この時は公式に中国がGDP首位の世界一の経済大国,基軸通貨は人民元,すなわち世界覇権国となっている。
2030年代からユーラシア(ユーロシア)大陸=中央アジアを舞台とする,中国とインドの2トップの時代になるのだ。
日本人は脳をヤラれChatGPT以下の知能なため,この事が理解できない。
【終わった日本に残された唯一の可能性がある産業】
自分,峯岸は,もう10年以上前から日本に明るい未来は無い事,かつてのような繁栄は絶対に起きない事を理論と現実の両面から話してきた。
この事を今でも理解できる日本人は殆どいない。だから自分は,いつでも日本を脱出できるようMM2H(マレーシア・マイ・セカンド・ホーム)という長期滞在ビザ(実質の永住権)を取得する為に準備していた。
日本人は30前後の若いスタートアップ経営者たちでさえ失敗を恐れて果敢に攻めようとしない。30歳なんて失敗しても,どうにでも挽回できるのに二の足を踏んでいる。
そんな終わった日本だが,これから世界をリードできる可能性がある産業が一つだけある。
ソレはhumanoid(ヒューマノイド),人間のような働きが出来るロボットを製造する事である。
これまでに実現されてきた技術は過去にSFとして登場していたモノで,ドラえもんとドラゴンボールのタイムマシーンや瞬間移動は現段階では無理として,工学的に残っているのは人間を代替するヒューマノイドしかない。
まだ,かろうじて東南アジア中心にアジア系の人々が日本に奴隷労働者として来ているが,あと数年で彼らも日本など見向きもしなくなる。
だが日本にとっては外から来なくなってもらった方が労働コストが上がるため良い。
ずっと自分は話し続けてきたが未だに理解されない事で,例えばスーパーやコンビニのレジ業務やコールセンターの架け子は,自動化してChatbotに置き換えられるのに未だにしない。
人間がヤル必要のない仕事を,わざわざ人間にヤラせて無駄な人件費を出している。
ヒューマノイド分野が日本に有利なのは宗教問題があるからだ。
欧米は神以外が人間を創造する事を忌避して嫌悪する。
だから研究者はアジア人が多い。
欧米グローバリストは,この自身らに並んで超える可能性を持つ,神以外が創る人間(ヒューマノイド)を最も恐れているのだ。
例えばプロテスタントのスイス工科大学はヒューマノイド・ロボットの研究をしている。
だがカトリック系の大学には研究機関はない。
キリスト教は一枚岩ではないため欧米社会は内部で割れているからだ。
現在のAI(人工知能)の到達点で目と耳が出来たため,あとは手となる。
自動化(自動運転)などで進化を遂げ,認知・判断・操作の面では人間の領域に来た。
だが,ずっと自分が注目してきた手は,まだ追いついていない。
例えば倉庫のピッキング,料理の盛り付け,こういった手を使う作業は,まだ出来ない。
人間で言うと目と耳だけでは進化に限界がある。犬や猫や猿などの動物も同じで,脳の容積が人間より少ないというのもあるが,2〜3歳ぐらいで知能が止まる。
だが人間は産まれて赤ちゃんがハイハイしてから,ある時に立ち上がり,歩けるようなる。
立ち上がって歩けるようになると2つの手が自由になり,アクションを起こして反応するようになる。
「クジラやイルカなど海に生息する哺乳類は脳の容積が大きく高度な知能がある」と学者たちは言うが,この海の哺乳類たちには手が無い。
海の哺乳類たちは音波通信が発達しているためホログラムを水中に作れて魚が獲れる。
だから外界に建物を建てる理由はなく,外界検知も音像=エコロケーション(動物が音や超音波を発し,その反響によって物体の距離や方向や大きさなどを知る事)し,その情報転送も音波でしているため物作り,製造する必要がない。
一方で人間は二足歩行で手が使えるようになり文明が伝えられるようになった。
手,10本の指を自由に操れる知能を持つロボットが出来ると,人間が行う作業は代替できる。
ココで2つのアプローチがあり,1つがロボット・ハンドやロボット・アームを作る外界を形成する事。
もう1つがソックリなCG空間を作り,その中でトレーニングさせる事。
GoogleがヤッてるCGの空間だと時間を圧縮できるため凄い速さで学習できるが稠密ではない。
ロボットを作る外界を形成する方は稠密だがハードウェアが変わると制約条件が大き過ぎて使えないモノが出てきたりと,どちらも問題点があり,ココを綺麗に接続する為の方法は転移学習と言う,中で使ったモデルを違う環境で再学習しなくても使えるモノが必要となる。
ココが今の地上分野での世界最先端技術の焦点で,中国がココに到達したためアメリカは劣勢に立った。
だから肝を冷やしたアメリカは焦ってChatGPTを出してきたのだ。
今後のAI(ディープラーニング)の注目点は,この未到達の手,指の動きである。
