やすだっち

日々の思いをいつか忘れてしまっても、文字にして残しておきたい。いつの時代も忘れっぽい自分を受け入れながら、まぁるくゆる~く発信していきます。誰かの心に寄り添えますように。

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日々の思いをいつか忘れてしまっても、文字にして残しておきたい。いつの時代も忘れっぽい自分を受け入れながら、まぁるくゆる~く発信していきます。誰かの心に寄り添えますように。

最近の記事

#62. 懐かしい声がくれた、あの日のぬくもり

先日、見知らぬ携帯番号から電話がかかってきた。 料理中で手が離せず、後から掛け直そう、と思ったが、何度も電話が鳴る。 繰り返される電話に、緊急の連絡かも?!となんだか身を引き締めながら電話に出てみた。 受話器の向こうから聞こえてきたのは、どこか懐かしいおばあちゃんの声だった。 『あ、もしもし、 あなた、やっと出たわぁ。』とホッとした様子のおばあちゃん。 ふと過去の記憶を遡ると、思い出したのは、以前、病院で働いていた時に何度も会話を交わしていたおばあちゃんだった。

    • #61. 自分にわがままに生きるまで

      小学生の頃、教室で折り紙が配られると、私は必ず人気のない色を選んでいた。前の席に座っていたから、最初に色を選べる立場だったけど、なぜか毎回グレーや茶色ばかり手に取ってしまった。 「好きな色を選んだらいいじゃない」と言われても、どこかで自分が選ぶことで誰かを悲しませるのが怖かった。誰かが好きな色を取れなくて残念な顔をしたら、それが自分のせいになる気がして。 そんな「責任」から、無意識のうちに避けていたのかもしれない。 クラスの委員会でも、給食係の「腐った牛乳の香りが漂う

      • #60. 彼女の1か月を振り返って

        私には、ある友人がいる。 お互いが目指す先や価値観が似ている事から、最近は毎日のように連絡を取り合っている。 友達であり、共に頑張る仲間、といった感じだ。 先日、その子がこの1ヶ月を振り返ったノートを見せてもらう機会があった。そのノートには、毎日の計画ややり遂げたこと、思うようにいかなかったことが書かれていて、さらに別のページには、その日の「良かったこと」が3つずつピックアップされていた。 そのノートを見ながら、私は少しずつその子の姿を知っていく。すべてが細かく書き込

        • #59. 『人は人、自分は自分。』

          私には六つ上の姉がいる。 社会人になるまで、他人と自分を比べては落ち込み、卑屈になってきた。 自己肯定感なんて言葉は、私の辞書にはなかったような気がする。 お金も、周りに自慢できるような運動神経も、凄いねと言われる学歴も、何ひとつ持ち合わせていない。 だから、いつしか自分を否定することが「普通」になっていた。 そんな私に、姉はよくこう言った。 「人は人。自分は自分だよ。そうやって割り切らないと、疲れるだけだよ」って。 でも、その頃の私は、「割り切る」という言葉の

          #58. いつの間にか

          いつの間にか歳を重ねて、 いつの間にか憧れていた女の子と仲良くなっていた。 「いつか話しかけてみたい」とずっと思っていたけれど、勇気が出せなくて、遠くからその子の様子をチラ見するのが精一杯。(…ストーカー?) クールで、笑顔が可愛いその子。 そんなある日、私が髪を染めた次の日に 「髪の毛染めた?めっちゃ似合うね!」と話しかけてくれた。 まさか彼女の方から声をかけてくれるなんて…! しかも、褒めてくれるなんて! どうする?!どう返事する私!? 頭の中はフル回転。

          #58. いつの間にか

          #57. 寂しくなったら

          私はもともと、1人の時間が好きだった。好きだった、というよりも、大切にしていた、という言い回しが適切な気もする。 もちろん、誰かと過ごす時間も大切に思っているし、大切な人と一緒にいる瞬間が、どれだけ温かいものかも知っている。 でもふと疲れてしまうと、やっぱり1人になりたくなる時がある。 何も考えずにぐだぁっとしたり、デロンと横になってぼーっとしたり。そんな時間が、私の心を救ってくれるような気がして、これまで誰かと一緒にいても、帰ってから一気に疲れがドバッと出て横たわる、

          #57. 寂しくなったら

          #56. 生きているうちに

          人間は、いつか必ず死んでしまう。 それが決して避けられない真実なのに、私たちは毎日を当たり前のような顔で生きている。 私も、 大好きなあの子も、大切な人たちも── すべての人が、いつかはこの世から去ってしまう。そんなことは頭で理解しているつもりだ。 けれど、心のどこかではまだ「わかったつもり」でいるだけで、深く実感していない自分がいることにも気づいている。 もし、もしも明日突然自分が死んでしまったら、私は何に後悔するだろうか? もっとおしゃれなカフェでお高いケーキを頼

          #56. 生きているうちに

          #55. 完璧じゃなくて良かった

          完璧主義が運んでくるアンラッキー 完璧主義。それは時として、前に進む勇気や柔軟性を奪い、自分の生き方を縛りつけてしまうものだ。 かつては私も「完璧にやりたい」「失敗したくない」と思い続け、細部まで入念に準備をし、何度も確認を重ねて少しでもリスクを排除しようと努めてきた。 周りから「さすがだね」「本当によく頑張ってるね」と言われ、期待をしてもらえることに心地よさを感じていた。 だけれどその反面、どこか息苦しさもつきまとっていたように思う。 ある日、仕事で重要なプレゼ

