【アニータ・ムアジャー二】ガボール・マテ医学博士との対談 2022年9月- 「フツーという神話」(動画・翻訳)
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トラウマや依存症に詳しい医師、ガボール・マテ医学博士 "The Myth of Normal: Trauma, Illness, and Healing in a Toxic Culture" September 2022 出版記念対談動画 The Myth of Normal with Dr. Gabor Mate
2022/09/21 にライブ配信(40分28秒)Anita Moorjani Official YouTube Channel
【オリジナル動画(英語音声)で聴きたい方はこちらの「オリジナル動画」からどうぞ】
翻訳した私/ はろ・Haloから補足させてください。
私の個人的な経験になりますが、30余年前、3ヶ月という入院期間、1ヶ月前まで告知されずに(本人には告知せず)、末期ガンで突然母親を失った長女としての経験、それから11年後に、別の器官のガンで父親を失った経験を持つ私にとって、ガボール・マテ医学博士やアニータ・ムアジャーニの語る「病気を治癒するのは自分の責任だ」という考え方は、ほんのつい数年前まで、頭で文字面を何とか理解できても、腑に落ちるというレベルまで、到底受け入れ難い考え方だったと思います。だからこそ「病気を治癒できるのは、他の誰でもない自分自身だ」という記述を読んで、これ以上辛い苦しい思いをされる方には、今このタイミングで、この動画の翻訳を読むことをお勧めできないかもしれません。自分の人生が自分の抱えていく病気と決して無関係ではなかったことが明らかになるプロセスは、どちらかといえば辛い作業であり、暗い気持ちになるかもしれませんから。
2022年、私が、ここ数年敬愛するガボール・マテ医学博士、アニータ・ムアジャーニ両氏の対談を翻訳してみたいと思った発端は、30年ほど前に、ひとりは、医師を目指していた、もうひとりは、ジャーナリスト・文化人類学者を目指していた、二人の同世代の男性の友人からかけられた、ある言葉に遡ります。
当時、手の施しようのないガンであっという間に逝ってしまった、家族思いの母との別れに、内心もがき苦しんでいた私。母は、40代でヨガを習い実践し、健康にも気を遣って、家族の食事に添加物を避け、外食もせず数々の手料理や手作りのお菓子を作ってくれ、風邪で寝込むことすらなく、人一倍家族のために早起きしては家族3人分のお弁当を作り続けてくれていた人でした。
しかし、母の急逝から1年も経たずして、受け取った言葉は、「君のお母さんは、自分の意思で病気になったのかもしれない、人というのは死ぬ時期を選んで自分で決めているかもしれない、それを尊重してあげるべきではないか」と言われたのです。
深い哀しみの沼の底にいた自分にとって、その言葉は、当時、受け入れ難い怒りと苦しい思いに晒される、暴力的にも思える言葉でした。
「あなたに何がわかるはずもない」ー その場で、相手に言い返すことはしませんでしたが、当時の自分は、今振り返ると、心の奥底は複雑に絡み合った感情にどっぷりとまみれたまま、家を一歩出れば、”これまで通り”の自分を演じるのに必死だったように記憶しています。奇妙なまでに、二人の友人に同様に言われたこの言葉は、自分の中で、その後も長年に渡って、両親それぞれの死に向き合う時、自責感・罪悪感・無力感・無価値感を拭い去ることができない、自分自身の中に鬱屈し続けた思いの一つのトリガーというか、心に引っかかっていた言葉だったように思います。
しかし、長い長い月日を経て、自分が母の亡くなった年齢になり、昨年ご縁のあった、グリーフ専門士(日本グリーフ専門士協会)としての学びを通して、ようやく私の自分軸・自分の人生を受容し、自分を"こちらの世界に置いて逝ってしまった"大切な人を赦し、長年哀しみと怒りを抱え込んできた自分を赦していく過程で、この言葉のどこか別の"真意"を受け入れようとしている自分もいます。その後の人生での数え切れないほどの様々な出会いや経験によって、その都度、癒され、サポートいただき、救ってもらったことへの感謝こそ、ここにありますが、もはや、その言葉を私に伝えた二人を責める意識も、「そんなことを言われて傷ついた」という被害者意識の自分も、ここにはいません。それはありがたいことです。
その一方、グリーフケアや、その根幹とされる「敬聴敬話」(日本グリーフ専門士協会)のプロセスを通して、自分自身や相手の感情を優しく丁寧に俯瞰していき、その先にあるものを信頼し理解することや、つながり感・統合感を感じることで、トラウマを、病気を癒すことができるかもしれない、誰しもが持っているはずの、その強大な自然治癒力・自己治癒力の可能性の大きさについて関心は深まるばかりです。トラウマや依存症に詳しいガボール・マテ医学博士は、40代でご自身の幼少期からのトラウマにも向き合い、数々の臨床研究を経て「病は異常に対しての正常な反応」と伝えています。
私の個人的な体験ですが、ここまで読まれて、誰よりもあなたご自身にとって、あなたにとって大切な方を想い、何かが変わるヒントになるかもと感じられた方は、読み進んでいただければ幸いです。ありがとうございます。
The Myth of Normal with Dr. Gabor Mate
ガボール・マテ医学博士と語る「フツーという神話」
👩 今日は、あるゲストが私のInstagramチャンネルからライブ動画に出演してくださるのでとても楽しみにしています。そのゲストとは、40年以上診療を続け臨床経験が豊富な医師であり、著名なガボール・マテ医学博士です。ガボール・マテ医学博士は、『The Myth of Normal: Trauma, Illness, and Healing in a Toxic Culture(仮訳:フツーという神話)』という画期的な本を出版されたばかりで、その本についてやその他色々なお話をできるのを楽しみにしています。今、ゲストの方が動画に入ってくださるのを待っているところです。
