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キャンパスライフなひととき。

4か月前

ルイス・フロイス著 松田毅一 川崎桃太 訳 『完訳フロイス日本史 大友宗麟篇』 中公文庫 第六巻から第八巻まで

2か月前

手放しで喜べないこと

0177 戦国一の美女お市と猛将柴田勝家ゆかりと歴史「柴田神社」(福井県)

ルイス・フロイス著 松田毅一 川崎桃太 訳 『完訳フロイス日本史 織田信長篇』 中公文庫 第一巻から第三巻まで

6か月前

ルイス・フロイス著 松田毅一 川崎桃太 訳 『完訳フロイス日本史 豊臣秀吉篇』 中公文庫 第四巻から第五巻まで

5か月前

少し昔〜現代の日本は、何百年か前のヨーロッパに似てる

戦場で空鉄砲はあったのか。(1584年沖田畷合戦での例)

1年前

ポルトガル出身の宣教師『ルイス・フロイス』のイラスト🎨

1年前

永禄12年(1569)4月8日は信長がイエズス会宣教師ルイス・フロイスに京都居住と布教を許可した日。理解者の足利義輝が討たれた後に京都を追われ4年ぶりの布教再開。キリシタン大名の高山友照(右近の父)らの尽力があったとか。権力者都合で保護されたり迫害されたり状況は変わるものですね。

慶長2年(1597)5月24日はポルトガルのカトリック宣教師ルイス・フロイスが65歳で長崎で亡くなった日。イエズス会士として日本を訪れ信長や秀吉と会見しキリスト教の布教の許可を得た。彼が記した「日本史」はヨーロッパから見た当時の日本や日本人について記した貴重な資料として残る。

ルイス・フロイスが見た日本 鋭い考察

本能寺の変 1582 光秀の苦悩 1 14~15 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

永禄5年(1562)6月15日、初のキリシタン大名になる大村純忠が横瀬浦(長崎県西海市)をポルトガル船との貿易港とした日。宣教師ルイス・フロイスもここから上陸。大河「信長」はフロイスが語る信長像。記憶にあるのは毎回ドラマ最後の彼の言葉「アテブレーベ・オブリガード」くらいかも…。

南蛮貿易時代の豪商・末次興善

【ルイスフロイス】戦国時代の記録から当時の生活を垣間見よう①【日本史】

【ルイス・フロイス日本史③】戦国時代の日本人の暮らしや文化や風習とは?【宣教師が見た日本を古陶磁鑑定美術館が紹介】

白鳥の歌 65;ルイス・フロイスとマルクス

【戦国時代の暮らし②】ルイス・フロイス日本史から安土桃山時代の日本人の文化や習慣を紹介【茶の湯・おもてなし】古陶磁鑑定美術館

豊臣秀吉ー戦国の野望

人生は50から! 信長公、アフリカへ行く 十九話「船出を見送るひとびと」

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★歴史情報サマリーβ版★(0084)

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人生は50から! 信長公、アフリカへ行く 十話「ジョアンが仲間になる」

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人生は50から! 信長公、アフリカへ行く 六話「ルイス・フロイスと会う」

3年前

ヨーロッパ文化と日本文化(ルイス・フロイス)

「摂津国衆・塩川氏の誤解を解く」 第二十三回 飯盛城の山下(さんげ)「北条」を考える(その2) 永禄八年(1565)アルメイダ修道士の登城と、北条?に存在した「城下の礼拝堂」について

月は船 星は白波 雲は海 いかに漕ぐらん 桂男はただ一人して

4年前

1-16.信長と宣教師たち

10か月前

永禄5年(1562)6月15日は大村純忠が横瀬浦(長崎県西海市)をポルトガル船との貿易港とした日。ポルトガル商人と日本人との間で起きた暴動事件である宮ノ前事件をきっかけにポルトガル人は平戸港に代わる港を探していた。キリスト教を学んだ忠純はのちに日本初のキリシタン大名となる。

永禄8年(1565)1月1日はイエズス会宣教師のルイス・フロイスが将軍・足利義輝に拝謁した日。5月に永禄の変で義輝が殺害された後は上洛した信長が畿内の布教を許可。活動記録として残された著書が「日本史」。西洋のキリスト教徒から見た日本。全然違う視点の記録で見られるのがいいですね。