ロベルト・ロッセリーニ監督 『無防備都市』 : ヌーヴェル・ヴァーグとリアリズム
映画評:ロベルト・ロッセリーニ監督『無防備都市』(1945年・イタリア映画)
ロベルト・ロッセリーニは、イタリア映画界における「ネオリアリズモ」運動の先駆的な存在であり、のちのフランスにおける「ヌーヴェル・ヴァーグ」に多大な影響を与えた人物である。
言い換えれば、ロッセリーニが、日本においてすら有名なのは、もっぱら「ヌーヴェル・ヴァーグの父(の一人)として」という側面が大きい。
のちの「ヌーヴェル・ヴァーグ」旋風を準備した映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』誌の初代編集長にして、同誌の理論的リーダーでもあったアンドレ・バザンが、ロッセリーニ作品に代表される、戦後イタリア映画の新しい潮流としての「ネオリアリズモ」を徹底的に擁護し、同誌の他の評論家たち(ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーら)もこれに倣ったので、イタリアの「新しいリアリズム映画=ネオリアリズモ」は、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の世界的評価と連動し、その先駆をなすものとして、歴史的な評価を勝ち得たと言っても、決して過言ではないのである。
少々皮肉な書き方なるが、いくら「歴史に〝if〟は無い」と言っても、もしもアンドレ・バザンが徹底的にイタリアの「ネオリアリズモ(ニュー・リアリズム)」を擁護し、顕彰しなかったならば、今ごろ日本の映画ファンが、イタリアのリアリズム映画を見ることなどなかったのではないだろうか。
例えば、日本の映画ファンに、「ネオリアリズモ以前のイタリア映画は、どんなものであったのか?」と質問して、それに答えられる者は、今だってほとんどいないのではないか。
「ニュー・リアリズム」というくらいだから、それ以前は「ちょっと方向性の違ったリアリズムだったのだろう」とか、「非リアリズムだ主流だったのだろう」と推測するくらいのことは可能だが、戦前のイタリア映画まで見ている者は、ほとんどいないだろうからだ。「旧」を知らないまま「新」を有り難がっているのである。
つまり、現在、「ネオリアリズモ」系の映画を見る日本人映画マニアの多くは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の威光によって照らされた存在としての「ネオリアリズモ」を見ているから、「それ以前にまでは興味がない」と、そういうことなのであろう。
ちなみに、「戦前のイタリア映画の主流がどのようなものであったのか?」という設問の、一応の回答は、「非リアリズム」の方だった、ということのようだ。
つまり、ドラマティックな娯楽作品、日本で言えば、かつての「大衆娯楽としての歌舞伎」をイメージすれば良いだろう。要は、通俗的に派手な(傾いた)娯楽映画が主流であり、ロッセリーニが撮ったような「ドキュメンタリー的なリアリズム映画」など、無いに等しかったようだ。
これは、アンドレ・バザンが、次のように証言していることからわかる。
つまり、通俗映画が主流であり、一部に芸術映画もあったが、いずれにしろ「リアリズム映画」は、ほとんど無かったということなのであろう。だから、戦後のロッセリーニらによる「リアリズム映画」の潮流を「ネオリアリズモ」と呼んだとしても、それに対応するような「旧リアリズム」は、潮流というほどのものとしては存在していなかったようなのである。
したがって、「ネオリアリズモ」というのは、イタリア国内的な呼称であるよりは、「戦後イタリアに巻き起こった、新しいリアリズムの潮流」というニュアンスの、言わば「国際的」な呼称であったのだろうし、それがそのように呼ばれるほどの存在として今も認知されているのは、やはり、フランスのバザンら「カイエ」派の貢献が大きかったと、そう言えるのであろう。
もちろん、今回とり上げたロッセリーニの『無防備都市』は、むしろ「国際的」に評価された作品ではあったのだが、国内では、当初はさほど評判にはならなかったそうだ。