こんにちは、ガボールマテ先生、こちらの声が聞こえますか。お会いできて嬉しいです。
👨 アニータさん、こんにちは、お久しぶりです。
私はとても元気ですよ。 ありがとうございます。 現在、最新刊、この『The Myth of Normal: Trauma, Illness, and Healing in a Toxic Culture(仮訳:フツーという神話)』ブックツアーで、まず最初の土地、ニューヨークにおります。ツアーで、次はロサンゼルスに行く予定ですし、そこで数日後に会えますね。
👩 ガボール・マテ先生とは、直接、この月曜日にお会いする予定ですが、先生の偉業のついては、皆さん周知のことで、私のチャンネルを聴いてくださっている皆さん、先生のことをご存知ですよ。
少しだけ、私が先生を知るきっかけとなったことを、ここでご紹介したいのですが、私が最初に先生の書かれた本を知ったのは、私が本当に病気に苦しんでいた時期です。2005年、つまり臨死体験をする前のことです。その時、私は末期のリンパ腫で本当に苦しんでいて、間もなく死ぬ寸前だったんです。
私の主治医は......腫瘍の専門医ではなく、NDGPの......終末期家庭医療の先生だったんですが、彼がちょうどガボール・マテ先生の本を見つけたばかりだと言って、私にその本を贈ってくれたんです。『身体が「ノー」と言うとき』(原題: When the Body Says No: Understanding the Stress-Disease Connection)という本でした。そのタイトルを見た瞬間は、私は「まさにこれだ!」と共鳴を覚えました。その瞬間、私はこうやって経験している病気は、身体の病気ではない、感情に関係するものだ、と腑に落ちたのです。私が、自分自身の感情に無理を強いていたこと、これまで「ノー」と言えていないこと、それらが積み重なって、私の身体を病気にしているのだと。だから、いただいたガボール・マテ先生のご本を「わー、こうやって理解してくださる方がいらっしゃるんだ」と思って読み始めましたが、その時点では読み終える気力が残っていませんでした。そして、ご存知の通り、私は、生死の境を越えてしまって......文字通り死んでしまったんですが.....それで、その後、私は心も身体も癒しを経験し、私に起こったすべてを記した私の本が出版された後、誰だったか、先生がどこかのインタビューで、私のことを話していたと聞いたんです。その随分前からすでに先生のファンでしたので、先生が、私のことを話していたなんて、わあ素晴らしい!と嬉しくなりました。
とにかく、こうした先生の著書とのご縁と経緯があって、今、先生とこうして対談をすることができて、本当に光栄に思っております。
👨 そんな素晴らしいご縁があったんですね。私はただアニータ・ムアジャーニさん、あなたのご本を読んだことがあるだけで、すでに私を知ってくださっているとは全く知らなかったのですが、でも、アニータさんの本を読んで、「わあ、この本の内容は、本当に明晰に描写された、うーん、私がこれまで見てきた医学のあらゆるものの手本となるような、自己発見というか、自己変容した事例だ」と思いました。そして、私の最新刊『The Myth of Normal: Trauma, Illness, and Healing in a Toxic Culture(仮訳:フツーという神話)』では、もちろん非常に重要な章の中で、アニータ・ムアジャーニさんの物語が中心的な事例として記載されています。あなたのお話がこの本できちんと正確に表現されているといいのですが。
👩 もちろんです。
私はガボール・マテ先生の書き方、表現方法、そして、物事を説明する方法を敬愛しています。だからこそもっと深く深くお聞きしたいと思うのですが、今日は、これまでの先生のお仕事を通して、どんなご意見をお持ちかお聞きしたいと思っています。
私が今思っているのは、これほどまでに近代的で人間を健康で元気になるよう開発された技術が発達し、人々の間で健康に対する認識も高まっているのに、私の目から見ると、現代、人間というのは、もっともっと病気になっている、病気にかかっている人々が増えているということです。先生は、その事実にお気づきでしょうか。
👨 統計でもそう出ているのですが、例えば、米国の成人の70%、あるいは40歳になると、少なくとも1つか2つの薬を常用しているとか、子供の不安障害・うつ病・ADHDがますます多くなっているとか、3週間前のニューヨークタイムズには、10種類の精神科の薬を服用していたティーンエイジャーが自殺したという記事がありました。実際、アメリカ人の平均寿命はここ2、3年で短くなってきているので、いろいろな面でその兆候が現れてきています。社会が病んできている、人々が病んできていると言えると思います。
👩 そうです、本当にそうです。
つい最近、私の米国滞在ビザのステータスを変更するにあたって、健康診断を受けなければならないのですが、その健康診断をしてくれた医師が、私に「現在、何種類の薬を処方されていますか」と質問してきたので、私は「処方されている薬はありません」と答えると、彼女はそれこそびっくり仰天して、「すごい、アメリカで、あなたの年齢であれば、10個は処方薬を常用していて当たり前なんです」と言って、実際に「あなたは、ほとんどの方々よりもずっと健康ですね」と言ったのです。私の身体には問題や課題もあるはあるので、この発言には驚きましたが、彼女の考えでは、処方箋薬も飲んでいなかったから、私は健康だというのです。私はだいたい補完医学で調子を整えることも多いんですが。とても興味深かったんです。また、私を診てくださっていた別の開業医が、ガンにかかっている人は7人に1人、5-6人に1人と話していて、これは2004年当時のことですが、最近(2022年)では、2人に1人がガンにかかるとか、、、この統計は強烈で驚いてしまいます。
👨 この現代社会は、こんなにも医療介入と非常に洗練された技術が導入されている社会にもかかわらず、何が起こっているのか不思議に思うことでしょうね。
👩 ガボール・マテ先生、あなたのご意見をお聞きしたいのですが、あなたのこれまでのお仕事の経験から、これは、何が起こっていると感じますか。
