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眠れぬ悩みの正体は

 この時代、眠らぬ都市(まち)の東京にあっては、未明の時間帯からコーヒーや軽食を提供する店は珍しくない。ぼくが住む郊外というか、田舎町にも2軒ほどそんな店があるらしい。ぼくは出かけていったことはないが、毎日のように、早暁、目は覚めている。

 リビングルームの戸を開け、この時期だと涼しい5時台に散歩に出て行く都合もあるので、テラスへ出て未明の町のようすをたしかめてみる。眼下を、ときおり、懐中電灯を手にしたお年寄りとおぼしき人影が歩いていくのを見る。

 早暁から営業しているコーヒーを飲ませる店には、お年寄りが集まるそうだ。コーヒーを注文し、配達されてきたばかりの新聞を読みふけるのが、毎朝のルーチンワークだという。どうせ、早起きしてしまい、眠れないのなら、あり余る日々の作業としては実にいい。

 まだ、ぼくが30代のころ、毎日、眠れないと嘆いていた50代の女性がいた。年をとるにしたがい、長く眠れなくなってくる。ぼくも、せいぜい、4、5時間の眠りの繰り返しである。リタイア後、不足分は昼寝で補っている。それもまた3時間から4時間である。

 若いころとは眠りがまったく異なってきたのがわかる。一度の眠りが深いかどうかはわからない。1日のトータルでは、けっこう時間だけは寝ている。ぼくの場合は、それで満足し、気に病んだりしない。これぞ、ひとり暮らしの気楽さであろう。女房が横にいたらそうはいかない。

 困るのが、夢を見て、起きてからもしばらく残る不快感である。たいてい、夢の中身は忘れてしまうが、不快感とそれに伴う軽い疲れはしばらく持ち続けてしまう。こればかりはどうしようもない。

 老いた不眠症の方々の悩みは、もしかすると、眠れないのではなく、悪夢に疲れてしまうからではないのだろうか。年を取ってヒマだと、たあいのない夢でも、それが不快な夢だった場合、しばらく尾を引いてしまうからだ。

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