「劣等感を抱くこと自体は不健全ではない。劣等感をどう扱うかが問われているのだ」
「劣等感」とは主観的なものである
「劣等感」とは別に「劣等性」というものがあります。
「劣等性」とは背が低いとか視力が悪いとか、足が短いなどの具体的な事実として劣った性質のことです。
一方、「劣等感」とは、自分が劣っていると「主観的に思う」ことであり、アドラーは明確に区別しています。
ということは、背が低いという「劣等性」があっても、本人が劣っていると思わなければ「劣等感」にはならない、ということです。
私の「劣等感」は太っていて運動神経が悪いこと
私は小学校に入学したころから順調に縦にも横にも成長し、今は容姿を非難する言葉としてあまり使われなくなりましたが、昔で言うところの「デブ」でした。今では体格がいいとか、ぽっちゃり系とかですかねwww
そんな体格のせいもあり運動は苦手でした。なので体育の時間も嫌いでしたし、運動会なんか雨降って中止になればいいのにと、心の中で☂雨乞い☂をしていました。
私はデブで運動神経が悪いと主観的に思っていたので、これは立派な「劣等感」の持ち主ですね。
「劣等感」と「劣等コンプレックス」
この二つもアドラーは明確に区別しています。
「劣等コンプレックス」とは「劣等感」を言い訳にして、人生の課題から逃げ出すことを言います。
つまり、劣等感をバネにして「負けるもんか!」と頑張る人は、「劣等感」は持っているが「劣等コンプレックス」は持っていないということですね。
私は「劣等コンプレックス」を持っているのか?
確かに今でも、医者から体重を落とすように指導されているので、標準体重からすると結構オーバーしていますし、運動神経も相変わらずです。
しかし、太っているからといって、運動を全くしないという選択はしませんでした。二十歳過ぎからスキーを始めて、今ではそれなりに滑れるようになりましたし、四十歳過ぎから登山を始めて、近場の低山登山ですがマイペースで年数回登っています。
運動神経が悪いなりにできることはあるだろうと、挑戦してきたので自分としては「劣等コンプレックス」を持っているとは思っていません。
「劣等感」のせいにして逃げない
現在の問題を人のせいにして、努力を放棄し、課題から逃げることが「劣等コンプレックス」なのです。
誰もが持っている「劣等感」が不健全なのではありません。
不健全なのは「劣等コンプレックス」なのです。
私は「劣等感」を力に変えられる人間になりたいですね。
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