👨 そうですね、2つのことが並行して進行していますね。
まず一つは、この社会で「普通(ノーマル)」と呼ばれているものは、非常に不健康で、不自然なものであるということ。この社会では、「病気」とは、「異常(アブノーマル)」であるというよりも、むしろ、異常な状況に対する普通(ノーマル)な反応です。言い換えれば、私たちが生きている価値観、生き方、子供時代の行動の仕方、人間関係などが、私たちの生活そのものを生理的、精神的に有害にしているのです。そしてもちろん精神的にも。
だから、
私たちが「普通(ノーマル)」と呼ぶものは、全くもって不健康で不自然なものなのです。
もう一つの研究の流れは、あなたのような経験をされた人々の多くの物語が存在し、心と体の拭うことのできない一体性を証明するあらゆる科学的研究がされているにも関わらず、まだ確立されておらず、平均的な医師というのはそこを理解する訓練・教育を受けていないのですから。普通の医師というのは、患者にトラウマについて尋ねたりはしません。ストレスや、人間としての自分自身についてどう感じているかなど、誰も聞いてくれません。実際には、これらの感情的、心理的な要因は、例えば、不平等や人種差別といった内容も含まれるのですが、なぜ人々が病気になるのかにすべて関係しているのです。
しかし、平均的な医師はそれを理解する訓練・教育を受けていないので、社会では、そうした要因がますます拡大して、病気にかかる人々が増える一方、他方では、医療従事者がそのことを全く認識できないでいるのです。
👩 本当にそうですね。先生は、私の心で感じていること、私が心から伝えたいメッセージを言語化してくださっています。私の身体は、これまでの人生の中で、その都度、完全に燃え尽きてしまうような問題・症状を何度も経験しているからです。そのうちの症状のいくつかに、私はそれこそ不安を覚え、その度に医師の診断を受けに行きました。そこで、文字通り、検査に次ぐ検査をされたのですが、そうした検査では、根本的な問題を把握することができず、医師がやっているのは身体的な症状を治療すること、さらに私はもう飲みたくもない薬を増やして処方してくれるだけなんです。
👨 その通りです。これは、科学と実践のギャップとも言えるでしょう。
つまり、感情が生理現象にどう影響するか、社会的関係が生理現象にどう影響するか、心と体が切り離せない単位であることは、主要な医学雑誌に掲載された何万もの科学論文があり、科学的に証明されているのです。その一方で、医師に対しては、そのような情報を完全に無視した訓練が続いているのです。
👩 実際、科学的な裏付けがあるにもかかわらず、今でも、人々がまだこの種のものを軽視し、鼻であしらう様子に、驚かされます。というのも、今日、ちょうど先生との対談の前に、私はあるインタビューに答えたところなんです。某大手出版社から、私のこと、私についての物語を発表したいという依頼があったんです。
そのインタビューの場で、出版社の方からは、私に起こったことを信じていない人たちをどのように納得させるよう伝えたらいいのか、説明してほしいと言われました。私は「私の話を信じようとしない人を説得しようといているわけではないんです」と返したのですが、その人は、「(私の話の)掲載を予定している出版物を読むような読者層は、アニータさんの言うようなことは即座に信じないのです」、と続けました。
「私が伝えているのは、ただ【私が私の身体にし続けたことが原因で、私は病気になった】ということであっても、読者はそのまま私の話を聞き入れようとしないということですか」と尋ねると、出版社側は、それでは「あなたが(世の)病人を責めていることになってしまう」と返してきました。私は「(病気になるのは)彼らのせいだと言っているのではない」んです。言いたいのは、しかし、私たちが自分の健康と自分のことに責任を持って初めて、健康・ウェルネスについて、実際に私たちは自分で何かをすることができるということなんです。
👨 そうですね・・・それで言うと、もし私が、別の言い方をして、何の理由もなく病気になった人に、あなたは運が悪かっただけだと言ったとしたらどうでしょうか?
人は誰しも、生きていれば、あなたのせいではない何かがあるのです。
それは、
無意識のもので、幼少期のプログラミングやストレスに関係しています。それを理解さえすれば、自分で自分の人生に責任を取ることができ、実際にそのプロセスに対処するための力を持つことができます。そのプロセスに対処する上で、何らかの主導権を握ることができます。
人々は、自分が”不幸の犠牲者”であるというメッセージを聞きたいでしょうか。それとも、病気自体が現れるのは自分の人生に何かがあり、それに対処できれば、自分の体のプロセスに力を持つことができる、というメッセージを聞きたいでしょうか。ほとんどの人は、後者のメッセージを聞きたいと思うでしょう。
しかし、残念なことに、そのようなメッセージは人々の耳に入ることはほとんどありません。ほとんどの場合は、「あなたが悪いことをしたから、あなたが悪いのだ」と言われるか、「あなたは不幸な信念・思い込みの犠牲者だ」と言われるだけです。結局、そのどちらであっても、病気になった人を消極的・受動的にさせてしまうのです。
👩 まさに、その通りです。先生のおっしゃること本当によく理解できます。
👩 ところで、私は、先生の最新刊、『The Myth of Normal: Trauma, Illness, and Healing in a Toxic Culture(仮訳:フツーという神話)』についてももっともっとお聞きしたいです。どういう経緯でこの本を書かれたのか、どうしてこのようなタイトルにしたのか、このタイトルのThe Myth of Normal(仮訳:フツーという神話)とはどういう意味なのでしょうか。
👨 この本の内容は、何年も前から他のタイトルで計画され、執筆のお話があったのですが、当時、私には無理だと思い、.....あまりにも荷が重過ぎると、あきらめていました。契約金を出版社に返金したくらいです…
👩 そんなことがあったんですね!
