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この花に似合う物語り
どうやら、お彼岸に間に合った。当地でヒガンバナを、今朝ようやく目にできたのである。今年、このあたりでは、25日の彼岸明けのあとに、ヒガンバナたちが咲くかもしれないと思っていた。
見つけたのは、毎朝、散歩で訪れている境川の中州だった。雑草の中に、合計で4輪、赤い花が咲いている。隣接する河畔林にもいくつかの赤い花があった。明日が彼岸の中日なので滑り込みで咲いたわけだ。
ヒガンバナの異称は1,
思い出せない40年前の夏
外出のしたくに手間取り、朝の散歩がいつもより30分遅い出発になってしまった。外は太陽が照りつけて暑い。9月もなかばだというのに、あいかわらずの猛暑だ。ほんとうかどうかわからないが、子供のころから、秋のほうが陽射しは強いと聞かされてきた。
たしかに、秋の陽射しには鋭さを感じる。去年も9月のなかばまで暑かった記憶がある。「暑さ寒さも彼岸まで」という昔からのことばをあらためて噛みしめた記憶があるか
忘れらないハンブルクのおにぎり
1999年秋、ドイツのハンブルクにいた。ドイツ北部にある同国第二の都市で、都市(まち)の中心にアルスター湖という大きな湖を擁した美しい街である。あこがれていた街だが、まさか、自分がそこにいかれるとは思ってもいなかった。
簡略にいえば、勤めていた会社の社長のお供であり、社長が出席する国際会議へ自分もともに出席するためだった。54歳のときである。
9歳年上の長兄のような社長からは、出発前にク
旬の秋ナスを焼いて食べる
ナスは好きでも嫌いでもない。目の前に出されれば食べるが、ナスが食べたいと熱望するほどではない。ただ、ナスの冷たいみそ汁は「うまい!」と思う。これだけは忘れられない。きっと、幼児体験のひとつなのだろう。
ナスが旬らしいというのは毎朝の散歩でわかる。ナス畑の脇に軽トラックが止まり、毎朝、農家の方がナスの収穫に余年がないからだ。荷台には八百屋のロゴが入った買い物カゴが置かれ、取り立てのたくさんのナ
ズボンがなくなる恐怖
今朝、テレビで「夏太り」についての「身体のメカニズム」を教わった。やはり、人間、夏は太りやすいのだという。もう80歳を間近にしているので、寿命が縮まったとしてもあわてはしないが、はくズボンがなくなるのは恐怖である。
いまさら新調するのはムダだし、なによりも買いにいくのが面倒この上ない。60代まで、ふだんにはくズボンをたくさん買った。40本はくだらないだろう。キャンプが趣味だったのでふえてしま
わが家はハトの故郷らしい
故郷へ懐古の念をいだくのは、どうやら人間だけではないらしい。鳥たちもまた、生まれた場所をなつかしむ心があるとぼくは思っている。
生まれた場所へ戻っているらしい鳥を最初に見たのは一昨年の秋だった。1羽あるいは3羽のムクドリだった。そこは、毎年、戸袋にムクドリが営巣している家の前である。
電線にとまったムクドリは、いつも戸袋を見つめていた。彼らの風情から、巣立っていった子たちだなとわかる。
あの子が野良だったなんて
何事も聞いてみないとわからない。それにしても、自分の思い込みのあまりの外れ方に驚いている。わずかにいだいていた疑問もことごとく氷解した。それにしても、「まさか……」と思うばかりである。
毎朝のように逢い、ぼくが勝手に「ヒメ」と名づけたきれいな子は、この家の飼いネコではなく、10歳を過ぎた野良ネコだという。避妊手術で耳の先が切られた“サクラネコ”になっていない。それに、わがもの顔でいつもこの家
彼岸花たちの季節がやってくる
連日、暑い日が続いている。天気予報によると19日のお彼岸を迎えても、この暑さはひと息ついてくれないらしい。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、秋は10月までおあずけだという。半月ほどの辛抱である。
かつて、9月になったとたん、いきなり涼しくなった年があった。10年以上昔である。それが忘れられず、以来、9月の涼味に期待してきた。だが、やはり彼岸のころまで残暑は続いている。
これほどではなかった
パーカーはアメリカの象徴だった
久しぶりにパーカーのボールペンの芯を買い、使いなおして、幼いころ、「パーカー神話」らしき妄想が日本にあったの思い出す。この国が戦争でアメリカに叩きのめされ、占領されていたのは子供心にもわかっていた。
都心ではアメリカ兵が徒党を組んで歩いていた。兵隊同士のケンカを取り締まるためのMPたちの姿も珍しくない。実際には見てはいないものの、夜、東京駅では進駐軍の兵士たちが、よく、ケンカしていたという。