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初めて母になった日

 28年前の今頃、私は陣痛室で暑さを堪えていた。
蒸し暑い日だった。
陣痛室には冷房が入っていなくて、汗だくで入った分娩室の涼しさを肌が記憶している。

 破水から始まった初めてのお産。
当時実家にいた私は、タクシーを呼ぶほどの距離でもない産婦人科に一人で歩いて行った。交差点を一つ越えた先の産婦人科は、いつもの犬の散歩コースの途中にあった。スーパーの買い物のほうが遠かったから、荷物を持って歩けたかもしれないぐらい、普通の体調だったけれど、必要な荷物は母が後で届けてくれた。

 入院が決まって、陣痛室に通された時も、お腹の感じはいつもと変わらなかった。だから看護師さんに「お薬飲んで下さいね」と私の口の中に白い錠剤を1錠入れらた時も何の疑問を持たなかった。
 その薬が効き始めた時には、もう産まれそうなほどの強烈な陣痛が始まっていた。

破水はしていても、子宮口は開いていなくて、強烈な痛みと吐き気をただただ耐えるだけだった。
陣痛は強烈でも時間の間隔は空いていたので、配膳された夕食を食べる意欲はあった。
その日のデザートはスイカだった。暑い日にとても嬉しく感じた。だけど三角に切られたスイカを口にしたとたん
、強い陣痛に襲われて私はせっかくのスイカを全部吐き出してしまった。
食べたいと思って食べ物さえ食べられないほど、陣筒促進剤の陣痛は強烈だった。

それなのに、時間と共に薬の効き目は弱まり、いざ子宮口が前回大になった時には、どのタイミングでいきんで良いのかわからないほど弱くなってしまっていた。微弱陣痛ではないが当然お産は長引き、分娩台に乗っても、うまく赤ちゃんを産み出すことができずに、吸引分娩になった。

何もかもが初めてのこと。ただただ言われるままに従うしかなく、痛かったことよりも情けなさがずっとつきまとっていた。

母は強なんて、とても思えず、
自分の弱さだけをつくづく思い知らされた。

あの日から28年経っていても、思い出すのは産まれた瞬間に感じた屈辱。
その想いは、子育てとは別のもの。

こんなことを書くつもりではなく書き始めたのに、
やっぱり忘れられなかった。