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読書老子の朝日記No.4

最近、貝原益軒の健康バイブル、『養生訓』を読んでいる。
中公文庫の松田道雄訳はしばらく前から持っているが、最近になってディスカバートゥエンティワンから出ている、超訳版を買った。
今日は『養生訓』の内容から、ぼくが心に残った部分を引いて、自分なりに綴ってみたい。
『養生訓』はただの健康マニュアルではない。いかに生きるかという根本の生き方論を提示していて、養生哲学と言えるものだ。
貝原益軒(1630~1714)は、元禄時代に生きた医師であり、儒学者である。
83歳まで生きた長寿の人である。
ドイツ人医師で博物学者のシーボルトは、益軒を「ギリシャの哲学者、アリストテレス」になぞらえた。
現代の言葉で言えば、益軒は「知の巨人」と呼べるかもしれない。
さて、ぼくが『養生訓』において、特に心に刻んだ内容の話に移る。
以前、このNoteで、イギリス経験論の祖であり、哲学者のフランシス・ベーコン卿のエッセイから紐解いた「知的生活」の記事を書いた。

ベーコン卿は「養生法について」で、次のように述べていた。

食事や睡眠や運動の時間にのんびりかまえて快活にしていることは、長生きする最もよい教えの一つである。
心の激しい動き(情念)や熱意(欲求)について言えば、妬み、気ぜわしい恐れ、内攻する怒り、こせこせした煩雑な詮索、喜びのあまりはしゃぎすぎること、人に言えない悲しみは避けるがよい。

『ベーコン随想集』岩波書店

貝原益軒は、『養生訓』で、次のように述べている。

怒りと欲求は養生の大敵である
人の感情のうち、最も健康をむしばむのが怒りと欲求である。怒りは心を焼き、欲求は心を溺れさせて、いずれも気力と体力を奪い去る。慎重にコントロールしたい。

貝原益軒著・奥田昌子編訳『超訳 病気にならない体をつくる 養生訓』ディスカバートゥエンティワンより

この部分で言えば、フランシス・ベーコン卿と貝原益軒、似たようなことというか、共通していることを言っているのである。
貝原益軒の『養生訓』では、心を静かにして、自分なりの楽しみをもって日々をおくることをアドバイスしている。
ベーコン卿も益軒も、激しい感情や激しい感情から出た振る舞いを避けるように説いているのだ。
ベーコン卿は、歴史や寓話の研究、自然観察といった、心を輝かせるような対象をもつことをアドバイスしている。
益軒も、古典に親しみ、自然を愛でるようにアドバイスしているので、この点も共通点がある。
ベーコン卿と益軒の「養生法」は、そうした「生活の真の豊かさ」を考えた点でも、共通した部分がある。
ぼくは、質素な生活ながらも、自分なりの楽しみをもって日々を静かにおくろうという益軒のアドバイスが好きだ。
ぼくが解釈するポイントは、二つある(ここからは独断を含む)。
それは、静かに楽しむこと、趣味はお金がなくとも(あっても)できる、自分なりのものを一つでも持っていればいい、ということだ。
趣味についても、たんに多ければいいというわけでもない。
他人の基準ではなく、自分なりにしっくりくるものがあれば、それでいいということでもある。
ただ、バートランド・ラッセルのいうように、読書のように続けても重荷にならないどころか、自分の心を耕すという意味での、心が豊かになる静かな趣味をもてれば理想的かもしれない。
益軒の『養生訓』にみられる思想は、「内面の充実」である。
現代では、SNSが発達しているので、他人に誇示し、見せようという心理が働きやすい気もする。
内を掘り下げるのではなく、外に見せる。
それは一概に悪いとは言えないかもしれないけど、楽しみというものは本来内面で充実していることを感じ取れればそれで完結していて、十分だ。
だから、発信の仕方を工夫することが必要だとぼくは自分に自戒を込める。

以下は、益軒の『養生訓』を読んでぼくが感じた言葉である。

毎日を精神的に楽しく生きて、それなりに幸せに長生きできたらそれで十分じゃないかということ。
それを成功と捉えてもいい。
もしかしたら長生きしてそれなりに幸せに生きることがコントロール外にある世俗的成功なんかよりもずっと大切で、現代では、人間は欲求が肥大化するから、そうした幸福を見失うのかも。
益軒のいうように、最大の幸福は健康に楽しく生きることなのかもしれない。

今日は貝原益軒の『養生訓』について書きました。
ご清聴ありがとうございました。





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