          #55. 完璧じゃなくて良かった

          #54. あの時死ぬほど食べたかったカツカレーが、今は重い

          これが全てなんだけど、かつて私にはカツカレーを「死ぬほど」食べたかった時期があった。 そしてそれは、死ぬほど好きだった恋人に会うため、泣く泣く我慢していた食べ物だった。 高校を卒業してすぐ、好きだった人がなんと2,500kmも離れた場所に引っ越してしまった。でも、そんな遠距離も私にとってみたらあまり大したことなくて、「遠い」なんて感覚は好きな気持ちがWinして薄れていた。 会えない日々を乗り越えて、ビデオ通話やLINEで彼と繋がっていた。とはいえ、3年越しにいざ「会える日

          #54. あの時死ぬほど食べたかったカツカレーが、今は重い

          #53. お引越しの日

            今日はお引っ越しの日。 ー福島での最後の朝ー 朝目が覚めて、トイレにムクっと起き上がる。 いつもと何ら変わらない朝なのに、 なんだか今日は心寂しいような、でもどこか晴れ晴れした気分でいる。 カーテンを開けると、見慣れた田んぼと朝焼けがふわっと私の心を包み込む。 そう。私が1番最初にこの部屋に住むと決めたのも、窓越しに見える田んぼがとても美しくて、一瞬にして心惹かれたからだった。 朝四時に起きた時の田んぼに差し込む陽の光も、夕方から夜にかけて、水色と黄色の空か

          #53. お引越しの日

          #52. 与えられた環境で、どう生きるのか

          ー幼いころー 幼い頃、私は5人家族(兄弟3人)で 住んでいたアパートは5畳の部屋だった。 その部屋をどう上手く使うか。私たちは幼い頃から必死で考え抜いた。 今ある環境をどう生かすか、ということに。 ー私たちの「自分の部屋」ー 三人兄弟で試行錯誤した末、考え抜いて出したアイデアは、近所のスーパーからもらってきたダンボールで部屋を作ること。 今になって思うと笑ってしまうけど、 当時の私たち兄弟にとってみたら、 自分の部屋=憧れの夢 みたいで、ひたすらキラキラして見

          #52. 与えられた環境で、どう生きるのか

          #51. 燃え尽き症候群という名の試練が、私に教えてくれたこと

          ー燃え尽き症候群発症ー 半年前、私は燃え尽き症候群になった。 それは、本当にいきなり、何の前触れもなくやってきた。 昨日までは当たり前にできてた仕事が、 今日は全くできる気がしない。ダラダラと布団の中で布団の温もりに埋もれてトリハダが立つ足をひたすら隠す。 仕事したくない、というより、「布団から出られません、無理です息するので精一杯なんです」状態。 こんな状態になったのは初めてだったから、かなり焦った。 やばいどうしよえ、仕事しなきゃだよね?お金稼がないと生きていけな

          #51. 燃え尽き症候群という名の試練が、私に教えてくれたこと

          #50. べポラップと母に支えられた夜

          私は、ベポラップが好きだ。 この言葉を聞いて「どうして急に?」と不思議に思うかもしれないが、私の頭には懐かしい思い出が蘇る。 小学生の頃、私は小児喘息を患っていた。 季節の変わり目や少しの埃でも、体はすぐ反応してしまう。 掃除のあと、空気中に舞う埃がほんのわずかでもあると、咳が出始め、胸がゼコゼコ、ヒューヒューと音を立てる。 ヒューヒューという音は、どこか心細く、聞くたびに呼吸が浅くなる自分がいた。 そんな夜、母は決まって「はい、ベポラップ。」と、どこからともなく

          #50. べポラップと母に支えられた夜

          #49. お布団脱出から始まる、朝のジャーナル習慣

          今朝、目が覚めると同時に、冷たい空気が鼻先をツンと刺した。 暖房のない寝室は冬の冷気で満たされていて、 ぬくもりを求めて羽毛布団に包まる。 布団のぬくもりが心地よくて、布団の外に足を出すのがためらわれ、結局「あと少し…」と丸まってしまう。その「あと少し」には、背徳感と幸せが混ざった、深夜に食べるラーメンのような旨さがある。 けれど、結局は無理やり気合いを入れて、 「あ~!!よく寝た!朝だ~~!」と大きめの声を出しながら布団を出るのが最近の朝の流れだ。 おしゃれな「モ

          #49. お布団脱出から始まる、朝のジャーナル習慣

          #48. 母が握ったおにぎりが食べたい

          「もし、明日世界が終わるとしたら、最後に何が食べたい?」と、 私の大好きな著者の方の本に書いてあった。 その問いに対する答えを書き込む場所に、 「母の握った塩むすびが食べたい。」とすかさず書き込んだ。 寂しくなった時や元気がない日にふと食べたくなるのも、 決まって母が握った塩おにぎりだ。 コンビニで買う「塩むすび」も美味しいのだけど、 やっぱり母の手作りにはかなわない。 絶妙な塩加減とか、握り具合とか、そういうものをはるかに超越した何かが、美味しさを作っているような

          #48. 母が握ったおにぎりが食べたい

          #47. 出来ない自分に落ち込むとき(ネガティブ炸裂の日)

          私は根っからのネガティブ人間である。 ちょっとしたことで落ち込み、おうちに帰ってからは毎晩ひとり反省会。 日に何度も自分にダメ出しをする、という妙なルーティンをもっている。 こういうタイプ、女性には意外と多い気がする。 だけど、悩んでいる時って 「なんでこんなにどん底なの、自分だけじゃ…?」って思ってしまう。 他の人も何かしら抱えているはずなのに、自分一人が孤立しているような、一気に世の中から突き放されてしまったような、そんな気になる。 頭では「人間は不完全である」と

          #47. 出来ない自分に落ち込むとき(ネガティブ炸裂の日)