また、ロッセリーニのそうした国際的な評価も、その後の数作を経るうちには、イタリア国内においてこそ「ロッセリーニは、もうダメ」という批判に晒されるようになったようなのだが、それをバザンらが擁護して、他の作家を含む「ネオリアリズモ」という一つの潮流としての歴史的に位置づけたからこそ、今にこの言葉が残っているのだと、そう考えるべきだろう。
もしも「ネオリアリズモ」という「レッテル」が残っていなかったら、個々の作家の紹介文の書き出しにも困るような、日本人映画評論家は少なくなかったはずである。
ところで、『無防備都市』と『戦火のかなた』の、世界的な、いや、アメリカやフランスでの大ヒット(当然、ドイツでは上映もされなかったろう)というのは、無論、バザンがそこに見たような「リアリズム映画としての力」があったから、という側面もあっただろう。だが、「Wikipedia」や「映画評論」関係では表立っては指摘されないであろう「連合国側の正義を顕揚する(に等しい)映画」だったということも、必ずや大きかったはずだ。
つまり、バザンらのような「映画マニア」的な見方ではなく、ごく一般的な評価でありヒットの背景としては、『無防備都市』や『戦火のかなた』は「悪としてのナチスドイツ」や「解放者としてのアメリカ(軍)」を描いているので、これが「戦勝国イデオロギー」的に、アメリカやフランスなどの戦勝国で歓迎されたのであろうというのは容易に想像できることだし、このことは、作品評価としても無視して良いことではないはずだ。
言い換えるなら、そうした「終戦直後的な善悪図式」から卒業して、ロッセリーニの作品が、「ドイツ側の事情」さえリアルに描いた『ドイツ零年』のような段階に至ると、「戦勝国側」的な気分による、わかりやすい評価が消えていったというのも、言わば当然の結果だったのであろう。
それでもバザンらが、言うなれば「流行に抗して」映画批評的に「ネオリアリズモ」の芸術的価値を擁護して、その功績を支え続けたからこそ、「ネオリアリズモ」の名は残ったのだ。それが無ければ、戦後の「新時代」の到来と共に、「イタリアの新しいリアリズム映画の歴史的価値」に対する高い評価は、自然消滅していた恐れだって十分にあったのである。
だから、私たちが「芸術作品」を評価する場合に心がけなければならないのは、「安易に流行りに乗らない」ということであり「権威主義的な評価に乗らない(自分の目で確かめて、自分で評価する)」ということであろう。
実際、戦前のイタリア映画界の『通俗映画が主流であり、一部に芸術映画もあったが、いずれにしろ「リアリズム映画」は、ほとんど無かった』というような状況は、戦前のイタリアの「民度が低かった」ということではなく、フランスのような「芸術的エリート主義」が無かったということでしかないだろうし、だからこそ、戦前のイタリア映画界の状況と、今の日本映画界の状況に、大きな違いはないのである。
例えば、「フランス映画」を好んで見るような映画マニアでさえ、映画後進国の「リアリズム映画」を好んで見たりするだろうか、というようなことなのだ。
ロッセリーニを「フランスのヌーヴェル・ヴァーグの父」として見たり、ロッセリーニや戦後イタリアのリアリズム映画の潮流を「ネオリアリズモ」として評価するような、今となっては「紋切り型」の評価とは、要は「権威主義的色メガネ」で作品を見ているだけ、という証拠にしかならない。
もちろん、そうした「作品外の情報」を参照するのは悪いことではないけれども、本作『無防備都市』を語ろうとして、何の疑いもなく「ネオリアリズモの傑作」だとか、ロッセリーニを評して「ヌーヴェル・ヴァーグの父」などと書いてしまう者は、自身の「不見識」を、徹底的に反省すべきなのである。そんなものは、流行に抗してバザンらの示したような「批評」では、金輪際ないからである。