今3Dプリンターは手(指)が作れなかったため注射器で代替してピュッピュッとしている。
あの技術はプリンターのメーカーが作ったのだが,これから手(指)が出来ると原材料を摘んで捏ねる事が出来るようになる。
注射器で射出すると積層するため時間が掛かるが(積層物理限界),材料(粘土など)を摘んで捏ねて一瞬で作れるようになると劇的に進化する。
優れた造形家はヘラを使って粘土で形を作る事が出来て,手(指)があった方が3Dプリンターより早く作れる。
内部構造は3Dプリンターとかでないと出来ないが,外型は手(指)があった方が早い。
前述したように欧米圏は宗教的に人型ロボットに対する嫌悪があるため,インターネットが世界にブワっ!と広がったような熱狂は無い。
だがコレが,ある時に(手と指が使えるヒューマノイド・ロボットが出てきた時に)インターネット以上の熱狂がドカ〜ン!と世界を包む時が来る。
このように自分,峯岸はハッキリと予言する。
この事が自分は5年前に明確に見えた。
なぜならコレらの研究を中国人の学者とAIスタートアップがヤッているからだ。
自分は2020年1月末まで深圳に居て,この研究をしている友人のスタートアップ経営者たちを側で見ていたため,アジア人,とりわけ中国人が,この世界を切り拓いていく事が分かった。
2019年に深圳の図書館で人間のように動いて業務するロボットの動画をLINEに載せたが,更に進化している。
自分は2030年までに中国人たちが手(指)を使えるヒューマノイド・ロボットを作り,AIと接続し,この時にインターネットが登場した以上の大きな変化が世界でドカ〜ン!と起きると見ている。
コレが確実に起こる。
ココで決定的に欧米近代(modern)500年が終わり,中央アジアの時代へ世界覇権が移行する。
〜転載貼り付け始め〜
〜転載貼り付け終わり〜
日本にもAmazonの倉庫(物流拠点)が多数あり,人員不足で自治体も協力して雇用しているが,殆どの作業が自動化されるため,あと5年も掛からず不要となる。
コレは飲食業にも共通しており,冷凍食品はロボットが工場で作るようになり,現場のコンビニやスーパーやデパートなどのレジ業務もセルフ(無人化)になり,イート・インのスペースが拡充されてコンビニやスーパーやデパートの地下で居酒屋のような形態に持っていく事が出来る。
料理やドリンクはコンビニもスーパーもデパートも工場から直結で,製造も販売も無人化(ロボット化)でコストを掛けずに済む。
こうなると殆どの価格帯を,このコンビニ居酒屋,スーパー居酒屋,デパ地下居酒屋が持つようになり,他の小売り店を退けてシェアを占めるようになる。
自分,峯岸は,これから中国で事業を始めるなら,この形態を提案している。
Amazon Go(無人のデジタル店舗)のようなWe Chat Goを展開し,コレを彼らは外販するため,AWS(Amazon Web Services)のように店舗システムをレンタルできるようにする。
コレを中国が始めると日本が5年遅れぐらいで後を追ってくる。
この頃には日本は更に貧しくなっているため,国民は余暇で使うカネが殆どないので取り込む事が出来る。
アメリカでAmazon Goが失敗したのは宗教と制度上の問題があるからだ。
コンビニやスーパーは利益率が低い上にモラルの無い従業員がレジから売り上げ金を盗んだり外からの万引きがある。
だが中国のようにカメラ検知システムや芝麻信用(zhi ma xin yong。個人の社会的信用を数値化した信用スコア)があると無人店舗でも万引きは無い。
こうなると収益率が高い店舗となり,他の小売り店が技術革新のジレンマに陥っている間に突き出て,例えばDAZN(ダゾーン。世界中のスポーツや格闘技などを配信するサービス)はサブスクリプション・モデルに資金を張って世界を獲るというビジネスで成功している。
このような有望な事業には投資先として資金が集まる。
このように飲食業態も下から中間までの価格帯の事業は過渡期もあるがハマっていく。
なぜなら衣・食・住は人間にとって必ず必要だからだ。
だから寿司屋などの包丁1本でサラシを巻いての,職人の世界での5年も10年もの無駄な下積みと呼ばれる修行は不要である。
本当この時間は無駄で何の意味もない。
自分,峯岸も実体験として分かったが,技術を学ぶよりコミュニケーション能力を磨いた方が良く,コミュニケーションとは人と人とのコミュニケーション以外にも多数ある。
コンビニやスーパーやデパートの地下食品店は,在庫設備を1ヶ所に大きく用意しておくには物理的に限界があり,転送するにも最低1日は掛かり,ソレを予め予測した供給量だけ分散して貯蔵(保管)しておく事が店舗であり,この貯蔵から直接,買える事が無人店舗の本質なため,貯蔵かつ販売店舗が在庫リスクと戦う上で最も効率的な処理方法となる。
