本能寺の変 1582 光秀の苦悩 1 14~15 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
光秀の苦悩 1 嫡男光慶
*14~15は、バックナンバーです。
14 光秀は、悩んでいた。
光秀の年齢。
光秀は、かつて、大病を患ったことがあった。
吉田兼見がその証人である。 「兼見卿記」『日本史』
信長は、使者を派して光秀を見舞った。
15 光秀の嫡男は、光慶である。
明智光秀張行百韻 天正十年五月二十七日。 「続群書類従」
この時、光慶は、まだ13歳だった。
光慶は、ルイス・フロイスの『日本史』に登場する。 『日本史』
フロイスもまた、歴史の証人である。
⇒ 次回へつづく