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この花に似合う物語り

 どうやら、お彼岸に間に合った。当地でヒガンバナを、今朝ようやく目にできたのである。今年、このあたりでは、25日の彼岸明けのあとに、ヒガンバナたちが咲くかもしれないと思っていた。

 見つけたのは、毎朝、散歩で訪れている境川の中州だった。雑草の中に、合計で4輪、赤い花が咲いている。隣接する河畔林にもいくつかの赤い花があった。明日が彼岸の中日なので滑り込みで咲いたわけだ。

 ヒガンバナの異称は1,000にもおよぶといわれ、「死人花」をはじめ、縁起の悪いものがよく知られている。ヒガンバナというよりは、「曼珠沙華(マンジュシャゲ)」の異称のほうが有名かもしれない。花の形態もさることながら、マンジュシャゲは梵語に発しただけあってエキゾチックである。

 花に出逢うと、つい、「赤い花なら 曼珠沙華 阿蘭陀(オランダ)屋敷に 雨が降る」と『長崎物語』の歌の一節を口ずさんでしまう。1939年に作られた曲で、実に多くの女性歌手によってうたいつがれてきた。

 歌詞は、「濡れて泣いてる じゃがたらお春 未練な出船の ああ鐘が鳴る」と続く。イタリア人航海士と日本の貿易商の娘だった女性の間に生まれたお春は、10代のなかば、徳川幕府の鎖国政策によってジャカルタに追放される。

 お春の消息は『じゃがたら文』にしのぶことができる。『長崎物語』は、『じゃがたら文』を下敷きにしたお春の望郷の念をうたったものだ。しかし、『じゃがたら文』は偽作であり、お春の生涯も決して悲劇的ではなかったとの研究がなされている。

 熾烈な鎖国政策によって、お春にとどまらず、この時代、国外への追放を余儀なくされた名もなき少女がほかにもいたかもしれず、そんな彼女の望郷を思うと悲しくなる。

 雨で濡れた阿蘭陀屋敷の庭に咲いた赤い曼珠沙華を思って泣く——悲しく、やるせないそんなストーリー(物語り)がこの花にはよく似合う。

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