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下の「ストーリー」紹介文だけでは、歴史に疎い人には、少しわかりにくいと思うので、あらかじめ補足しておくと、本作『無防備都市』は、ドイツ・日本と共に「枢軸国」を成していたイタリアが、真っ先に「連合国」に降伏したため、戦争末期には、元同盟国であるドイツに占領されていた、そんな時代の、イタリアの首都ローマの物語である
つまり、「イタリアの抗独レジタンス」の姿を「リアル」に描いた作品で、「フィクション」としての「勧善懲悪」も無ければ、主人公の「英雄的な活躍」も無い。
本作に描かれる中心的なレジスタンスの一人マンフレーディは、最終的にはゲシュタポに捕まって拷問を受け、口を割らないまま英雄的な死を迎えるし、彼を庇って捕えられたドン・ピエトロ神父もまた、最後は処刑される。
しかし、最も印象に残ったのは、こうした「レジスタンスたちの英雄的な死に様」ではなく、マンフレーディを匿ったために、いったんはゲシュタポに捕えられたフランチェスコの、(再婚の)婚約者である、ピーナの死である。
と紹介されている部分だが、ゲシュタポに逮捕され、抵抗しながらも連行用のトラックに乗せられるフランチェスコを見て、ピーナは彼の名を呼びながら、走り出したトラックを追いかけるのだが、無情にも彼女は射殺されて、その場にバタリと倒れる。
そして、その場に居合わせた、ドン・ピエトロ神父と、彼女の幼い一人息子が、すでに息絶えた彼女の骸を、むなしく抱き起こすのだ。
この、ピーナがトラックを追って走るシーンの正面からのカットは、本作の映画ポスターやDVDの表紙にも多く採られているのだが、そのことからもわかるとおり、このシーンが、見る者の胸を強く揺さぶるのは、彼女が「勇敢なレジスタンスの闘士」などではなく、好きな男と結ばれ、平穏な生活をおくることを願っていただけの、「市井の平凡な中年女」だったからではないだろうか。
そんな、ある意味では「小さな幸せ」への希望さえあっさりと奪い去ってしまう「戦争」というものの本質を、このシーンが、どのシーンよりも的確に、捕えていたからではないか。
マンフレーディの死も、ドン・ピエトロ神父の死も、それは無論「ドラマティック」なものとして、レジスタンスを闘った者の心を打ったことであろう。
だが、彼らの「英雄性」というものは、あまりにも「理想化」されたものであり、その意味では「リアリズム」の域を超えてしまっているとも言えるだろう。
それよりは、ピーナは無論、酒に酔ったゲシュタポ将校が「俺は、前の戦争で、部隊長として、敵を殺して殺して殺しまくったよ。でも、その結果、残ったのは俺たちに対する憎悪だけだった。今度も、きっとそうなる。俺たちは、世界中から憎まれる存在になるんだ」と漏らすシーンの方が、よほど「リアル」であろう。「極悪のナチス」としてではなく、一人の人間として、そのドイツ人将校を描いていたからである。
だが、そんな彼でさえ、映画のラストシーンでは、ドン・ピエトロ神父の射殺による処刑に躊躇するイタリア人兵士たちに、強く「撃て!」と命じる役回りを担わされている。一一まさに、これが「戦争のリアル」なのだ。
で、私が何を言いたいのかというと、映画を評価するにあっても、私たちは「権威主義的イデオロギー」に盲従するのではなく、「一人の人間」として、対象を見るべきだ、ということである。
本作が、「カンヌ映画祭・特別賞」他多数を受賞した「名作」だとか、「ヌーヴェル・ヴァーグの先駆的作品」だとか、「ネオリアリズモ」の起点をなす歴史的な作品だとか、「そんなこと」は、ピーナのような庶民の女には関係のない話だし、あの「俺たちは嫌われる」と漏らさざるを得なかったドイツ人将校なら、いくら大勢のレジスタンスたちを殺して「鉄十字勲章」みたいなものをもらったって、決して喜びはしなかっただろう。「支配民族」などという「エリート意識」の虚しさを知っていたからである。
彼らは、そんなケチな「権威主義的な幻想」に酔うことなく、この世の「リアル」を見ていた。
だからこそ、「国家間の対立関係」をも超えて、「人間そのもの」が見えていたのだ。
(2024年7月18日)
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