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0177 戦国一の美女お市と猛将柴田勝家ゆかりと歴史「柴田神社」(福井県)

柴田神社しばたじんじゃのご利益

美(モテ)祈願、美貌、縁結び、家庭・夫婦円満、子孫繁栄


柴田神社の360度ビュー

柴田神社しばたじんじゃについて

戦国一の絶世の美女、お市の方(柴田勝家の妻で織田信長の妹)がまつられ、美しくなり、モテるご利益と、勝家夫婦と三人の娘の夫婦円満、家庭円満、そして子孫繁栄と、美ときずな、歴史のパワースポットです。

お市の方像

お市の方はモテモテの美貌だけではなく、聡明さも持ち合わせていたことから、外面と内面ともに美しくなりたいと願う女性たちに人気があります。
神社では「美(モテ)祈願」ができます。

鳥居。くぐってすぐ左手に手水舎、右手に稲荷神社があります。
稲荷神社は京都伏見稲荷より柴田勝家が勧請し、北ノ庄城の鎮守としたものです。

清楚で凛とした、慎ましやかな女性の心が育まれるご利益
心根の優しさを復元させ、芯の強い女性の氣があふれるご利益
こんなご利益があるのなら、女性に人気があるのもうなずけます。

柴田勝家公像

主祭神は柴田勝家。モテモテのお市の方の話題ばかり先行しましたが、勝家は織田信長配下の古参の猛将で、9層の天守閣を持つ安土城をも超えるような日本最大級の北ノ庄城をこの地に築城しました。

鳥居、柴田勝家公像、左手にあるのは拝殿。

天正9(1581)年4月に北ノ庄城を訪れた宣教師、ルイス・フロイスは、その城のあまりの壮観さに感嘆したことが、彼が本国ポルトガルにあてた書簡の中にその報告として残されています。

本殿

北ノ庄城は天正11(1583)年の賤ケ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れた勝家が自ら火を放ち、お市の方とともに壮絶な最期をとげ、城は築城から8年で焼失。
境内には石垣や溝や堀などの城の遺構が残っています。

境内にはお市の方の三人の娘、茶々ちゃちゃはつごうを祀る三姉妹神社があります。
最後になりますが、お市の方が最初に嫁いだ浅井長政(戦国一の美男子)との間に生まれた、この姫たちのことを紹介しないわけにはいきません。

三姉妹像
左は茶々(長女)、右が初(次女)、中央に江(三女)

茶々ちゃちゃはのちに秀吉に嫁いで側室となって寵愛を受け、秀頼を出産した淀殿よどどの
はつは名門の京極高次の正室となり、出家後は常高院じょうこういん
ごうは三度目の結婚で家康の三男、徳川秀忠に嫁ぎ、のちに御台所みだいどころに。

淀殿(茶々)は徳川家と対立し、大坂城落城により自害しました。
常高院(初)は豊臣家と徳川家の和議に尽力、晩年は静かに過ごしました。

江の娘の正子は天皇家に嫁ぎ、のちの明正めいしょう天皇を授かります。江は天皇の祖母となったわけです。二度目に結婚し、死別した豊臣秀勝とのあいだに生まれた娘の血筋は大正天皇の皇后とつながり、昭和天皇の先祖ともなります。

豊臣・徳川家とともに歴史上まれに見る数奇な運命をたどった三姉妹のことはどれだけ字数を費やしても書ききれないほどですが、元は織田信長につながります。福井県と織田信長に関する記事を紹介して終わりにします。


アクセス(GoogleMaps)

公式サイト・参考サイトなど

▼神社のある柴田公園の見どころを遺構や資料館などを含め紹介▼

▼勝家、お市の方、娘の三姉妹など歴史を重点にモテ祈願とご利益や、勝家・お市の方のお墓など近隣スポットも紹介▼

▼【公式】祭神・歴史行事祈祷御守アクセス・境内案内など▼

▼柴田公園の公式サイト。発掘調査の成果や柴田勝家の遺業など▼

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