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三つの髻 名聞 尊厳 プライド リスペクト

名聞、名誉欲という三大煩悩のうち貪欲の五欲の一角です。名を馳せている人に嫉妬したり、成功者を妬んだりするのもこの心でしょう。 妬まれたり嫉妬されたりしなくとも、いじめの対象になったりするときに恨みで心で殺したり、潰すことで自己を大きく見せたいという加害者の心もこれかもしれません。 そうでなくとも親子間で血を分けた兄弟でも喧嘩で馬鹿にしたり馬鹿にされてカッとなって手が出たりするのも名誉欲かと思います。 いい時計をつけて見せびらかしたり、テストの点数でマウントをとったり、ふ

    • 三つの髻 勝他 存在証明と欲望の奴隷

      最近成長した気になっていましたが、幸せで充実している成功者にニコニコしながら、あたかも共に喜んでいる体で心の中は嫉妬と妬みと非論理的な憎しみが逆巻いていました。 日本人なら、何々人は、と全体主義を非難しつつ毎日つまらない思いで溢れるのは、大正デモクラシーで浮かれ損ねて周りの共産運動や議論に追いつかんとしながら環境に依ってたってあっという間の人生でしたという人と全く変わりません。 他者に勝ちたいの極致は戦争やら喧嘩と思いますが、何も平和で居ることこそ至高などとは言いません。

      • 三つの髻 偽装と信仰

        覚如上人は執持鈔、口伝鈔、改邪鈔など残してくださいました。法然聖人の遺訓は漢語灯録や和語灯録に西方指南抄によって教わります。もちろん選択本願念仏集から三選の文として念仏往生をお教えいただきます。 三つの髻、勝他、名聞、利養を求めるのは煩悩によります。その根底には自己保存や自我執着からくるもの、無明と呼ばれるものです。そのことに気づかなかったこと、煩悩を断じて涅槃を得ることを忘れたものには修行者とも仏法者とも言えないということです。 昔の僧侶や修行者は髪を剃って出家し修行し

        • 三つの髻(もとどり)

          浄土真宗をお聞きし学ばせていただくに当たって、よく参考に、思い出させていただき行動指針になることが結構あります。また他者からの影響において、他者の行動においてのものさしになるときもあります。 覚如上人の口伝鈔の九にある三つの髻(もとどり)というお話です。 ある日、(親鸞聖人がまだ法然聖人のところへ通っておられた頃、およそ二十九歳で入門、三十五歳に流罪にあわれるのでその間の頃か)法然聖人のところへ車で移動のときに一人の修行者が尋ねたそうです。 「京都に八宗兼学の智慧第一の

          神も仏もあるものか、と聞こえるとき

          振られました。辛い日に会いますと辛い心に悩まされます。なんでなんだろう、いや自分は悪くない、いや悪かったごめんなさい、いや忘れよう、しかし教訓にしなくては、自分だけが可愛いのか人を傷つけておいて、グルグル廻っています。 先人を訪ねるのは生きる知恵と死んで後悔を残さないためかもしれません。 社会人になり同窓会に出ますと、ちょっと聞こえるのは、もっと勉強しておけばよかった、早く金融と投資のことを学んでおけばよかったという声でしょうか。 人生で幾つか躓き失敗しますと、なんでこ

          神も仏もあるものか、と聞こえるとき

          魅了と後生の一大事

          チ。−地球の運動について− というアニメ、漫画があり天文学のストーリーですがとても興奮し一話二話は流してみていたのに三話は三回ほど見てしまいました。 天動説か地動説か、先日聞いていた航海士の海の上と陸の上の話や、コペルニクスの「それでも地球は回っている」ということからとても面白く見ていました。 すこし調べると別段キリスト教会は地動説の者を弾圧したのは一時期だったそうで、コペルニクスの異端審問は教皇を馬鹿にしたからという開けてびっくり玉手箱でした。むしろビックバンを提唱した

          魅了と後生の一大事

          苦しみと幸せの間

          生きることも難しければ死ぬことも難しい。 生活するのにはコツコツと積み重ねることと、知識と経験で仕事をしていかなければなりません。学生の頃は責任なくとも社会人になると義務と責任が出てきます。 明日よくするには今日頑張らないといけません。 では頑張ったらいいのか? 老後まではいいでしょう。しっかりした人生を歩めば報われることも結構あります。 ただし死の解決だけは仏教の説くところです。 生きている間から幸不幸、快不快、善悪、損得、それらで計って人生設計して死ぬまで苦し

          苦しみと幸せの間

          罪悪観と無常観と罪悪感と無常感

          罪悪観と無常観でありますが、昔は不浄観と白骨観とも言われたようです。現在では責任や平等、終活や次は自分が死ぬという死生観より臨床と言えるかもしれません。 聞法を浄土真宗では推奨されますが、何を、どうして、どう聞かなければ、どうなるのか、という視座があるのですが、それ以前に宗教なんて、というところが増井悟朗師により現代人には薬にさせてもらわないといけないのではないかと教わりました。 ただ何々会が救うとか、何々先生が救うとかは無い。罪悪観無常観をとりつめよ、と言われるが、罪悪