👨 それから、ある日、サンフランシスコのホテルで妻と一緒に座って朝食をとっていた時、その時、私はもっとリラックスして、ただただ休暇を過ごしており、心に余裕があったのですが、そこで、突然「The Myth of Normal」という言葉が思い浮かび、色々なアイディアが溢れ出してきました。妻がそこで、それを書き留めてくれた。それが私の新しい本のタイトルになったんです。
The Myth of Normal(仮訳:フツーという神話)
私がこれを通して伝えたいのは、私たちとは普通なのか、この社会では何が普通なのか、普通とは何なのか、そのどれでもありません。
👨 普通であることは、健康でもなければ自然でもない。私たちが普通(ノーマル)だと考えていることは、実は人間にとって不健康で有害なことなのです。なぜなら、人類は、他の生物とは全く異なる生物として進化してきたからです。人類は、そもそも外界の自然と触れ合う共同体として、小さなハンター集団の一員として進化しました。子供たちは一日中親と一緒にいて、幼い赤ん坊は抱かれていました。一人で眠ることもないし、横になって眠るために寝しなに泣く必要もなく、行儀が悪くても叩かれることもなく、怒りやその他健全な感情があっても、"タイムアウト"(欧米の子育てのしつけの方法の一つ)のように集団から排除されることもありませんでした。私達はこれを研究してきたのですが、怒りといった感情や、そのほか健全な自分らしい本来の感情(authentic feeling)を抱きながらも、それぞれ本来の感情(authentic feelings)を持つ他の人と連携しながら、人類はハーベイ・ボール(Harvey Balls)スマイルフェイスの集団として共同体としてして進化してきたんです。今は、他の人々と一緒にいますが、自然の中で進化してきた私達は、自然の中で自分の直感・感情 (gut feeling)に触れなければ、いつまで生き残ることができるでしょうか。
今日の私たちの生活では、ある時点で、あなたがあなたの身体から切り離されることを経験したように、あらゆる種類の”子育て”という名の子供時代の体験によって、私たちは、自分の身体から切り離され、他の人からも切り離されます。
私たちは偽りのペルソナを身にまとい、自分ではない誰かのふりをするようになります。
私たち人類がマニフェストへの信仰者であるために、私たち自身が、互いに不快感を感じていたとしても、自分が誰であるかを知らないという状況が起きているのです。
👩 まさに!
👨 こういったことが心身の病理につながり、そして時には、このように「病気」になってみて初めて目醒めることもあるわけです。私はそのような目醒め方を勧めているわけではないが、ただ病気を通して多くの人々にそれが起こっているのは確かです。
ここで、重要なのは「文化こそが有毒である」という点です。
というのは、文化が、絶対的に不自然な生活を人々に強制するからです。ここで私が言っているのは、肉体的に不自然を強要するからというのもありますが、大半の場合、感情面での不自然を強要するという意味です。
👩 同感です!ここで、この先生の最新刊についての対談で、私が本当に解き明かしたい、あるいは深く掘り下げたいことがいくつかあります。一つは、女性が慢性疾患にかかりやすいというお話がありましたね。そして、もう一つは、忘れないように今お聞きしたいのですが、先生は、本の中で、私の話や私の治癒について書かれました。健康でいるために、私は意識的に、病気のスパイラルに私を引きずり込む可能性のある感情的な傾向に注意する必要があります。私が経験したこと、そして、私が経験したことのすべてが、私を病気のスパイラルに引きずり込むからです。すでにその経験があるからこそ、私は今、自分のパターンを理解し、自分が何を抱えているかを理解することができるのです。これは、今お聴きのリスナーの皆さんにも知っていただきたいのですが、うーん、私は、人を喜ばせるのが好きな傾向、対立したくない性格、だから対立してしまうこと自体にストレスに感じるので、ストレスになるようなあらゆることに気をつけなければならないんです。また、経験したような病気のスパイラルに陥りたくないので、そうならないように、ストレスを与えるものすべてに気をつけなければなりません。私の頭の中ではいろいろなことが起こっていますが、先生は私が言っていることを正確に理解してくださっていると思うので、もっと深く掘り下げてみたいと思います。
ガボール・マテ先生、なぜ女性が慢性疾患にかかりやすいとお考えなのでしょうか?
