話題は病気だけになる

 例外なく同じだろうし、男女での違いもないだろう。年寄りが集まると、病気の話で終始する。自分の健康が危うくなっているからだ。もう、ほかには話題もなくなっている。記憶もあやしくなっていて、語り尽くしているので回想談には飽きあきしてしまった。

大学時代の旧友たちと過ごしたあと、「病気の話ばかりだったよ」と自嘲的に語ってくれたのは、ぼくが35歳からの40年間をつかえた会社のオーナーであり、社長だった人である。中途入社のぼくは、最初、見向きもされなかったが、後年、まるで長兄のような親しみを感じていた。

 ときどき、社長室に大学時代の友人がふたりばかり訪れた。ちょっと長めのランチタイムをともにするためである。次の役員会では、旧友たちと自分の病気の話をして別れたことを教えてくれた。しかし、社長の友人たちの愚痴ではなく、自分の身体のことを嘆いていたのだろう。

 毎月、昼過ぎに出社するときは、いつもかかりつけの病院へ寄り、薬をもらってきた。薬の入ったビニール袋を見せ、その量に苦笑いしながら自室に入っていく。80代なかばで亡くなったが、いくつもの疾患を抱えていた。当然、血圧も高かった。友人のひとりは上が130台なのに降圧剤は飲んでいないという。

 ぼくも血圧は130台で、医師から、「念のため」といわれ、4年前から降圧剤のお世話になっている。動脈硬化や心筋梗塞を予防するためだという。たしかに、降圧剤は飲むべきではないという指摘もある。ぼくも抵抗したことがあったものの、いまのところ副作用らしき症状がないのでおとなしく飲んでいる。

 だれもが、80歳になり、「これだけ生きてきたから、もういいや」とはなかなか思えない。ジタバタするわけではないが、このまま医者の指示に唯唯諾々と従っていてもいいのだろうかと懐疑的になる。とにかく、身はひとつだ。医者の事務的な態度が信じられないのである。

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