198.何に一番お金かけているのか?と言えば、書籍代だけど、月10万は超えないが、確実に月数万は使っている。一冊1万でも学術書、専門書、洋書を買う。そんなに積み上げていない。読むスピードは速いので、日英仏関係ない。買った本を全部読んだ奴はいないと言うが、そのうち片付くだろう?
今日の喜び。公園に入るあたりの道で、オナガの群れに出くわした。この鳥は、「ギャー、クィ、クィ、クィ、…」などと鳴くけれど、一度聴いたら忘れられない特徴的な鳴き声。見る人は思わず注意を引かれる。デザインも特徴的。尾が長く、頭が黒い。また見れることを期待している。
老子は静けさを愛する。争わない知恵である「不戦思想」はトルストイ、ガンジーにも受け継がれ、大きな影響を与えた。日常でも何でも、争わずに問題を解決する方法が求められている。それにより、静けさが保たれる。これは永遠のテーマであり、私自身も模索中である。
スイスの作家で実業家のロルフ・ドべリは、『Think Clearly』で、一台のノートパソコンとアプリを最小限まで抑えたスマホ以外は、テレビも含め、テクノロジーをすべて生活から排除している、と述べている。氏は、デジタルミニマリストを実践している。模範的で、心を豊かに保つ秘訣だ。
啓蒙主義の良さは、人間社会の諸課題について、知識と行動による実践と勇気によって実際に解決しようとするポジティブなスタンスにあると思う。つまり、諸学全般の総力と衆智を結集して、長期的なスケールにおいて問題解決型思考を実社会の課題に実践しようとする姿勢である。
今日思ったこと。人間一人一人の記憶量には限度があり、寿命が来たら失われる。だから、体の外に知識や知恵や経験を保存する必要が出てきた。それが書物であり、図書館。つまり、図書館は体外記憶装置。人間が築き上げた、多様で全体的な叡知をいつでも取り出して活用できるように発明された。
最近、老子を読んでいる。世俗的成功に執着するな、余計な欲望を削ぎ落せとアドバイスするこの書物は老子という一人の賢者が書いたわけではない可能性がある。老子は伝説的存在で謎に包まれている。複数の無名の創作者の論が徐々に一冊の本にまとまった可能性高いのだと。名無しの権兵衛に偉大さがある
フォーブスリストには、物質的・世俗的成功を収めた大金持ちが名を連ねている。だが、それは厳密には満ち足りた人生をおくる人の幸福な人生リストではない。経済的に富んでなくてフォーブスリストにはまず載らなくとも、満ち足りた人生をおくった人、あるいはおくっている幸福な人は数多くいると思う。
減速、老子、ストア派、スロー・イズ・ビューティフル、静けさ、静寂。これらはすべてつながっている。ダニー・ドーリングの著書によれば、人類社会は、大減速時代に突入した。このフェーズは、地球が人類に自分たちの行く末を委ねた最後の切り札かもしれない。それは、少ないことにこそ豊かさがある。
「反知性主義」について興味を持っている。NHKテキストの100分で名著『華氏451度 本が燃やされる社会』もこのテーマについて考える本で、読んでいます。印象的なメッセージを一つ。この小説は、近未来を描いているというよりは、現代社会の方がこのディストピアと相似性がある。現代日本も。
道端にひっそりと咲く野草は、季節が変われば自然に消え、誰からも忘れ去られる。だからこそ、そこに美しさがある。人間も同じだ。どんな人間でも、200年もすれば、人々の記憶から消える。情報は残るかもしれないが、1000年後にはもう字である。その時まで人類が存続していない可能性も高い。
岩波新書のシンプルなデザインが好きだ。その『エピクテートス ストア哲学入門』には、「後世への影響」の章がある。近世の哲学者、スピノザは「その澄み切った解脱の生活」からストアの賢者だとしている。生活をシンプルに整えたい。知的生活のデザインには、スピノザのスタイルを模範にできる。
注意の権利を神聖なものとして扱うことの重要性が各方面の識者から勧告されてきている。これからますます浸透していくかもしれない。人間の注意は希少な資源である。と同時にこの資源を何に振り向けるかも、テクノロジー企業の利権や戦略に身をさらされているとはいえ、私たちに委ねられている。
哲学者スピノザの思想を学ぶ前に、スピノザの生活について知りたいと思い、書店に行った。けど、案外ない印象。そこで地元の図書館で検索したら、『スピノザ ある哲学者の人生』がヒットした。評伝ものなのだろうけど、ストア的な「その澄み切った解脱の生活」を詳しく知れることを期待している。
筆記の恩恵に感謝したいと思う。筆記は人類が知識や経験、情報を蓄積するために、そして考えを保存しておくために発明した記憶装置であり、技法。古代オリエント文明から生まれた。この技法を私たちは受け継ぐことで計り知れない恩恵を受けている。忘れても記憶やアイデアを継承できるという恩恵を。
共和政ローマ期の政治家キケロは言う。「本のない部屋は魂のない肉体のようなものだ。」書物には森のような効能があると思う。人間本来の内なる喜びを沸き立たせ、瑞々しい活力を吹き込む。それは生きる力となる。運動し、眠り、瞑想し、食べる。これらに本を読む、旅、会う、を加えれば、知的生活だ。
スピノザの「その澄み切った解脱の生活」の空想。それは世俗的欲望から離れ、比較的少数の精選された蔵書と愛着のある簡素に整理された、少ないモノしか部屋にはなく、思索と知的探求、夢想が中心の静寂に包まれたシンプルな生活。先人の蔵書は決して数が多くはなかった。フェルメールの絵画に近い。
ニュースを見ないという戦略を実践したい。ニュースの代わりになるのは例えば、新書である。岩波新書でも、中公新書でも、講談社現代新書でも、何でもよい。新書をニュースの代わりにしよう。そうすれば、くだらない騒動や犯罪の報道に心を乱される心配はないし、自分の興味のあるテーマを熟考できる。
辻信一著『スロー・イズ・ビューティフル』平凡社ライブラリーを読んでいます。とてもいい本です。加速する現代社会に対して、遅さの文化を尊重することによって、批判的視点で見直す。減速を生活に取り入れ、もっと暮らしやすい社会環境を設計するのに素晴らしいヒントを与えてくれる本だと思います。
偉大なイノベーションはむしろ遊牧民的な存在同士の創発や組織外の才能による発想がトリガーになることが多い。万巻の書物に通じる者は、人類の遺産にアクセスしやすいだろう。しかし斬新な発想や稀代の思索を生み出せる者は、それよりも少ない新旧の叡智にアクセスし、それ以上のものを生み出す。
努力にも持続可能性が必要である。努力のしすぎはすべてを壊してしまう。私が思うに、現代社会には、加速主義が蔓延っている。結果や成果を真っ先に求め、一気に目標まで駆け抜けようとする。一般道を時速100キロで走るようなものだろうか。生活に減速を取り入れよう。仮眠や休息は神聖な権利だ。
ラヴィッシュな大富豪の生活のイメージにではなく、虚飾や見栄えとは無縁のストア的な生き方や禅僧のような、シンプル生活に私は憧れる。偉大な哲学者、スピノザの「澄み切った解脱の生活」を模範にしたいと思うようになった。彼のような人格者にはなれないかもしれないが、ロールモデルにはできる。
これからの時代のキーワードは、「スローダウン」だ。幼い頃から全力疾走して外的なステータスを求め、競争する時代はコロナ以前の遺物であり、旧弊と認識を改めよう。個人間の競争は時代遅れだ。 人生100年時代、スタートから全力疾走して燃え尽きるより、ゆっくり学び続け、人生を楽しもう!!