👨 統計を見てみると、これはにわかに信じがたいことなのですが、関節リウマチ、線維筋痛症、多発性硬化症、クローン病(炎症性腸疾患)、慢性疲労などの自己免疫疾患を患う人の100人中70人から80人が、女性であり、これらの自己免疫疾患に関わる病気では、女性のリスクは男性の3倍から9倍であり、これは、大きな医学的な謎だと言われています。
でも、私の思いの中では、長年、自己免疫疾患を発症する人々を診てきて、これが全くの不思議というわけでもないのです。
例えば、自己免疫疾患を発症している患者さんの多くが、自分の感情を抑圧し、他人の感情の欲求を満たすことを強迫的に追い求める方だという傾向が強くあるからです。
さて、「文化」的に続いてきた家父長制の下、自分の感情を無視しても、他の人の感情の欲求を満たすことを追い求めるようにプログラミングされているのは、いったい誰になるでしょうか。女性ですよね。
パンデミックが起きた時、「ニューヨークタイムズ」は、『母親・女性は社会の衝撃緩衝材』という内容の記事を掲載しました。つまり、文化的に、女性はそうやって自分のストレスだけでなく 男性や家族のストレスも吸収する役割を担っているということです。 さらに、男性や家族がストレスを感じると罪悪感を感じます。 なぜなら自分の犠牲の上に、他の誰もストレスを感じないようにするのが女性の仕事になってしまっているからです。
多発性硬化症のような 自己免疫疾患の統計を見てみると、 1930年代の診断数は、男女比は 1対1でした。現在の診断数の男女比は 2対5になっています。 これが身体の性差によるものではないということは明らかです。なぜかというと遺伝子というのは80年以上たっても変化しません、食生活や気候は男女の差はなく変化していますから。 何が変わったかというと、家父長制の下では女性は、伝統的に男性や家族のストレスを吸収するよう期待され、文化的にプログラムされてきたという点です。 そして、女性自身がみんなのストレスの担い手となり、その役割は続いたまま、 今の世の中では、女性も生計を立てて、家族の経済的幸福に貢献することを求められます。そのためストレスは倍増し、その一方で、サポートが少なくなっています。 なぜなら、コミュニティや地域社会は、接触が少なくなればなるほど、人々はより孤立し、孤独になるとわかっています。
感情を抑制し、欲求を無視すると、免疫系を傷つけ、ホルモン装置を傷つけ、神経系を傷つけます。こうして、心と身体は切り離すことができないから、他の医師たちが医学上の大きな謎だと考えていることは、私の考えでは全く謎ではないと言えるでしょう。 もちろん、だからこそ、アニータさん、あなたのように教訓を学んだ女性たちは、いわば、自動的に他の人をケアする人という役割を担うことはできない、あえて、自分自身のニーズが重要であると言わなくてはならないんです。自分自身のニーズが重要であることを認識することが大事なのは、病気を克服することができるからでもあるんです。自動的な自己抑制の結果によって体が苦しむことがなくなるので、多くの場合、病気の進行を止めることができるのです。
アニータさんは、ロサンゼルスにお住まいですよね。残念なお話を一つさせてください。ロサンゼルスのUCLAのリウマチ専門医・女性で、以前に私の『身体が「ノー」と言うとき』(原題: When the Body Says No: Understanding the Stress-Disease Connection)という本を読んで、その後、診療方法を完全に変えた方がいらっしゃいます。彼女が、患者さんの治療にあたり、感情的な問題へのアプローチを導入すると、患者の病状は良くなって、しばしば薬を止められるまでになっているそうですが、恐れて、同僚には、あえてその話はしないのだそうです。私は彼女にインタビューさせてもらったのですが、彼女はそうした政治的な理由から、同僚の医師たちから拒絶されるのを恐れて、私が実際の記事にする時には匿名にしてくださいと希望しています。私が話していることの真実が、それほどまでにひどいものかお分かりいただけますよね。
👩 そうなんです、本当にそうなんです。本当にシステムや人々の考え方がそういう状況であることがもどかしいです。先生がこういうお話をしてくださって、とても嬉しいわ......つまり、私はただ......私の中でたくさんのことが起こっていて、今朝、私がインタビューを受けた時の話に戻りますが、その出版社の女性に、私は「自分の感情の結果として、自分の体に何が起きているのかと、私がみんなの感情やエネルギーを吸収して、それを抑圧してしまう」と話していたところでして、私の使命は、これを人々に伝えることですと言ったんです。そこで、彼女は「でも、あなたが言っていることの臨床的な証拠はあるんですか」と言いました。私は「科学者でも医療関係者でもないし、臨床的な証拠もない、ただ自分の経験があるだけだ」と言うしかありませんでした。「ですが、ガボール・マテ医学博士の研究を調べてみてください、彼は臨床医でこれらに関する長年の研究を教えてくれるでしょうから」と、ちょうど先生のお名前を挙げさせていただいたところです。先生の研究内容や発表されている言葉の数々は、私の心に直接語りかけてくださるようで、敬愛しております。
👩
ガボール・マテ先生、先生の生い立ちや子供時代、こうしたテーマの研究に取り組まれるようになったきっかけについて、少し教えていただけますか?