日本のロボット研究者を見てると,彼らは物作り発想で,誰もソフトウェア発想でロボットを印刷していない。
印刷でロボットの骨自体を作るとか,製造機械から直接ロボットが出力されてくるので,そうすると3Dプリンターの原理でロボットがロボットを作る事が出来る。
今のロボット製造法だと,このサイクルが回らない。
人間はプリンター内蔵型と考えれば分かる事で,子供が産まれるのはプリントされたモノである。
この発想が重要なのだ。
だが,こういった変化に人間が付いていけない。
自分,峯岸は,日本国民が考えているような「政治を変えなくてはいけない」ではなく「国民の性能を変えなくてはいけない」と見ているため,峯岸国家戦略研究所を通して前述した動機付けを伝えている。
そうしないと自分,峯岸には見えている未来を誰も理解できないからだ。
これまでも15年前から自分が予見(予言)したとおりに世界情勢が動いてきたが,最初は誰からも理解を得られない。
例えばバラク・オバマの登場やリーマン・ショックや欧州債務危機やアラブの春も予言したとおりに現実に起こったが,最初は「何を言ってんだコイツは?」で,誰も理解できない。
自分,峯岸の脳の中では未来が到来してソレに向かって行動しているのに,日本人は誰も理解できない。
例えて言うなら「インターネットって便利なんですか?」と訊かれるようなモノだ。
それぐらい自分と他の日本国民の間で乖離している。
だから人間がヤル必要のない仕事を低賃金で契約してしまい,そのせいで賃金が上がらないという事を理解できない。
例えばコンビニやスーパーのレジ業務は,どう考えても人間がヤル仕事ではない。
買い物でレジの前に並んで待つ度に,何で,こんな必要ない位置に人件費を充てているのかと意味不明だ。
この事が理解できないから,職人たちの下積み5年〜10年の全く無意味で無駄な時間浪費が理解できないのだ。
驚愕したのが,すき家とオリジン弁当はレジが自動になっているのに,会計時に従業員を口頭で呼ばなくてはいけなく,代金の支払いだけ自動になっている (笑)
ここ10年で圧倒的に「何やねんコレ!?」と思った瞬間だ (笑)
コレを働いている従業員が何とも思わないのが考えられない。
全く意味の無い自動化というか自動化になってなく,進化のつもりなのだろうが退化している。
現金のデリバリー・コストを理解していたら,こういう発想には行き着かない。
ATMから引き出すだけで100円200円の手数料が掛かるのに,わざわざ銀行に預金する。
デメリットしかないのに銀行に預金している。
ATMは凄い性能が高いマシンで,オフィスのOA機器と違って紙詰まりなどのトラブルは絶対ではないが無い。
その上で信用情報とネットワーク機能が付き,盗難防止のセキュリティを考えなければいけないため,壊れてはいけないのでコストがバカ高い。
世にある複雑な機械の一つがATMで,EV(電気自動車)より複雑である。
FeliCaリーダーにすれば相当なコスト削減なのに,日本人はバカ高いコストのATMに縋り付いている。
しかも現状でもATMコストに対して手数料は安いため,これからも上がっていく。
コレも金融機関の手数料商売に利用されている。
そうやって利用者が「現金利用税」という,真実は税金であるコストを払っているのだ。
この自覚が日本国民に全く無い。
だから銀行消滅の時代なのに,いつまで経っても銀行を利用しているのだ。
銀行が自身の預金を守ってくれると本気で思い込んでいる。
やたらとカード決済手数料は気にするくせに,ATM利用手数料の事は何も気にしない。
ATM引き出し手数料は低所得者ほど割高なのにだ。
AIロボットが手(指)を持つようになると,100分の1㎜や1000分の1㎜の凹凸といった職人の世界以上の精度が可能となる。
鉋(かんな)で材木を削ったり,驚くべき精度で物作りしていく。
ディープラーニングがプログラムを改良しながら学習,経験していくので,人間がヤッている事はロボットがヤルようになる。
そうなると殆どがシェアリングで済むようになるため,例えば今みたいに無駄に自動車を持つ必要はない。
駐車場のスペースが不要になれば空いた土地にコンパクトな都市も設計できる。
ココに到達すると人間がヤッている今の作業はヒューマノイド・ロボットに代替される。
この事態を欧米グローバリストらが最も恐れているのだ。
自身らの宗教思想に反する,人間の姿をした非人間が出現するからだ。
だから日本は,この分野でも世界最先端の技術を持っている中国と連携し,アジアで一致団結して地域経済圏(共同体自治)を樹立する事だ。
峯岸祐一郎 拝
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