茄子を料理していたら、母が良く作っていた蒸し茄子を思い出した。 茄子料理の思い出は案外あることに気付いた。 母の作る甘い味付けが美味しかった。
何年か前の記念式典で、 「今日が晴れでなくて良かった」と男性が話されていた。 今日は青空。 よみがえる記憶にもやっと慣れてきた。
なんとまあ思いがけないことに、高校の時のノートが出てきた。 最初の数ページしか書かれていないノートを、母がまだ使えるからと取っておいたのだろうと思う。 捨てられない性格をもっと早く理解していたら、自分で捨てておいたのに。いや、母に捨ててと頼んだ中から引き抜いておいたのかもしれない
母の最期に母の施設の看護師さんからの電話で綺麗事で責め立てられたことをふと思い出した。 暑いからいろんなことを思い出す。
実家の長兄の仕事部屋を片付けていた。 兄は下請けがメインの設計事務所をしていた。 父も自宅で設計をすることがあったから、設計の道具は幼い頃から馴染みがあった。 ただしそれは玩具として。 父の留守にこっそりと遊び、見つかって後で叱られていた。 叱られても触りたい子どもだった。
今年は早かったようで、少しだけ白い睡蓮が咲いていた。 母が亡くなって半年。 母は私に「憎らしい」とよく言った。母に全く似ていない私を「鬼子」だとも。 私は生まれてきて良かったのかな?と 水面を眺めながら思った。
ギンガムチェックが流行りらしい。 だから何?とオバサンは思う。 父が亡くなる直前の夏、私は黒のギンガムチェックのワンピースドレスを作った。 なぜか、そんな色を子どもが着るものではないと父は異様に嫌がった。 18歳の夏。 もうじき誕生日がくる。
笑うしかないことはよくある。
かなり昔を振り返ってみても、4月はいろいろ有った。
昔私に 「逃げることが必要な時もある」 と言ってくれた人がいた その時 逃げる場所も逃げ方もわからなかった 「逃げる」という意味さえわからなかったから、逃げたいとも思わなかった ただこの場から消えたいとは思った 消えることもできなかったから、 今に続いているだけ
「自分だけの部屋」という本を読み始めている。 子どもの頃、私には個室がなかった。私は私の部屋がとても欲しくて、いろんな場所を自分だけの場所にしようと試みていた。 外観は大きな家だったが、子どもが育つには相応しい家ではなかったのだろう。
文字に残しておきたい気持ちがある反面、文字には残したくない気持ちもあるものだと思う。 母はよく私に、「書くこと」を押し付けるように勧めてきた。 母はよく書き物をしている人でもあった。しかしそれは他人が目にした時に凶器の様なものでもあった。 母が亡くなったら私はまずそれを廃棄したい