👨 このような意識を持つようになったのは、2つの流れがあったからだと思います。私は幼少期からの自分自身のトラウマに苦しみました。そのトラウマからの刷り込みがいかに根深いものであったか、そして、それが私の私生活にどれほどまで影響し、私の私生活を破壊していたかを理解したのは、40代になってからでした。私自身が、仕事との関係、妻との関係、子供との関係、私自身のトラウマの始まりとトラウマの刷り込みというテーマに取り組んでいるんです。
それと同時に、同時に、家庭医として、大勢の赤ちゃんを取り上げ、緩和ケアで死にゆく人々の世話をする仕事もしていたのですが、病人になられる方、慢性疾患のそれぞれのケースで、慢性疾患のほとんどすべてのケースで、偶発的なものではないことに気がつきました。
むしろ、ほとんどすべての慢性疾患のケースで、私はその方々の幼少期についた刻印からもたらされる生涯に渡るストレスの痕跡に注目していました。
というわけで、私はそれまで知らなかったことに着手しなければなりませんでした。あらゆる科学的な文献から、私はそのトラウマと慢性疾患との繋がりを調べ、証明し、文書化しました。医学部では誰も、この治療法について話もしませんので。
一つ、ここで面白い話をしましょう。私は、カナダのブリティッシュコロンビア州のガン治療施設であるガン病院の心理学科に行き、心理学科の責任者に、ストレスとガンには本当に因果関係があるという理論を研究していますと伝えました。相手はその仮説は信じませんね、と言ってきました。心理学者ですよ!私は、同じ建物の図書館に行きましたが、そこにはストレスとガンの関係を示す何百もの研究論文がありました。彼らは同じ建物で働いていたのに、その図書館にあった情報については全く知らなかったのです。
👩 すごいですね、まさにことわざの「左手は右手のしていることを知らない」ですね。ガンはどこからともなくあらわれて、起こるのではない、ガンになるのは、悪運に苛まれた不運な犠牲者というわけではないのです。ガンとストレスの関係がまだ理解されていないことが信じられないです、非常に興味深いことで、今も、人々はそれを理解していないのです。
👩 また、つい先日も、ある女性と話していたのですが、その女性は彼女の友人の男性について話してくれました。 その男性は、ガンの治療で本当につらい経験をしていて、苦しんでいたんです。その治療は彼にとって過酷で、彼の心の状態を悪化させていました。だからこそ、その女性は、私にどうか彼の回復・幸せを祈っていてくださいと話してくれたんです。即座に私は、こういう素晴らしいガン治療研究所 「センター・フォー・ニュー・メディスン(Center for New Medicine)」がここカリフォルニア州アーバインにありますとお伝えしました。そこでは、ガンだけでなく、あらゆる種類のホルモンバランスの乱れを治療しつつ、ガンの治療を専門にしていて、私は、彼女にその施設をお勧めしたんです。そこでは、化学療法は、最小限に限定し、治療は実際に病気の根源に迫るもので、その研究所は素晴らしいと説明しました。私は、他の理由でそこに行ったことがありますが、「私はガンと向き合っている人になら誰にでもここを強く勧めたいし、もし私自身がガンと向き合わなければならなくなったら、ここに行くと思います」と伝えたんです。すると、その女性の反応はこうでした。
「その研究所はとても良さそうですが、きっと彼は、そこで治療を受ける心の準備ができていないと思います」と。その反応には驚きを隠せませんでした。その方が現在の治療からそれだけ体と心に苦痛を感じていても、別の方法があることを受け入れる準備ができていないなんて、、、そのセンター(Center for New Medicine)では、医療に従事する人が、実際にトラウマについて話してくれたり、本を勧めてくれたり、食生活やライフスタイルを変え、ストレスから解放される時間を確保してくれるんです。それでも、彼女は「彼はそのすべてを信じていない、彼はその治療を受ける準備ができないと思います、だからそう言ったんです」と言うんです。
👨 私たちは、消費社会に生きているので、あらゆるものを消費しています。
商品、食品、製品を消費しています。 健康さえも消費しているんです。
だから、
人々は、健康のこととになると自分が消費者だと思い、医者に行き、治療を受けることができるため、人間が実際に自分自身の健康の積極的な創造者になれることに気づいていません。
なぜなら私たちは自分自身の生活の中で積極的に行動するようプログラムされていない、むしろ、受動的に受け取るようプログラムされている社会だからです。一般人の側にはそういう姿勢があるんです。ただ、この社会で、人間は、自分たちは受動的な受信者のようなものではない、消費者だと認識しているし、医師は医師で、医師になされる教育は不十分で、我々が話している背後にある科学の理解を完全に欠いているので、結局、患者と医師の間に一種の利害関係の一致、共謀関係が成立してしまっているのです。
自分が入り込んでいるドラマを見るのは、苦痛です。自分が何者か、自分が何者だと思っていたのか、親との関係を見直さなければなりません。自分を見つめ直すのは勇気がいるし、サポートが必要です。そのようなサポートを受けられない多くの人は、そのようなサポートがない状態では、考えることすら、怖くなってしまうのです。その気持ちも理解はできます。ほとんどの人は、そのようなサポートを受けることができません。たまたま、100万人に1人の割合でそういう経験があるのか、あるいは、どれだけの人がそういうサポートに対する費用を賄えるのかは分かりません。アニータさん、あなたは、何らかの大きな恩寵(Grace)によって、具体的に、意識的に、あなたが公正と感じるものを求めることができ、あなたは完全にあなたが誰であったかを思い出し、あなたが住んでいるこの世界がどんな世界なのか、その視座を変容するような経験をされました。
しかし、ほとんどの人にとって、それはもっと骨の折れる、一歩一歩ずつ手間のかかる、困難なプロセスなのです。その理由はよくわかります。特に、文化全体がそれをすることを支持していない場合、人々はそれに悩まされるのは理解できますしね。
👩 なるほど、そうですね、、、ガボール・マテ先生は、40代でそうしたプロセスを経験し、自分の人生を見直す必要があったとおっしゃっていましたね。それは、先生にとってもかなり怖いことでしたか?
