固定された記事
自分の満たされてなさを他人の不幸で埋めたがる人がいる。そのために相手の大切なものを否定させるやり口はまるで踏み絵 。敵じゃない証明のために、相手自身も大切なものも否定させる。結局その人を満足させられるか試されてるだけ。大切にはされない。自分をすり減らしてまで関わるべき人じゃない…
昨日見た悪夢。家に知らない男が入ってきて襲いかかってきて、怖くて包丁でメッタ刺しにする。男は逃走するけどその後も色んな人が次々中に入ってくる。警察呼ぶけどいつ男が戻ってくるかと怯えてる、そんな夢。最近人と関わりすぎて疲れてるせいかな。仕事行ったら避けられない。でも簡単に休めない。
またやってしまった。人の不幸話にやたら食いつく人、やっぱり気をつけないと。話しかけてくれる=優しい良い人って簡単に信じ込むのは危険。仲良くなりたくて、何でも素直に答えすぎた。相手の悪い部分に目つぶって美化しすぎてた。噂好きな人に秘密握られたら、距離置きたくなった頃にはもう手遅れ…
環境への不満や他人の批判を口にしたがる人とは距離を置かなきゃ。他に好きな部分や共通点があると、目の前の相手から嫌われるのを恐れるあまり、つい迎合して、自分の後ろにいる大切な人の不満を言い、否定する。そういう自分が嫌になる。感謝とかどうしたら良くなるかを考えられる人のそばに居たい。
我が子へ愛情を注ぐことに幸せを感じてる、それが笑顔に滲み出てるお母さんが沢山いる。今職場で仲良くしてる9割はそんな人達。愛をほしいだけもらって、わがままでいても許される。幸せな子供達の話を聴いて癒されながら、心の穴に隙間風が吹く。欲しがる側の私に「母親」は務まらないんだと気づく。
30年位前のドラマ『イグアナの娘』、YouTubeで流れてきて一話だけ流し見。自分が産んだ娘が醜いイグアナにしか見えず愛せない母と、自分を醜いと思い込む娘。涙出ちゃった。顔でも性格でも生まれ持ったものや努力で得たものを、親に認められながら生きてこられたら、どんなに違ったんだろう…