若い間に聞く仏教と求道
仏教は若き年たしなめ、年寄れば足腰が動きにくくなり、目や耳も遠くなります。判断も遅くなり単語も入ってきません。プライドも出て尋ねにくいです。
今日仏教衰退が言われますが、宗教心はむしろ増している気がします。しかし年寄り、団塊世代を見ていると宗教を避けたり真剣になりにくかったりするのは複数理由が考えられそうです。
そもそも明治政府からの廃仏毀釈で二束三文で仏教寺院や仏具や本尊が売られて、県内寺院を一つにしろとか、民衆による仏教破壊、大衆の間の新興宗教により現世幸福の追求、山間部の寺院早期過疎撤退が始まりのようです。
太平洋戦争には国家神道による神道破壊と仏教団体への戦争賛美を促し、しかし戦争敗退により、満洲・台湾・上海・朝鮮などの仏教寺院破壊で海外での日本仏教の意識も悪影響したようです。今は台湾でも中国でも韓国でも仏教寺院はありますので滅亡までは行かなかったようです。
戦後のGHQにより寺院収入の解体、財閥解体で多くの宗派が打撃を受けたようです。真宗各派も若手が戦争で亡くなったりしました。
高度経済成長期には新宗教が起こり、新興宗教新宗教対策を行うものの、創価学会や立正佼成会や生長の家に統一教会など現世利益の宗教で、貧病争をなくしお金持ちや権力をーや社会成功を謳い興隆しました。一方で寺院は徐々に警戒警鐘するものの大衆の右肩上がりの経済とともに悟りより求めるものが変わりました。
じきに共産党や、学生運動によって大学での革マル、あさま山荘事件や日本赤軍による空港銃乱射テロなどでも全員が仏教を求めたわけではないようです。
若者は哲学や思想で激論を交わし政治参加で元気な時代だったようです。そのころの映像がユーチューブでも見れて、三島由紀夫と論争するところなどあって熱い時代だったようです。
仏教も元気な時代でもあったようで信仰も各地で盛んだったようで、お堂では宿泊用のお布団が十年前に沢山あったのを処分したことからも伺えます。この頃は三時間かけて歩いてお寺へお聴聞に行かれたり、念仏者も大勢いたようです。
時代は動きに動いてバブル経済になりますと大寺院になるところは少しあったようで、お葬儀もこの頃は豪華だったそうです。聴く人は聞き働く人は働いたようです。
新々宗教が起こり、幸福の科学やオウム真理教が賑わし、特に地下鉄サリン事件など宗教団体によるテロによって宗教イメージがダウンしたようです。
二千年以降も政治と宗教はきれいとは言えず、闇を退会者が暴くなど苦労は今後も続くでしょう。お葬儀も宗教学者や宗教評論家によって勝手に評価もされて寺院収入の困難さも厳しいです。
以上が日本での仏教の年寄りと若者の求め難さ、受験や仕事で忙しい状況でも聞くべきなのは死後を考えるか考えないかでも分かれる気がします。
私自身は『御一代記聞書』を若い時に読んでいてよかったと想いますし、ご信心を聞き求めていてよかったと想います。
小さいときからお念仏に御縁があったわけではありませんので口にはたまに出るくらいです。しかし御同朋御同行と聞法に誘っていただいた念仏者の先輩、法座後の座談会、お開き後のカフェでの雑談、一緒の食事と恵まれました。
『真宗聖典』も調子に乗って『七祖編』『真宗聖教全書』も『法然上人全集』と普通の生活では縁もない書籍にも出会いページをめくらせていただきます。
自分の力とか成りふり構わずがむしゃらに、自分だけは助かりたい、いじめや貶む世界なんて嫌だ、金も地位も名誉もないけど後生だけは助かりたい一心で、ギリギリの人生です。多くの人からは呆れられ馬鹿にされてきました。
仏陀だけは侮蔑されてこなかった。他力信心をいただいた人を追いかけ導かれ、知恵も慈悲も無くとも白道がある。
多くの先生方のおかげです。多くの念仏者のおかげです。お釈迦様と阿弥陀様のおかげです。
一向専念無量寿仏のおかげです。
南無阿弥陀仏が分からなくても南無阿弥陀仏の方から用がある。