チベット密教の経典に書かれている人間が幸せに生きるための哲学を学んでいる。他人に対するどのような行為でも、良い行為であれ、悪い行為であれ、それをやった後はあなたの生きた奇跡にずっと消えずに残るのです。「それをやり終えて嬉しかったですか?もう一度やりたいですか?責任を取れますか?」
結局 地味で地道な日常を熟さなければ不成。行を行おう では無くそう思う間も無く常に行うべきもの。行い続けるもの。
シラフで常時覚醒状態に持っていくプロセスにも通ずる神道修行。もちろん組み合わせる事も大切だが、10年以上の肉体的修行を繊細に積み敬意を持って臨む事が前提であり、師がいないのであれば1人で行うのは社会的、精神的に危ない。極度の幻覚と幻聴で部屋から一歩も出られなくなった事例もある。
丹田のエネルギーを最大限に引き出す修行法で、スピリチュアルな成長と科学の知見を得る—豊かな人生と健康を手に入れる鍵です。
練習ではなく日常。時間で区切らず。
古神道、原始仏教、原始密教の真髄は孤独と己との闘い