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【日本史まとめ】江戸時代における吉原遊女

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遊女についての記事をここにまとめたにょ🐒
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記事一覧

吉原遊女の心情についても、考えてみてほしい

吉原遊女の心情についても、考えてみてほしい

やっほー、瑠奈です。

わたくし、現在25歳。
昨年の3月に大学院を修了しておりまして、
大学院では「江戸時代における吉原遊女の心中」を研究しておりました‼️

そしてわたくし、大河ドラマ「べらぼう」について、最近めちゃくちゃポストをしておりまして。

その中でも、皆さんが割と反応してくださったポストがあるので。

今回は「大学院で吉原遊女の心中」を研究していた私なりの「吉原遊女に対する私の考え」

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大河ドラマ「べらぼう」第1話解説②忘八(ぼうはち)とは?

大河ドラマ「べらぼう」第1話解説②忘八(ぼうはち)とは?

やっほー、瑠奈です。

大河「べらぼう」に忘八が出てきましたね〜‼️
ということで、今回も簡単に解説致しますわよ〜‼️

忘八とは忘八(ぼうはち)とは、遊廓のオーナーである楼主のことを指します。

『五雑爼』という中国古典に書かれる仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つの徳目をすべて失った者という意味です。

亡八は、古くは、遊廓で遊ぶ客を指していましたが、天保期には楼主を意味するようになりました。

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大河ドラマ「べらぼう」第1話解説①桶伏せについて

大河ドラマ「べらぼう」第1話解説①桶伏せについて

もうNHK大河「べらぼう」ブームですからね。
こちらも乗らせていただきますよ〜。

私、大学院で「江戸時代における吉原遊女の心中」を研究しておりました‼️

なので、もう「べらぼう」の中にでてきた吉原関連のものを1つ解説しちゃおうかな〜と思います。

では早速いきましょうかね。

「べらぼう」の中に出てきた

桶伏せ‼️

桶伏せ(おけぶせ)を皆様覚えておりますでしょうか。

これね。

横浜流星

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江戸時代における吉原遊女を研究していた私が、大河ドラマ「べらぼう」を見た結果①

江戸時代における吉原遊女を研究していた私が、大河ドラマ「べらぼう」を見た結果①

わーー始まりましたね〜!

NHK大河ドラマ「べらぼう」‼️

私は大学院で、「江戸時代における吉原遊女の心中」について研究しておりましたので、
ワクワクしながら「べらぼう」を拝見いたしました。

まだ第1話だからね〜!
投込寺のシーンは、Xで色々騒がれていましたが。

ここから私の勝手な、個人的な、感想をつらつら書いちゃおうかな〜。

○感想

まず、画が結構色彩豊かでしたよね。
私はいつも文

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【日本史】「江戸のメディア王」蔦屋重三郎とは?

【日本史】「江戸のメディア王」蔦屋重三郎とは?

やっほー、瑠奈です。

今日からNHKで蔦屋重三郎が始まりましたね。

吉原で生まれた蔦屋重三郎。
吉原遊廓と、関係がとてつもなく深いので、
今回は蔦屋重三郎を簡単にご紹介いたします。

蔦屋重三郎とは?蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)
1750年(寛延3)〜1797年(寛政9)
江戸時代中期から後期にかけて活動した版元です。

現代で言う出版社的なね。

生まれは色街である吉原。
そのため、両

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【日本史】江戸時代における吉原遊女の最期は投込寺?「浄閑寺」

【日本史】江戸時代における吉原遊女の最期は投込寺?「浄閑寺」

やっほー、瑠奈です。

本日は日本史シリーズ。
吉原遊女の行き着く場所、投込寺について
ご紹介いたします。

良かったら読んでね💐

投込寺遊女は亡くなると菰にくるまれ、「投込寺」に葬られた。
「投込寺」とは、引き取る人がいない、無縁の死人を葬る共同墓地で、墓地の穴に投げ込まれたことから、文字通り「投込寺」と称された。
江戸時代は三ノ輪の浄閑寺、新鳥越の西方寺等が投込寺として存在した。

三ノ輪

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【日本史】猫の絵だけど、猫の絵じゃない(名所江戸百景)

【日本史】猫の絵だけど、猫の絵じゃない(名所江戸百景)

