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79歳になった。そんな老人にも、インターネットの片隅をちょっとだけ使わせいただきたい。…

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79歳になった。そんな老人にも、インターネットの片隅をちょっとだけ使わせいただきたい。若い方々のおじゃまにならないように、できるかぎりひっそりと使っていく。もし、じゃまだったら、無視していただければいい。慣れているからいっこうにかまわわない。

最近の記事

この花に似合う物語り

 どうやら、お彼岸に間に合った。当地でヒガンバナを、今朝ようやく目にできたのである。今年、このあたりでは、25日の彼岸明けのあとに、ヒガンバナたちが咲くかもしれないと思っていた。  見つけたのは、毎朝、散歩で訪れている境川の中州だった。雑草の中に、合計で4輪、赤い花が咲いている。隣接する河畔林にもいくつかの赤い花があった。明日が彼岸の中日なので滑り込みで咲いたわけだ。  ヒガンバナの異称は1,000にもおよぶといわれ、「死人花」をはじめ、縁起の悪いものがよく知られている。

    • 個性で見分ける

       このところ、3羽のカルガモが、散歩の折り返し点の近くにあるぼくの“エサ場”で待っている。もっとも、たまたまそこにいるだけで、待っているように見えるのは偶然かもしれない。しかし、カルガモたちは、ぼくを覚えたようで、エサ場に近づくと急いで泳いでくる。  カラスたちだと頭がいいので、毎朝のお出迎えはわかる。カルガモは、20メールあまり離れた遠くで、行き交うたくさんの人間の中から、特定のひとりを識別して寄ってくるので、カルガモもけっこう頭がいいのかもしれない。カラスとの違いは、や

      • 花のない彼岸の入り

         おととしだった。犬の散歩仲間のお年寄りがいった。 「えらいものですねぇ。時期がくるとちゃんと咲いている」  あちこちで赤いヒガンバナが季節を告げていた。  このあたりだと、都営の団地の敷地に群生地がある。そこでは、白いヒガンバナも咲く。それなのに、彼岸の入りとなった今年はまったくヒガンバナがない。発芽さえしていないのである。昨日のテレビで、たしか北関東の公園に咲いたヒガンバナがニュースになっていた。  近隣でヒガンバナの里として名高いのは、埼玉・日高市にある高麗川のほと

        • 思い出せない40年前の夏

           外出のしたくに手間取り、朝の散歩がいつもより30分遅い出発になってしまった。外は太陽が照りつけて暑い。9月もなかばだというのに、あいかわらずの猛暑だ。ほんとうかどうかわからないが、子供のころから、秋のほうが陽射しは強いと聞かされてきた。  たしかに、秋の陽射しには鋭さを感じる。去年も9月のなかばまで暑かった記憶がある。「暑さ寒さも彼岸まで」という昔からのことばをあらためて噛みしめた記憶があるからだ。それにしても、去年はこれほどの暑さではなかったと思う。  6時の出発だっ

        この花に似合う物語り

          忘れらないハンブルクのおにぎり

           1999年秋、ドイツのハンブルクにいた。ドイツ北部にある同国第二の都市で、都市(まち)の中心にアルスター湖という大きな湖を擁した美しい街である。あこがれていた街だが、まさか、自分がそこにいかれるとは思ってもいなかった。  簡略にいえば、勤めていた会社の社長のお供であり、社長が出席する国際会議へ自分もともに出席するためだった。54歳のときである。  9歳年上の長兄のような社長からは、出発前にクギを刺されていた。「いいか。ハンブルクは遊びだぞ。仕事じゃないからな」と——。な

          忘れらないハンブルクのおにぎり

          おりこうなカラス

           朝、ぼくをたいてい待っていてくれる若い2羽のカラスたちが、ずいぶん大きくなった。彼らが若いらしいというのは、なんとなくわかる。何より、どちらも身体が小ぶりである。とりわけ、1羽は小柄である。決定的なのが、ハシブトガラスなのにどちらもクチバシがあまり太くなかった。  コグロと名づけた小柄の子のほうがぼくに慣れた。最初は大胆だったたもう1羽のほうは、成長するにともない、以前よりも用心深くなってしまった。野生なのでそれが普通かもしれない。だが、コグロのほうは、最近、腕を伸ばせば

          おりこうなカラス

          旬の秋ナスを焼いて食べる

           ナスは好きでも嫌いでもない。目の前に出されれば食べるが、ナスが食べたいと熱望するほどではない。ただ、ナスの冷たいみそ汁は「うまい!」と思う。これだけは忘れられない。きっと、幼児体験のひとつなのだろう。  ナスが旬らしいというのは毎朝の散歩でわかる。ナス畑の脇に軽トラックが止まり、毎朝、農家の方がナスの収穫に余年がないからだ。荷台には八百屋のロゴが入った買い物カゴが置かれ、取り立てのたくさんのナスが入っている。このあと、家に持ち帰り、袋詰めにして納品されるわけだ。  そん

          旬の秋ナスを焼いて食べる

          ズボンがなくなる恐怖

           今朝、テレビで「夏太り」についての「身体のメカニズム」を教わった。やはり、人間、夏は太りやすいのだという。もう80歳を間近にしているので、寿命が縮まったとしてもあわてはしないが、はくズボンがなくなるのは恐怖である。  いまさら新調するのはムダだし、なによりも買いにいくのが面倒この上ない。60代まで、ふだんにはくズボンをたくさん買った。40本はくだらないだろう。キャンプが趣味だったのでふえてしまった。会社用のチノパンだけでも10本はある。  しかし、この夏は確実に太ってし

