マガジンのカバー画像

145
五行詩は短詩だけど俳句や短歌に比べて規則もないのでもっとも作りやすい詩かもしれない。目指せ五行詩の芭蕉? 五行詩だけでなく他の多行詩も加えました。
運営しているクリエイター

2024年6月の記事一覧

シン・現代詩レッスン30

シン・現代詩レッスン30

今日は『新訳決定版 ファウスト 第二部』から。悲劇ということなんだがアリストテレス『詩学』では古典悲劇は詩ということだった。

「詩学」で悲劇の重要なものとして、「カタルシス」を上げている。ゲーテ『ファウスト』ではメフィストがファウストを悪の道に誘うところ踏ん張って最後にメフィストの血の契約を反故にして、天使の側に付く。その前段階で四人の女が登場してファウストを誘惑しようとするのだが、それを拒否す

もっとみる
詩の創作の方法論

詩の創作の方法論

『詩の本〈1〉詩の原理 』監修:西脇順三郎,金子光晴(1974年)

日本近代詩の流れ―詩論の展開(大岡信)

現代詩が「新体詩」からはじまったのは、それまで詩といえば漢詩であり、俳句や短歌(和歌)は詩というイメージは持たれて無く歌というのに近いのかな。詩という形を成したものが外国詩として翻訳されたのが「新体詩」と新しいスタイルを持ったのだ。それは小説の言文一致という散文の運動と連動していたようで

もっとみる
シン・現代詩レッスン29

シン・現代詩レッスン29

テキストは『文選 詩篇(1)』から「献詩」曹植「躬を責むる詩」。そもそも漢詩に興味を持ったのは中国ドラマを観ていて、やはり漢詩がでてくるのである。中国ドラマでは『光る君へ』で和歌が重要なポイントになっているように漢詩も重要なポイントになっているのである。そもそも日本の歌物語(『源氏物語』のような)も中国の古典の影響を受けているのであった(『白氏文集』とか『文選』などはテキストして引用されたりした)

もっとみる
寺山が否定した詩が輝く時代

寺山が否定した詩が輝く時代

『戦後詩―ユリシーズの不在』寺山修司

寺山修司の「戦後詩」は「荒地」派の否定から始まる。それは死の観念に憑かれた難解詩よりは今を生きて歌う星野哲郎の流行歌(演歌)を評価する。そこの抒情歌に対する評価と好みなのだろうか?今では星野哲郎の演歌など誰も評価しないと思うが。たとえば黒人ブルースを歌ったラングストン・ヒューズの詩とかには心惹かれた。ケストナー『抒情的人生処方詩集』とか。そうした言葉の癒やし

もっとみる
漢字が難しいのが難点。

漢字が難しいのが難点。

『文選 詩篇 (一) 』川合 康三/富永 一登/釜谷 武志/和田 英信/浅見 洋二/緑川 英樹【訳注】(岩波文庫)

『文選』の詩篇ということで漢詩中心のようだ。元は120巻の文集だったのか。膨大な量である。

その中の「詩篇」だけでも文庫本で6巻もあるのだった。読み切れるかわからないが、日本の文芸でも手本とされたようだった。

巻19 補亡、述徳、勧励(補亡;述徳;勧励)

「補亡」は本文の詩が

もっとみる
シン・現代詩レッスン28

シン・現代詩レッスン28

テキストはエーリヒ・ケストナー『人生処方箋詩集』。そもそも詩が作者の意図通りに読まれるということがあるだろうか?例えばここにまとめられた詩は、ナチス・ドイツによって禁書とされ、ドイツ人の学生たちの焚書のターゲットとなった詩なのである。それ以前の詩は、ドイツの若者たちを熱狂させた詩であると言われている。それはケストナーが意図してベストセラーを狙ったり焚書の憂き目に合わせるために書かれた詩でもなかった

もっとみる
シン・現代詩レッスン27

シン・現代詩レッスン27

テキストは寺山修司『戦後詩』,第五章「書斎でクジラを釣るたまの考察」から。最終章はベスト7選出なのであった。ベスト5でもなくベスト10でもなくラッキー7が寺山修司らしさなのだろうか?あまり数は問題ではなく、寺山修司がどんな詩人を選ぶかだった。詩ということだけれども、俳句と短歌も入れている。それは桑原武夫「第二芸術論」を踏まえてのことだ。つまり俳句でも短歌でもそれが十分文学として成り立つとした上であ