👨 辛い経験でした。困難でもありました。私の中の多くは、それに抵抗もしました。何より、自分の責任を認めなければならないからです。人間は責任から何マイルも逃げ出してしまうものです。そのためには、常に自分を被害者のように感じていたいのです。例えば、妻とのケンカで言えば、自分が被害者だと考えることは簡単ですが、もし私が被害者であるという視点で捉えるとするならば、それはすべて妻のせいになり、自分が何をもたらしたかを見ようとしないことになるのです。
あなたもきっと気づいているように、
自分の責任を取るというのが、人間には非常に難しいことなのです。
👩 ああ、本当にそうですね。責任を取るというのは"諸刃の剣"のようなものです。一方では、自分の人生や行動、自分をコントロールできるようになりますが、他方では、自分で自分の舵を取ることを恐れるんです。自分の人生でうまくいかないことはすべて自分のせいだ、うまくいかないのは自分だけが悪いからだ、と責任を負わされることでもあるからです。とはいえ、私たちは誰かを責めたくはないのです。これは一種のバランスで、あなたには責任があるが、あなたの「せい」ではないんです。
👨 さて、ここで私たちは、自分自身と他の人を思いやることが必要です。
なぜなら、人が追い求める力学のほとんどは、その人にとって健康的ではないかもしれないものを、無意識のうちに選んでいるのです。意識的にそのようなユーザープログラムになることを決めたわけではありません。ただ、自分たちの文化的な指導に従っただけなので、誰もが無意識にやっていることなんです。環境、あなたの両親でさえ、意識的に自分達を喜ばせるように設定したわけではありません。誰もが無意識にそうしているからです。だから私は「せい」という言葉を使わないんです。私たちは誰かを責めたくはないのです。でも、責任を取れるのはあなただけで、他の人には取れませんよ、と言わなければなりません。あなたには責任があるが、あなたには落ち度はない、というバランスが大切なのです。
👩 その通りですね。
ガボール・マテ先生は、最新刊『The Myth of Normal: Trauma, Illness, and Healing in a Toxic Culture(仮訳:フツーという神話)』の中で、私のストーリーを描写してくださっているのですが、先生のその解釈の部分がとても気に入っています。
私の両親は、娘である私を、私たちの文化に適合させるために最善を尽くしてくれていたと思います。そこでの文化とは、女性が抑圧され、女性はまず誰かの娘であること、そして、兄弟がいること、兄弟(男性)は女性よりも権力と自律性があること、さらに、女性はいくつになっても実家から出ることが許されず、そのまま夫に引き渡されるという文脈の文化です。そして、夫は(両親にとって)自分たちの世話をする人と見なされ、女性の価値はコミュニティの男性にとってどれだけ価値があるかで測られるという文脈でもあります。
👨 そのとおりです。
あなたがあなた自身の変容を受け入れたように、あなたは、夫を随分と再教育しなければならなかったでしょう。私には想像できますよ、私の妻はかなり私を再教育してきたことを知っていますので。4年前、5年前、彼女は私にこう言ったんです。
ねえ、あなた、あなたは、『身体が「ノー」と言うとき』(原題: When the Body Says No: Understanding the Stress-Disease Connection)という本を書いているけれど、それより、『妻が「ノー」と言うとき』という本を書いた方がいいわよ、って言っていました。男性側の問題は、その教育を受ける気があるのかどうかですしね。
👩 ええ、私や先生は恵まれていると思います。
正直言って、もし別のタイプの夫でしたら、私は、向こう側から戻って来なかっただろうし、そのまま、向こう側に逝ったままだろうと思います。
私のために両親が見合い結婚の相手を手配してくれたという話をしたことがあります、結局、私は見合い相手との結婚からは逃れたのですが、もしその通りに進んでいたらと思うと、あのまま、もし見合い結婚をしていたら、私は、まだガンになっていたでしょうし、生と死の境界線を越えていただろうし、戻ってくることもなかったでしょう。私がこちらの戻ってこれた理由は、夫がそこからの人生の「旅」を支えてくれると思ったからです。ここについては、自分の臨死体験を語る上でも、臆することなく自分を表現しなければならないのですが、私は知っていたのです。私が本当は誰なのか、私の魂が意図しているのは誰なのか、そして、私の魂・人格は何年も何年も抑圧されていたのだということを、彼が完全にオープンにして、教えてくれたのだとわかったんです。
👨 そう、あなたの個性を求める人がいて、あなたの魂を求める人がいる。
「ソウルメイト」ということですね。
👩 そうですね、私たち夫婦は魂のつながりをもっていると思います。ダニーと私は本当にそう、彼は私を110%受け入れてくれて、本当に素晴らしい人生の旅になっています。
これは、あまりこれまで多く語ったことはないことなのですが、私が両親が準備してくれたお見合い結婚をしようとしていた時、私は必ずしも望んでいた状況とは言えませんでしたが、自分の側を、自分の属する社会の文化に合わせる為に、このお見合い相手と一旦婚約したのですが、その婚約期間中、身体に卵巣腫瘍を発症してしまいました。その時は良性の腫瘍で、摘出手術を受けました。その当時は、こうした、やりたくもないことに従う自分と病気の発症との相関関係は理解すらしていませんでしたが、今になってみると、興味深いものですね。
👨 実際に、そうやって身体が「ノー」と言うんですよね。
👩 はい。
👨 問題は、病気になる前に体の声に耳を傾けることを学べるか、それとも、目を醒ますように病気が必要なのか、ということです。
