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チベット密教から学ぶ、流れにまかせる生き方も悪くない

読んでくださりありがとうございます。

今日は友達に紹介されて読んだ佐藤伝著「祖父・多田等観が語った チベット密教 命がホッとする生き方」の感想を書きます。


感じることが最初

人は心で感じたことが、その人の考え方につながって、考え方が行動になる。そして行動したことで、心で感じることが影響されて、考え方につながり、行動を決める。  

感じることが最初で→それが考えになり→行動につながる。人間はその命に終わりが訪れるまで、このトライアングルによって動きつづけます。  そしてこのトライアングルが一定の傾向、規則性をもってくれば、くせ、すなわち「習慣」となって固定化され、人生の質を決めていくのです。

佐藤伝著「祖父・多田等観が語った チベット密教 命がホッとする生き方」より引用

同じような表現でチベット密教の奥義として「魂がホッとするほう、楽しい方へ行け」とも説明されています。

大きな問題ほど人は論理的に考えてしまうと思います。しかし、人生の選択は大きいほど正解なんてありません。だからこそ、自分の直感で選んでも良いと思っています。

ただ、直感だけだと不安になる方も多いと思います。そんな人はぜひミッションステートメントを作成してほしいと思います。自分の価値観をミッションステートメントで言語化しておくと、選択肢で悩んだ時に「どちらが自分のMSに近いか?」を考えるだけですみ、選択が早くなります。

安定と変化を超えて、その上の成長を目指す

安定していると変化を求め、変化が多すぎると安定を求める。この間をいったりきたいしているうちは心が安定しません。そんな時は、「成長を目指せば良い」とこの本では説いています。

では安定でも変化でもなく「成長」とは何でしょうか?変化でも安定でもなく、「手放す」ことだそうです。

「手放す」とは「安定」にも「変化」にも執着しないことではないかと思います。

執着しない、とは、そうなってもいいし、そうならなくてもいい。どっちでもいいと思うことです。

「安定」を求めてもいいし、求めなくてもいい。「変化」をしてもいいし、しなくてもいい」

「こんな平凡なサラリーマンをやっている」のもいいし、「ニューヨークに行って好きなことにチャレンジする!」のもいい。「このまま平凡な主婦を続け」てもいいし、「夫や子どもを捨てて会いに生きるわ!」でもいいのです。

要するにどっちだっていい。どちらでもいい、と思えたとき、「安定」も「変化」を手放して、その上にある魂の「成長」に向かっているのではないでしょうか?

佐藤伝著「祖父・多田等観が語った チベット密教 命がホッとする生き方」より引用

「どっちでも良い」という考え方は、自分の人生に責任をとっていなようで違和感がある方もいると思います。

ここではどのような結果でもそれを受け止めると言うことだととらえました。本書でも「結果を手放すと、不思議にどんどん結果がついてきます」と書かれています。

どんな結果でも「成長」の機会だと捉えられるようになりたいと思います。

徳を積むには、ご縁のあった人の心を軽くするだけでいい

「徳積みはな、ご縁があった人の心をほんのちょっぴり軽くするだけでいいんだ。たとえばお前の学校で、泣いている子がいたとするとな、その子に『大丈夫?』と声をかけてあげるだけでいいんだよ。そのひと言で、ご縁があったその友だちの心がちょっぴり軽くなるんだろ。それだけでりっぱな徳積みになるんだ」

佐藤伝著「祖父・多田等観が語った チベット密教 命がホッとする生き方」より引用

最後に上げたのは「徳積み」についてです。ここでは特に「ご縁のあった人」と書かれている点に惹かれました。

最近思うのは、まず自分を大切にする。そして次に自分のご縁をもらった人を大切にする…という考え方です。

世の中たくさんの人を幸せに出来れば良いけど、残念ながら自分にはそこまでの影響力はありません。…であれば、せめて自分に何かのきっかけでご縁を頂いた人は大切にしたいと思います。

やみくもに量を求めるのではなく、つながった人との質を優先できるように暮らしていきたいと思います。

今日の質問
あなたの手放したい想いは何ですか?




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