自分とは異なるやり方だが、収入を高めるやり方があるのだとすれば、耳を傾けてみる価値はあると思う。 あくまても、そのやり方を受け入れるかどうかは本人次第ではありますが…。強制は良くない。本人がその道に進みたくないのに自分の考えを押し付けるのは良くない。適度な距離感、これは大事です。
距離感の必要性。距離感を保つことは互いの逃げ場をつくること。程よい相手との距離を持つことは、お互いを楽にする。苦しいのなら、近づきすぎているのかもしれない。 少し離れて程よい距離感をつかむこと。 距離を置くとは、離れることではない。 近づくことである。
【生き方のコツ💬】 導体だとしても その物質を構成する原子がギシギシだと 電子が通りづらくなり電気が流れにくくなる もし恋のトキメキも一種の電流だとしたら やはり、適度な距離感があった方が弾けやすい この二つは、同じ原理なのかもしれない(?)
二女のサヤと私は服の好みが似ている 身長も165、足のサイズも体重も同じ だから、帰省すると私のワンピースや靴を使ってくれる 何だか嬉しくてワンピースも靴も何でもあげちゃう 娘と暮らせたら楽しいだろうなと思う だけど、きっと、たまに会うから楽しいのよね~ 距離感は大切
【生き方のコツ💬】 人間関係の5つの掟: ①他人の人生の流れに干渉しない ②お互いが自然体で語り合える雰囲気を作る ③話を聞く、考えを尊重する、気持ちに寄り添う ④頼み事をする時は、「断れる余裕」を十分に残す ⑤提言はしても良いが、相手が乗り気じゃない時点で押し付けは止める
人にお返しするときの「適当」がわからない。相手との親密度によって加減したり、与えられたものと同等かやや多いくらいが程良いんだと思うけど…何を基準に測るべきか分からない。優しくしてくれるだけで感謝。でもその熱量で返すと押し付けがましくなりそうだし、加減しすぎて「足りない」のも不安🦔
仕事の休憩時間にも同僚とのお喋りを楽しめる人ってすごいなと思う。人と話すことが癒しになる人もいれば、私のように人から離れることが安らぎになる人もいる。人間嫌いってわけじゃなくて、人付き合いでエネルギー消耗しやすい性質。少しずつ自分が分かってきたし、そんな自分を責めなくなれてきた。
自分自身、人から見られるのが苦手だから、歩いてる時や隣に誰かが座った時も、なるべく視線を向けないようにしてる。宙を見たり視野を狭めたりメガネ外して視界をぼやかしたり。ただ、それによる弊害も…例えば、私に声をかけようと隣に来てくれた人に気づけない。結果、悪気なく存在無視。難しい…🦔
「 仲良くなりかけ」の段階が一番大変かも。挨拶だけや最低限の会話だけしてた頃とは違う何かをしなきゃいけないのかなって…変に悩みやすくなる。相手に何かしてあげられることがあるときはいいけど、何もないときは「せっかく仲良くしてくれてるのに」って申し訳なくなって顔合わせるのも辛くなる。
「できない」じゃなくて「やりたくない」を理由に頼み事断ったのは、初めてかもしれない。嫌われるのが怖くて断る勇気もなくて、多少無理してできることなら基本引き受けてきた。でも、今回ばかりは嫌だった。悪意を向けてくる人がその先にいて、その人とこれ以上接近せずにいるには断るしかなかった🦔
【生き方のコツ💬】 昔は、誰かとお近づきになりたい場合 「もっと近づいてみよう」 とガンガン詰めていたが 今は 「もうちょい離れてみよう」 で敢えて距離を少し置くようにしている その際に相手が「距離感の空白」に気付き 自ら寄ってきて初めて仲が深まる
他者に依存しない姿勢を貫けば他者からも 無駄に依存されず適度な距離感を保った 心健やかな対人関係を築ける。 依存的な他人に困ってる人は、実は自分も 依存的故そうなってると。 類友みたいなヤツだけど自分の行動が 自分に寄って来る人脈を、現実を作ってる って本当なんだなと痛感した
人は好きだけど人付き合いは得意じゃない。 私の場合、常にベッタリな関係性を求められると辛い。それは常に相手本意で自分の感情無視することになる。でも気持ちの浮き沈みが激しいからいつもそうではいられない… 元気な時はぐっと近づいて、疲れてるときは離れて…それでも続く関係性が心地いい。
理解出来ないならできないでしょうがない 世の中には どうしたってわかりあえないことがある