👩 先生、あなたのメッセージとマインド、そして、先生のご研究の使命と私の使命はとてもよく似ています。本当にとてもよく似ているんです。
私は、私が経験したようなことを他の人にさせたくないから、自分の経験のすべてを共有したいのです。私は本当にそう思っています。誰しもが、自分の魂が目的を持ってここに来たことを知る必要があり、何があってもそれを表現する必要があると伝えたいのです。
👨 私はただただ同感で、頭を縦に振るしかないですね、それについては付け加えることは何もないでしょう。米国には、ただ生物として生き残ることよりも、本物であることを求める何かがあるんですね。
👩 その通りです。その通りです。そして、私たちが生物として生き残る方法を手に入れて、本物を表現することを可能にできれば、私たちは単に生き残っているだけではなく、繁栄していることに気づくでしょう。
👨 そう、私たちはまさに今「生き」ているのだ、と。
👩 そう、私たちはまさに今「生き」ているんだ、と実感できるんです。
先生、あなたがこの世界にいてくれて、本当に嬉しいです。こうして、私と同じ時期にこちらの世界にいられることが、本当にうれしいです。だって、私に臨床的な証拠をみせてほしいと言ってくる人たちには、ガボール・マテ先生の書かれている内容や事例を調べてきてくださいと、堂々とお伝えすることができますし。
👨 この最新刊では、私は、多くの研究を引用していますが、ところで、私が引用したと言った事例・研究の数は、ほんの氷山の一角に過ぎません。私が最初にこの本を書いたとき、かなり長い本になり、500ページもありました。そのうち、70ページは注釈でした。私はすべてのことを皆に証明したいと思い、一切合切、あらゆるの事例や研究の証拠を入れたところ、倍の長さになってしまいました。
しかし、最終的には、私のメッセージは、あらゆる点を証明することよりも重要と考え、調査事例・研究の記載はだいぶ削除したんです。ですが、お話しておきたいのは、この本で私が行った調査でさえも、私のメッセージの背後の裏付けとなる科学的論拠の氷山の一角に過ぎないのです。
👩 確かに非常に分厚い本ですが、うーん、とにかく素晴らしい本、美しい内容の本で、このトピックに興味のある読者の方どなたにもお勧めできます。それと、他にも、ガボール・マテ博士Dr. Gabor Mateのビデオをご覧になるよう心からお勧めしたいです。
さて、この対談を終える前に、先生から私たちの視聴者・リスナーのために付け加えてお話しされたいことはありますか?リスナーの皆さん、現在、1600人以上の人が、ライブ動画をご覧くださっているようです。すごいですね......この動画を投稿すれば、もっと多くの人が見てくれるでしょうから、ぜひ他に何か補足されたいことがあれば、先生の方からお話ください。
👨 付け加えるとするなら、
私が実感しているのは、私達人間全員の内側には強烈な癒しの波動(バイブス)が存在しているということです。私たちは一旦はそれから切り離されてしまうかもしれませんが、それがあると信頼することを学ばなければなりません。
自分という人間に思いやりと、なぜそうするのかという好奇心を持って、自分自身に接すれば、多くの答えが見えてくるのです。トラウマは深刻な痕跡を残しますが、トラウマについて、救いとなる事実は、トラウマというのは、私たちに何が起こったかということ自体ではないと言うことです。トラウマとは、私たちに起こったことの結果として、私たちの内側に起こったことです。トラウマとは、私たちが負った傷のことです。
もし私のトラウマが幼児期に起こった出来事そのものだとしたら、それは77年前に終わったことで、私が今できることは何もないのですが、
もし私が受けた傷がトラウマなら、私たち全員のそういった傷というのは、今も私たちの内側にあるからこそ、いつでも、どの時点からでも癒すことができるのです。
これが私の伝えたい基本的なメッセージです。これは難しいことではありますが、実際、私たち誰もに例外なく当てはまり、活用できることなのです。
👩 わあーなんて美しいメッセージなんでしょう。
そして、とてもポジティブな素敵なメッセージです。トラウマは癒すことができる、癒されることができる。トラウマは癒すことができるのです。これが根幹にある基本的なメッセージです。 自分の健康、人生、体を、自分の責任で管理することで、実際に何でも元に戻せるし何でも治癒することが可能なんです。私は末期癌から生還し、実際にガンは消えてしまったのですが、その末期癌から死のふちを渡り、こうして生還しました。ということは、すべては治る可能性があるということなのです。
ガボール・マテ先生の最新刊『The Myth of Normal: Trauma, Illness, and Healing in a Toxic Culture(仮訳:フツーという神話)』は、すでにAmazonはじめ世界各地の店舗で発売されています。ぜひご購読ください。
👨 ありがたいことに、すでにAmazonでベストセラーになっていますし、
ルーマニア語、オランダ語、中国語、韓国語、アラビア語を含む25の言語で出版される予定です。きっと遅かれ早かれ、多くの言語で利用できるようになると思いますが、今は英語で読むことができます。私の最新刊についてこうして話をする機会をくださって、ありがとうございます。
👩 光栄です。心からそう思っています。これまで、先生と私は、何度も電話ではお話したことがありますし、ヘイハウス・ラジオ (Hay House Radio Podcast)でもお話する機会があり、この月曜日にお会いしますが、実は、直接、お顔を合わせるのは初めてで、私は本当に楽しみにしています。
出演を承諾していただき、ありがとうございました。ご覧くださった皆様も本当にありがとうございました!!!