子供を体罰で躾けるようになったのは明治以降
子供の虐めが過去最多だというが、児童虐待件数も年々増加傾向にある。虐待をする親の側は大抵の場合「躾」だったと言うわけだが、そもそも日本に「体罰」が持ち込まれたのは明治以降の事であり、「子供を体罰をしない事」は明治初期まで続いた本来の日本の伝統だった。例えば16世紀に来日したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは自著の中で次のように記したている。
大森貝塚の発見者で幕末に来日したエドワード・モースは、
と記している。
明治初期に日本を訪れた旅行家イザベラ・バードは、
と記し、明治以前に日本を訪れた外国人は、自国では子供を鞭で叩いて躾けるのに対し、日本では全くと言っていい程それが無く、子供がのびのび育てられている様子に一様に驚嘆しているのが伺える。少なくとも明治以前は子供が虐めで自殺するような社会でもなかったはず。
しかもこの頃は「人権」などという概念も日本にはまだ存在していない。フランス革命によって確立した「人権」が日本に入ってきてからの方が子供はむしろ非人権的に扱われている。乳児死亡率が高かった事もあるが、「子は宝」だった時代の方が子供は大切に扱われていた。その時代には「子どもの権利条約」も無いし、子供は「子ども」と書かなきゃみたいな表層的な配慮ももちろん無い。
ではなぜ今日虐待が蔓延るようになったかと言えば、明治期の欧化政策で西洋風の教育が「文明的」とされ取り入れられたからで、特に軍隊で体罰が横行してしまったのは、戦後の日本にも体罰や虐待を根付かせる要因にもなってしまった。その帰結として、公園で遊ぶ子供は煩がられ、電車のベビーカーは疎ましがられる存在にまでなった。明治期の西洋化が今に残す因習を排除しなければ、いくら「少子化対策」を叫んでも到底実現することはない。
尚、今でこそ「イクメン」などと言われるが、西洋化以前の日本では男が育児をするのもザラだったようで、
イザベラ・バードはこのようにも自著に記している。男は外で仕事、女は内で家事育児ワンオペ、なんてのも全く日本の伝統ではなく、男尊女卑も西洋化で持ち込まれた悪習だったという事を、「保守」を自称する者らこそは知るべきだ。