          ズボンがなくなる恐怖

          わが家はハトの故郷らしい

           故郷へ懐古の念をいだくのは、どうやら人間だけではないらしい。鳥たちもまた、生まれた場所をなつかしむ心があるとぼくは思っている。  生まれた場所へ戻っているらしい鳥を最初に見たのは一昨年の秋だった。1羽あるいは3羽のムクドリだった。そこは、毎年、戸袋にムクドリが営巣している家の前である。  電線にとまったムクドリは、いつも戸袋を見つめていた。彼らの風情から、巣立っていった子たちだなとわかる。  マンション住まいのぼくの家の玄関の前にも、北側のテラスから巣立っていったハト

          わが家はハトの故郷らしい

          気ままに生きる勇気

           まだ、新入社員のころだった。10歳ばかり年長の先輩社員が駅へ向かっていった。直後にわかったのだが、彼は会社を目前にして、「きょうは休むから」と後輩に告げると、出社するのをやめて駅のほうへと戻っていったという。家へ帰ったのか、どこかへ別の場所を目指したのかはわからない。  気持ちはわかった。当時、ぼくも会社へ出るのか嫌だった。新人の1年間、12歳年長の上司からいわれなきいじめにあっていたからである。やることなすこと、指示が彼の気分でまったく逆になり、そのつど、激しく罵倒され

          気ままに生きる勇気

          あの子が野良だったなんて

           何事も聞いてみないとわからない。それにしても、自分の思い込みのあまりの外れ方に驚いている。わずかにいだいていた疑問もことごとく氷解した。それにしても、「まさか……」と思うばかりである。  毎朝のように逢い、ぼくが勝手に「ヒメ」と名づけたきれいな子は、この家の飼いネコではなく、10歳を過ぎた野良ネコだという。避妊手術で耳の先が切られた“サクラネコ”になっていない。それに、わがもの顔でいつもこの家の玄関や庭にいる。そこで、てっきりこの家の飼いネコだとばかり思ってしまった。

          あの子が野良だったなんて

          気ままに生きる代償

           仕事を持っていたころは、仕事の予定にしたがって1日がまわっていた。ぼくは会社勤めをしていたから、会社の始業時刻にタムカードを打刻してその日が、とりあえずはじまった。  寝不足だろうと、風邪気味だろうと、決まった時刻に家を出て、同じ電車に乗って出勤し、そして、その日がはじまる。  つまらない人生だと思う方もおられようが、とても気楽だった。  ある時期から、タイムカードがいらない身分になった。カードがあったころは始業時間まぎわに出社していたのが、なぜか30分ほど早く出社するよ

          気ままに生きる代償

          彼岸花たちの季節がやってくる

           連日、暑い日が続いている。天気予報によると19日のお彼岸を迎えても、この暑さはひと息ついてくれないらしい。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、秋は10月までおあずけだという。半月ほどの辛抱である。  かつて、9月になったとたん、いきなり涼しくなった年があった。10年以上昔である。それが忘れられず、以来、9月の涼味に期待してきた。だが、やはり彼岸のころまで残暑は続いている。  これほどではなかったが、去年の夏も暑かった。9月の後半でようやく涼しくなったと記憶している。地球温暖

          彼岸花たちの季節がやってくる

          話題は病気だけになる

           例外なく同じだろうし、男女での違いもないだろう。年寄りが集まると、病気の話で終始する。自分の健康が危うくなっているからだ。もう、ほかには話題もなくなっている。記憶もあやしくなっていて、語り尽くしているので回想談には飽きあきしてしまった。 大学時代の旧友たちと過ごしたあと、「病気の話ばかりだったよ」と自嘲的に語ってくれたのは、ぼくが35歳からの40年間をつかえた会社のオーナーであり、社長だった人である。中途入社のぼくは、最初、見向きもされなかったが、後年、まるで長兄のよ

          話題は病気だけになる

          眠れぬ悩みの正体は

           この時代、眠らぬ都市(まち)の東京にあっては、未明の時間帯からコーヒーや軽食を提供する店は珍しくない。ぼくが住む郊外というか、田舎町にも2軒ほどそんな店があるらしい。ぼくは出かけていったことはないが、毎日のように、早暁、目は覚めている。  リビングルームの戸を開け、この時期だと涼しい5時台に散歩に出て行く都合もあるので、テラスへ出て未明の町のようすをたしかめてみる。眼下を、ときおり、懐中電灯を手にしたお年寄りとおぼしき人影が歩いていくのを見る。  早暁から営業しているコ

          眠れぬ悩みの正体は

          パーカーはアメリカの象徴だった

           久しぶりにパーカーのボールペンの芯を買い、使いなおして、幼いころ、「パーカー神話」らしき妄想が日本にあったの思い出す。この国が戦争でアメリカに叩きのめされ、占領されていたのは子供心にもわかっていた。  都心ではアメリカ兵が徒党を組んで歩いていた。兵隊同士のケンカを取り締まるためのMPたちの姿も珍しくない。実際には見てはいないものの、夜、東京駅では進駐軍の兵士たちが、よく、ケンカしていたという。 「あいつらのケンカは、まず、蹴りから入るからな」と、教えてくれたのは父だった

          パーカーはアメリカの象徴だった