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気ままに生きる勇気
まだ、新入社員のころだった。10歳ばかり年長の先輩社員が駅へ向かっていった。直後にわかったのだが、彼は会社を目前にして、「きょうは休むから」と後輩に告げると、出社するのをやめて駅のほうへと戻っていったという。家へ帰ったのか、どこかへ別の場所を目指したのかはわからない。
気持ちはわかった。当時、ぼくも会社へ出るのか嫌だった。新人の1年間、12歳年長の上司からいわれなきいじめにあっていたからである。やることなすこと、指示が彼の気分でまったく逆になり、そのつど、激しく罵倒された。
社内では有名な部下いじめの人だった。この人とは1年で終わり、2年後に謝罪された。そりゃそうだ。その後、彼が隔週刊の雑誌の編集長になったとき、何度か陰で手伝っていたからである。
会社勤めでサラリーマン人生を終えたぼくは、ずっと会社という組織に寄り添って生きてきた。とても、フリーでは生きてけない人間だった。会社を前にして踵(きびす)を返した先輩の気持ちはわかったが、新人でなくなってからも逃げてはいない。
ネコのヒメが、飼われてもその家に居つかず、ごはんだけはもらいにくる。あとは野良ネコとして生きてきたと知って驚いた。野良ネコは、子ネコで保護しても家に居つかないと聞いたことがある。しかし、ぼくが飼った3匹の猫のうち、2匹が野良だった。
2匹目のダダと名づけたメスネコは2歳くらいで保護していたから気ままに生きるよさもわかっていたはずだ。人間にはとてもフレンドリーだったが、ネコ同士となると強い子だった。近所の複数の野良ネコたちと戦い、追い払っていたほどだ。
引っ越すときに、ダダのファンが別れを惜しんで大勢やってきて面食らった。ダダはとりわけぼくになついていた。まるで愛だった。
ぼくは会社という寄るべを75歳まで失わずに生きた。ダダのように生きた。気ままに生きるような勇気はなかった。