hiro_taka84

79歳になった。そんな老人にも、インターネットの片隅をちょっとだけ使わせいただきたい。若い方々のおじゃまにならないように、できるかぎりひっそりと使っていく。もし、じゃまだったら、無視していただければいい。慣れているからいっこうにかまわわない。

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79歳になった。そんな老人にも、インターネットの片隅をちょっとだけ使わせいただきたい。若い方々のおじゃまにならないように、できるかぎりひっそりと使っていく。もし、じゃまだったら、無視していただければいい。慣れているからいっこうにかまわわない。

最近の記事

冬めきて(23)

 若かったからだろう。50円を借りる自分が惨めだとは思わなかった。恥ずかしさはない。50円の硬貨をにぎり、宇佐美の世話にならずにすんで気持ちが軽くなっていた。  もし、経済学部の建物で宇佐美を見つけることができなかったらとは、あえて考えなかった。彼は間違いなく経済学部の自治会室にいるはずだと信じていた。  彼のアパートへいくには、駅まで歩き、電車でいくつか先の駅までいかなくてはならない。空きっ腹で歩いていける距離ではなかった。その電車賃もない。どうしても、学校のどこかでつかま

    • 冬めきて(22)

       何日も食事を摂っていなかった。金がなくなったときの常食だった食パンのミミも底をついていた。  パン屋がサンドイッチを作るときに切り落とした、いわば、捨てるようなそのパンのミミも、もちろん、いくばくかの金を払って買う。かたくなったらフライパンで熱した油をからめるが、その油だっていつもあるとはかぎらない。なければそのまま食べる。  だれに教わったのかは覚えていない。東京での生活がはじまってしばらくして、アルバイト先で仲間から休憩時間のときにでも教わったのだろう。  東京のパンの

      • 冬めきて(21)

         会社を辞めても怖くはないはずだった。しょせんは以前の自分に戻るだけである。大学を卒業しなくてはならないとの命題がなくなって、ひたすら気楽だったはずだ。就職だって4年間で卒業するための方便で、なりゆきで流れるように決まっていた。  ただ、まだ、飢えのつらさは風化していなかった。もう、そこまで落ちてはいかないだろうと思いながら、やはり恐怖だった。  学生時代の一時期はひどい食生活を送っていた。必死だったので、とりたてて悲惨とは思わなかった。はたちのころだというのに、あれはまぎれ

        • 冬めきて(20)

           小林からの用件は、テーブルの上がすっかり片づけられ、苦味の強いコーヒーに変わってからようやく聞かされた。他愛のない依頼だった。小林もてれながら切り出した。 「実は……」といって、2枚のチケットをテーブルの上に出し、「わたしがかわいがっている姪をこの映画に連れていってほしいんだ」という。2、3年前に短大を出ているというから同世代だろう。 「軽い気持ちできみに頼もうと思っていたのに、騒ぎが大きくなって、いまさら頼みづらいんだがね」  そして、いいわけのように続けた。 「もう、頼

          冬めきて(19)

           恋人ごっこから解放されたばかりなのに、若い時代は呼吸つくひまがないほどあわただしい。  特別に目をかけてもらっていたわけではない人から、直接、電話がかかってきて、昼、ふたりで食事をすることになった。すぐさま、自分の上司に報告した。 「名指しでか? おまえ、何か不始末があったんじゃないか?」  上司の顔がこわばった。相手は会社の大切な顧客だったからだ。しかも、その食品メーカーの部長である。毎日、一度は、「何かご用はありませんか?」と、担当者の席へ通うのが仕事のひとつだった。部

          冬めきて(19)

          冬めきて(18)

           響子の、ひと月以上の予定で海外へいく予定が迫っていたころだった。のちの世ではストーカーと呼ばれる魔物と化し、彼女にまとわりついていた作家が死んだ。  新聞の訃報欄によると、酔って近郊の駅のプラットフォームから落ち、入ってきた電車に轢かれたという。事故というが、その短い記事を読んだとき、自殺だったのではなかったのかと思った。若いと思っていた彼が、思いのほか年を食っていたのもはじめて知った。しかも、結婚している。  彼の死について響子からは何も聞けなかった。もう半月ほど前から会

          冬めきて(18)

          冬めきて(17) 

           手にした小さな電話機を机の上に置き、立ち上がって窓を開けた。夜明けがすっかり遅くなってしまった。朝も4時を過ぎたというのに、外はまだ未明の闇である。  秋の涼やかな空気が流れこんできた。この季節、庭には、まだ、虫たちの鳴き声が満ちているかもしれない。しかし、静まり返った闇である。難聴が進んでいて聞こえない。もう、ずいぶん前からだ。妻の美佳も、最近では補聴器を買えとはいわなくなった。妻に抵抗しているわけではない。日常で、さほど不便を感じていないからだ。しかし、秋になり、窓を開

          冬めきて(17) 

          冬めきて(16)

           姉からは頻繁に手紙がきていた。ちゃんと生きているのかを母に代わって心配してくれていたのだろう。とりわけ、毎日の食事を心配してくれた。  大学で成り立っている町だけあって、学生相手の定食屋がいくつかあった。店で働く人々は、皆、無表情で冷ややかだった。都会の人々の冷淡さには慣れてきていたので苦にはならない。知らない人々には田舎のほうがもっと冷たい。都会の冷たさなど、観光客への見せかけの笑顔よりわかりやすい。  それらの店で、ずっとなじんできた母の味というか、郷土につながるような

