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#エッセイ
紫陽花が好きすぎる話
「紫陽花の季節は去った」とみなさんが思っているこの時期に、あえて紫陽花について語ってみたいと思う。実はね、まだ咲いているのです。
こんなふうに🐾(写真を御覧ください^_^)
私の家周辺の紫陽花たちを撮影して来ました。
ほら、どうです?
まだ美しく咲いているでしょ?✨
二十代の頃、森瑤子さんの作品が好きだった。そういう熟女的な雰囲気で小説を書いてみたいと思い「朽ち果てた紫陽花の向こうに咲く秋桜。
it's a note world
とてもたくさんの人が
毎日のようにやってくる
とてもたくさんの人が
いつのまにか居なくなる
それは現実だったり
現実じゃなかったり
それは過去だったり
未来だったり
それは夜だったり
朝だったり
それは明るかったり
暗かったり
当たり前のように
やってきて
当たり前のように
去っていく
it's a note world
さぁ、はじめよう
it's a note wo
「ダンバー数」とは何か。/国家と憲法に関する考察
人は利己的な存在と思います。
「自分さえ良ければ」という思考が本能的に備わっているのかもしれません。
思い遣りとか利他行とか、各種宗教や道徳で説かれるものは、即ち説かなければ達成されない行動ということを示しています。集団として望ましくも個人としてどうでもいいようなことは、外的要因がなければ、あるいは人格形成期にそのようなインプットがなければ、選択されなくて当然です。
集団や個人といいまし
「好き」が行方不明だった頃の話
小学校高学年の頃のことです。
私は「いい子」であろうとしました。
そうなったのは何時からだったのか、忘却の彼方の記憶ですが、少なくとも小学1年生の頃には「いい子であろう」とする脅迫的な観念が私を追いかけていました。大人たち(特に親と教師)の満足する「正解」を探して、模範的な解答を出すように努めました。
自分の好きなものよりも親の期待するものを欲しがり、先生から「お願い」されて嫌いなクラ
スキなら片思いより両思いが断然いいよねっていうnoteの繋がり方の話。
人が人を思うときの片思いや両思いって、現実世界での社交というお付き合いだけで無く、SNSの世界でも同じだと思いますね。
私はnoteを始めてから毎日更新していますが、もうかれこれ200日近くになっちゃいました。
その連続投稿を続けている間に、何度か途切れそうになったんだけど、なんとか踏ん張れてここまで来られたんですが、それもこれも読んでくださったりスキもらえたり、コメントまでいただいたのがずい