こんばんは、瑠奈です。

自己紹介はこちら👇

今回は歌川広重の作品『名所江戸百景』を取り上げようかにゃと思います🐱

これは、広重が描いた『名所江戸百景』シリーズの一つである「浅草田甫酉の町詣」 という作品です。

まず、猫。

この絵を見た時、猫の絵に見えるかもしれませんが、広重が描きたかったのは、本当に猫なのでしょうか。

一つずつ、見ていきましょう。

猫が見ている先に、富士山、田んぼ

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【日本史】鯰絵と吉原遊女「志んよし原大なま津ゆらひ」

【日本史】鯰絵と吉原遊女「志んよし原大なま津ゆらひ」

こんばんは、瑠奈です。

自己紹介こちら👇

今回は鯰絵(なまずえ)についてご紹介します。
鯰絵と吉原遊女はどのように関係があったのでしょうか。。。

鯰絵とは

江戸時代、ナマズは地震を起こすものと考えられていました。
鯰絵というのは、地震の原因である「鯰」を主に描いた錦絵のことです。

(錦絵というのは、浮世絵の一つ。)

一般的に、1855年(安政2)10月2日の夜に江戸で発生した安政大地

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【日本史】遊女が客をお仕置き!?『青楼絵本年中行事』

【日本史】遊女が客をお仕置き!?『青楼絵本年中行事』

やっほー、瑠奈です。

自己紹介はこちら‪🫶

今回は日本史 シリーズ。
遊女と客のおもしろい関係性を
『青楼絵本年中行事』からご紹介いたします。

『青楼絵本年中行事』とは

1804年(文化元)に刊行。
一年に渡って行われる吉原遊廓で行われる年中行事を描いたもの。
喜多川歌麿が絵を描き、十返舎一九が文章を書きました。

「青楼」とは、吉原遊廓を指しています。

遊女が客をお仕置?

そう、

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【日本史】絵の奥行を感じる『月の陰忍逢ふ夜』

【日本史】絵の奥行を感じる『月の陰忍逢ふ夜』

やっほー、瑠奈です。

自己紹介はこちら👇

今回は日本史。
歌川国貞『月の陰忍逢ふ夜』をご紹介いたします。

月、風鈴、うちわ。
なんて風流なのでしょうか。
月光に白い肌が照らされ、色っぽい。

お月見は江戸の人々の楽しみの一つ。
お月見人気スポットは、高輪、隅田川、不忍池。

島田髷の元結に、簪が3本。
銀色、金色、飾りのついたもの。
おしゃれですね。

浴衣の柄も松竹梅、帯の柄は象さん柄。

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【日本史】吉原遊廓の正月

【日本史】吉原遊廓の正月

あけましておめでとうございます、瑠奈です。

お正月、皆様いかがお過ごしでしょうか🎍

お正月ですので、今回は吉原遊廓の正月についてご紹介します。

吉原遊廓の正月正月になると、吉原の表通り(仲の町)では、
通りを挟み向かい合う二軒の妓楼(遊女屋)が
通りの中央にそれぞれの門松を自分の見世に向けて飾ります。

そう、逆なのです。
遊女屋に向けて、門松が飾られ、道の方が後ろとするのが決まりだったそ

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江戸時代の「イイオンナ」とは

江戸時代の「イイオンナ」とは

やっほー瑠奈です。

今回は日本史っぽい感じで
江戸時代のイイオンナについて書こうかなと思います。

井原西鶴『好色一代男』では、主人公である女性の容姿について細かく書かれていますので、そちらを挙げてみましょう。

【外見】
・口が小さい
・歯が粒がそろっていて白い
・耳は長め
・手の指が長細い
・爪は薄め
・足も小さめ
・首が長い
・胴は長め
・あまり肉付きが良いわけではないが、お尻は大きめ

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【日本史】江戸時代の吉原遊廓には、僧侶も通っていた!?

【日本史】江戸時代の吉原遊廓には、僧侶も通っていた!?

やっほー瑠奈です。

現在24歳。
大学院を修了しているため、社会人一年目の年ですが新卒3ヵ月で退職しました~~。

大学院では「江戸時代における吉原遊女の心中」を研究しておりました~~。

一応自己紹介も入れておこうと思います。笑

そして今回は日本史シリーズ。
タイトルの通りですが。。。

僧侶って遊廓に遊びに行ってもいいの!?って疑問に思ったことはありますか?

今回は僧侶の登楼事情について

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【日本史】職場恋愛NG!遊女屋内での恋愛はご法度だった!?

【日本史】職場恋愛NG!遊女屋内での恋愛はご法度だった!?

こんばんは、瑠奈です!

本日は久しぶりに日本史シリーズでございます~~!

今回は遊女屋内での恋沙汰についてです。

良かったら最後まで読んでね~~。

遊女屋内での恋愛は禁止されていたタイトルにもある通りすぎますが、、、

遊女屋内において、遊女との恋沙汰は固く禁じられていた。
恋沙汰というより、性的関係の方が正しいかもしれない。

妓楼内において、客以外に、遊女と性的関係を持つような存在はい

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