          罪悪観と無常観と罪悪感と無常感

          鬱屈とニヒリズムと回避

          日々仕事をして依存先を分散せよ、というネットの投稿を見るものの、仕事で首輪をつけられている限り苦しいものです。生殺与奪を他者依存しすぎで長時間労働によるとなんのために働いてなんのために生きているのかわからなくなります。 苦しすぎるとその環境を出るか、その環境を楽しむかで変わってきますが、期日や責任や人間関係で苦しむことが多いかと思います。 仕事がきつくても人間関係がよければやめても悪口は言われないようです。 しかし働いて働いて老後を心配する暇もないとき、後生の一大事の心

          鬱屈とニヒリズムと回避

          伝統と自由

          お祭りや神輿の練習の音がする。 練り歩きやヤグラや組んで仕事や学業以外の活動を地域でする。 このことで地域愛や年寄りと若者の交流が発生し、異性間のトキメキや交際が会ったりする。 東京一極集中も相まって地方では子供が一人だったりして学校も成り立たない。 若い人に留めようと思っても仕事がない。 時代の急激な変化は1970年代から顕著で集団就職から学生運動に高度経済成長期で人口移動は加速していったように思う。 お寺のあり方も明治期に入って廃村になることを見越してそうそうと撤

          伝統と自由

          航海士 感想 その三

          航海士のお話から救済と教団と自分と思うところがありました。 今日様々な教団がありますが、教団員でなければ結構自由です。 浄土教、とりわけ浄土真宗では他力信心が大切です。 仏願の生起本を聞きて疑心あることなし このことが他力信心です。 阿弥陀仏の願いを聞いて疑い心が無い、という状態が他力信心と習います。 教団はありがたく、『真宗聖典』『七祖編』をお伝えくださいます。詳しく言うと聖典編纂委員会の方々と聖典を伝えてくださった方々です。そして他力信心をいただかれお念仏され

          航海士 感想 その三

          航海士 感想その二

          航海士のお話でもう一つ思ったのが、自分の主張や意見は絶対で経験則からこうすべきだ、ということでも危ういことがある、ということでした。 ぱっと思い浮かんだのはガリレオ・ガリレイです。「それでも地球は回っている」で有名な天文学者です。ある人はガリガリ先生と言っていました。 そのガリレオですが、地動説か天動説かでの教会との衝突で、異端審問で裁かれ地球は回っておらず全ての中心は天の神が創った大地で星や月や太陽が回っていると言わされました。しかし裁判所退室時に先の言葉を発したそうで

          航海士 感想その二

          航海士 感想

          先に聞かせていただいた航海士の話で連想されました。 航海士という職業を全く知らなかったことと、海に出るのってそんなに危ないんだなと思いました。思っただけで海の仕事につきませんが、自分が知らない世界を聞くのは想像を掻き立てられ、まるで大海原を航海する気分にはなってしまいました。 世の中過ごすには体力と知力があると底力が違うのだなと思いました。海に出れば自動で魚が食べられるくらいにしか思っていませんでした。 お聖教を開かせていただいているとあちこち似た単語に気付かされます。

          航海士 感想

          航海士

          お年寄りの話は面白くないという先入観が間違っていたと思える瞬間尊敬に敬老に変わるのでいかに獣の論理で生きているかを鑑みさせられます。 一等航海士 二等航海士 三等航海士 それぞれ違いはわかりませんがお聖教を八十三歳で開かれ聞法、大切な往生成仏と信心、還相回向にまでご存知な方は稀であり、しかも海の仕事もされてた方と、どのような方にも御縁ある仏願の働きを見せられました。 その航海士のお話を聞かせてもらいましたが、GPSがない時代のことで、太平洋、オーストラリア周辺まで行くのも

          若い間に聞く仏教と求道

          仏教は若き年たしなめ、年寄れば足腰が動きにくくなり、目や耳も遠くなります。判断も遅くなり単語も入ってきません。プライドも出て尋ねにくいです。 今日仏教衰退が言われますが、宗教心はむしろ増している気がします。しかし年寄り、団塊世代を見ていると宗教を避けたり真剣になりにくかったりするのは複数理由が考えられそうです。 そもそも明治政府からの廃仏毀釈で二束三文で仏教寺院や仏具や本尊が売られて、県内寺院を一つにしろとか、民衆による仏教破壊、大衆の間の新興宗教により現世幸福の追求、山

          若い間に聞く仏教と求道

          宗教心と死生観

          なかなか暑い日が続きます。日中は暑いのですが朝晩はクーラーがいらなくなり夕方は早く暗くなり始めています。 黄昏や深夜に近づきますと一日の終わりや仕事終わりの疲れから安堵感と帰宅の安心感がある気がします。子供の頃は親の忙しさや責任感など微塵も知らずに遊び倒し晩御飯とテレビとお風呂に入り寝るまで漫画を読んで夢を見るように過ごしていました。 大人となった後思い返せば懐かしくも、もう帰ってこない安心と安全を思うとき、家庭の安心と安全は両親や兄弟が培ってくれていたのだと振り返って気

          宗教心と死生観