もっとみる
シン・現代詩レッスン26

シン・現代詩レッスン26

テキストは寺山修司『戦後詩』,第四章「飢えて死ぬ子と詩を書く親と」から。サルトルの言葉「飢えている子共たちの前で詩は可能か」。詩ではなく文学となっていたのだが、そういうサルトルは文学を続けてきたのではないのか?ひとりサルトルだけが特例ということはあるまい。要は飢えている子供たちとは関係ないような資本家の手先になるような詩ばかりがこの時代横行していたのかもしれない。

こういう言葉は考えなくてもいい

もっとみる
シン・現代詩レッスン25

シン・現代詩レッスン25

テキストは寺山修司『戦後詩』に戻って第三章「詩壇における帰巣集団の構造」から。詩より短歌や俳句にみられる結社主義みたいなもは、作者=読者であり、きわめて内輪的な「鬼ごっこ」をしているという。そういう場を以前なら否定していたかもしれないが「遊び場」みたいなスペースならそれもいいかなと思うのである。それは孤独になることは当たり前のように自分の中にあるからで、そういう2面性を生きるゲーム化はありじゃない

もっとみる
シン・現代詩レッスン24

シン・現代詩レッスン24

テキストは寺山修司『戦後詩』に戻って第二章「戦後詩の主題としての幻滅」から。寺山修司が否定する戦後詩は「荒地」派の日本の先行き真っ暗だぜという、今読むとけっこう惹かれてしまうのだが、寺山修司は今いる若者のようにそんなに未来がなくてどうするというものだった。そこで持ってきたのが朝の思想という「おはよう」詩というような谷川俊太郎を上げるのだった。だが今の日本の状態が谷川俊太郎のような詩が一人勝ちのコピ

もっとみる

シン・現代詩レッスン23

テキストは『教科書の中の世界文学: 消えた作品・残った作品25選』から尹東柱「たやすく書かれた詩」。90年代は学校教科書に尹東柱の詩も載せていたのだ。韓流ブームだったからか?直接の契機は茨木のり子が紹介した本『ハングルへの旅』がヒットしたからとあった。他にも李正子(在日歌人)の短歌が掲載されていたりいた。1989年の芥川賞が李良枝(在日作家)だった影響もあるようだ。

ただし同じ頃に高史明のエッセ

もっとみる
シン・現代詩レッスン22

シン・現代詩レッスン22

テキストはハン・ガン『引き出しに夕方をしまっておいた』。ハン・ガンは小説が紹介されて韓国文学ブームを起こした韓国の作家。私もハン・ガンは大好きな作家で過去にもnoteに紹介していた。

今日はそのハン・ガンの詩で韓国では最初詩人としてデビューしたそうである。韓国では詩が盛んな国なのは民主化運動とかあったからかもしれなかった。日本の60年代の雰囲気で言葉に対して熱かったのだ。今はその後の日本のように

もっとみる
シン・現代詩レッスン21

シン・現代詩レッスン21

テキストは『万葉集』。今日は長歌(柿本人麻呂)にトライしてみる。挽歌形式をやってみたいのだ。死に対する日本人の感情は挽歌形式にあるのかもしれない。

長歌は五七調(七五調でも)続けて、結末は七七で締める。そして、反歌(死者の呼びかけ)として短歌が詠まれるのだ。今回は実験作ということで古典にチャレンジしてみる。それは『異聞 源氏物語 紫陽花』の巻をとりあえず和歌でやりたいと思ったからだ。

紫陽花は

もっとみる
シン・現代詩レッスン20

シン・現代詩レッスン20

テキストは『続・長谷川龍生詩集』。続になると散文詩もあったりして難しくなっていく。ちょうど、70年代の万博の頃から、この頃が高度成長期の衰退の始まりだったとか。絶頂期にも思えるが。公害問題や学生運動の敗北やらの陰が見え始めた時期だろうか?実存主義から「しらけ」世代という感じなのかと思う。長谷川龍生は外タレの客引き(広告業か?)をやっていたが排除されたという。そうした中で企業主体の暴力性社会があった

もっとみる