耳触りがよくて安易に手に入る答えにはもう惑わされない。心を尽くし感覚をフル稼働させながら行動し、ひらいて行く道の途上で腹落ちしてくる答えを求めていきたい。その中でみつけた答えは唯一無二の宝物になるはずだから。いつか光明が射す日がくる事を信じて、今はただ求めて行動に移すだけ。
坐禅は、生きる事は、結果を求めずただ行う求道(ぐどう)。人間が思う神は色々あるが、それは真理を伝えるツールであって真理に至る道への求道を照らす灯り。 最大の戦うべきモノは、自分の中に在るオゴリ、嫉妬、軽蔑、…。「人に悪い人は居ない淋しい人が居るだけだ」という。
「求めよ、さらば、与えられん。叩けよ、さらば、拓かれん」 心、気持ち、と、行動、行い。 ええねぇ、求めたからって、与えてくれない。って人が居るけど、求める心気持ちが与えられてるじゃん。 叩いた瞬間もうそれは開き始まってる。ってキリストも言ってるけど親鸞聖人も言ってるぜ。
「自分探し」と云うは死ぬことと見つけたり。 良好良好。
武道とは、武術の修練を通じて精神を修養し「道を究める」プロセスである。身体と技量があっても、心が伴わなければただの「武」だ。 ましてその力で後輩や女子供を痛めつけて支配するなど、もはや「外道」である。😠 心技体、正々堂々|武藤賀洋 https://note.com/ysmutoh/n/n972f85015e3e