なにもしないこと
皆、“なにもしない”時間というのは、どれくらいあるだろうか。
わたしは一日のうち、3じかんはこの時間をすごしている。
“なにもしない”が与えてくれる回復力はスゴいものがある。『自分を自身に戻す』時間だ。
最初はこの“なにもしない”はとてもレベルが高くて到底できっこないように思えた。
ただ空の雲の動きを眺めたり、自分の今いる空間のなにかをみつめたりと、頭もできるだけ空っぽにするというだけなのが、はじめの頃は、何かと過去の記憶が思い起こされ感情が波打ったりということがしばしばあった。
これは、自分の中の「これまで無視して来た心」が時を経て「自分を放っておかないで」と声を上げて来ていたのだった。ここから、これまで置き去りにして来た“自分と向き合う”ことに取り組み始め、少しずつ自分の心の大掃除が整って来た今
しばらく“なにもしない”に泳ぐ空間をすごしていると、自然と思いつくことや新鮮な感覚が、新しく次にやってみたいことのヒントをくれて、そのひらめきのままに行動したり、あふれて来る言葉のままにブログを綴ったりすることがおおい。
長らくの「これまでの習慣」からの影響で、つい頭ばかりを稼働させて、身体をおざなりにしてしまうことがよくあるため
楽なポーズや意味もなく立って姿勢を変えたり、身体の気持ちがいいところを伸ばしたりして体勢を変える。
そして、感覚でいうとやはり視覚、つまり目から得る情報や体感がつい多くなるので、目を休めるため、すきな音をかけて目を閉じて身体が伸びる感覚をメインに味わう時間を作ったりもする。
夏になってからは、日が落ちて涼しくなって来る夜に少し自転車で近所を走ってぬるい風を感じたり、どこかの家の夕ご飯の匂いに口角を上げながら見上げる空がすきだ。
“なにもしない”心地よさを体感できてから、こういった小さなことを見つめられるようになった。
これまで自分以外のもののために使っていた五感を自分自身だけに使い始めたからだと思う。
こういった日常の“小さなしあわせ”と呼べるものは、これまでも「見て」はいたけれど『見えて』はいなかった。
このふたつは似ているようでまた違うのだなあということに気がついた。
🔽自分の『過去の心』と向き合うとは?
🔽“なにもしない”=『静』の時間を楽しむ話
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