          冬めきて(16)

          冬めきて(15)

           合格してからの入学金や一期分の学費、アパートを借りるときの費用などは、少なくない金額だった。だが、東京での当面の生活費にいたるまで、姉と母のふたりはうれしそうに用意してくれた。それがどれだけ大変だったのか、身にしみてわかったのは、入学してしばらくしてからだ。  働かなくては東京での生活が維持できないのはわかっていた。そのつもりだった。いろいろ不安はあったが、頼りになる先輩がいるのだからなんとかなると思った。 「大丈夫だよ。先輩もいるし、自分でなんとかするよ」  世間知らずの

          冬めきて(15)

          冬めきて(14)

           また、まともに眠れない夜が続いていた。  新年度早々、法学部の掲示板に張り出された、「以下の者は学費未納により抹籍とする」という掲示の中に自分の名前を見つけていたからである。  学費は三期に分けて払うことになっている。一期分の半額は入学金といっしょに入学時に払っていた。だが、二期分と三期分はまだ経理部に入金していない。忘れていたわけではなかった。日々の生活に追われてしまい、あとまわしにせざるをえなかったのだ。  1年生のときの二期分だけでもなるべく早くなんとかしたかった。抹

          冬めきて(14)

          冬めきて(13)

           宇佐美は高校の先輩というばかりではない。郷里へ帰れば、この先輩の家は古くから地元の有力者、いわば顔役である。  戦後のどさくさで彼の父親が東京の闇市場で大儲けしてさらにひと財産を築いた。そのあとは、中央政界の保守系政治家ともきわめて親密だし、縁戚関係にあるとさえいう。宇佐美の父が、その政治家にとっては金ヅルであり、その代わり何倍もの利益を宇佐美の家が得ている。いま、近くで建設を進めているダム湖もその政治家のおかげといわれていた。宇佐美の家や県下の有力者と目される人々に関連す

          冬めきて(13)

          冬めきて(12)

           もう、ことばで気遅れするような日常ではなくなっていた。東京の言葉をあやつれるようになったからではない。訥弁の自分に慣れてしまったからだろう。  上京して1年たち、大学でも2年生になったのだと思うと少しばかり誇らしく、自信もかなり気持ちの支えになっていてもいいはずである。だが、その2年生を無事に了えられるかどうかの瀬戸際にあったころだった。  その日、次の一般教養科目の憲法の授業で、ノートを取るふりをしながら、持ちあわせていたレポート用紙に宇佐美へ手紙を書いた。授業が終わり、

          冬めきて(12)

          冬めきて(11)

           穏やかな季節に包まれ、だが、生活に追われる毎日だった。  何かのときに、と母が持たせてくれた少しまとまった金は教科書代で消えていた。学校がはじまると、教科書代は貧乏学生のかなりの負担となる。うかつにも気づかなかった。宇佐美からは何も教わっていない。古本屋で探せば、たいていは見つかると知ったのは翌年だった。  またたくまにやってきた正月もアルバイトで暮れた。むろん、郷里へは帰らなかった。東京へ出るとき、親たちには、旅費がもったいないから、たぶん、卒業するまで帰らないといってあ

          冬めきて(11)

          冬めきて(10)

          「篠塚くんの先輩はかなりいいとこのお坊ちゃんらしいね。それもずいぶん聞かされたよ。いやあ、うらやましい」  さきほど、オルグられたのか、とやじった上級生がまた太い声でいった。すぐに、宇佐美との関係を訊いた上級生が再び口を開いた。 「篠塚、酔ったついでに教えておいてやる。いいか、東京の人間のいってることを額面どおりに聞くなよ。とくにお世辞なんか真に受けるんじゃないぞ。田舎の人間は、東京の人間の単純なお世辞にたちまち舞い上がる。社交辞令にすぎないのだよ。おれも九州の田舎者だからち

          冬めきて(10)

          冬めきて(9)

           ようやく自分の番になった。立ち上がり、名前と学部、そして出身地につづき、用意していた自分について声のふるえをおさえながら話しはじめた。 「自分は鉛筆画を描いています。絵の具を買わなくてもいいので金がかからないからです」  そこまで一気にいうと、軽い笑い声が起こった。ほんとうのことだった。予期しなかった笑いに、少し前だったらことばに詰まっていただろう。東京に慣れてきたせいか、そのときはかえって落ち着きはじめた。 「2年の宇佐美さんが高校の先輩で、この現代美術研究会も宇佐美先輩

          冬めきて(9)

          冬めきて(8)

           木々やリスの絵は鉛筆だけで描いた。絵の具をほしいとも思わなかった。新聞広告や、ノートの片隅に漠然と描いて、それだけで幸せだった。美術部へ入ってしばらくして、「使えよ」といわれて、部長の宇佐美から西ドイツ製のブルーのきれいな軸の鉛筆をひと箱もらったときは驚いた。  宇佐美のほうには、西ドイツ製の鉛筆を後輩に与えることになど、なんら意図はなかったのかもしれない。何かを与えておけば、もらった人間はありがたがる。だから与える。それだけの、単純な理由だったのではないか。  施すのが日

          冬めきて(8)