ほう、なかなか興味深い。 ちなみに記事に掲載されているメイク写真、 画面を拡大すれば確かに Afterのメイクの方が自然に見えるけど、 画面を縮小して見た場合はその逆で Beforeの方が圧倒的な存在感を持ち 表情も客席に伝わりやすい。 Afterの方は遠目に見ると 極めて日本的な、 博多人形の顔に見えるのだ。 表情を抑制しつつ 二次元的な様式美で踊るには Afterの方が有利だが、 あくまで劇場空間の中、 三次元の舞台で踊るとなると Beforeの方が有効性が高いと
夏場にイタリアの鉄道に乗ったりすると、 良くバールの兄ちゃん達と仲良くなることがある。 バール(BAR)ちゅうのは 喫茶店兼飲み屋みたいなものや。 町のどこにでもあって、 近所の人がよくたむろしとる。 夏場なんかは リミニとかリゾート地のバールは大忙しやから、 兄ちゃん達は引っ張りだこや。 冬場は冬場で パリやらウィーンやらが活気付くしな。 そやさかい、 シーズン毎にヨーロッパ規模で ショバを転々と渡り歩く兄ちゃんも、 ぎょうさんおるのや。 バールの兄ちゃん達は、
TVを見ないので 報道などはもっぱら ネットから拾っているのだが、 どうやら北京五輪が 開催されているらしい。 「らしい」というのは、 ネットのニュースを探してみても あまり目につくところに 出てきてはいないからだ。 これほど「盛り上がり」に欠ける 五輪イベントというのも なかなかに珍しいのではないだろうか。 ・・まあ、仕方があるまい。 ウイグル人への弾圧、 モンゴル人からモンゴル語の教育を奪い 強引に過ぎる「民族融和政策」を 進めている中国だ。 軋まない方がおかし
さて、昨晩の「豆まき」も済ませ 節分の行事も無事に終えることができた。 ということで、 今回の「恵方巻に挑戦」の 反省である。 まず、恵方巻・・・というか 「太巻き」についてだが、 これは乾物を上手く利用すると ほぼコストをかけずに作る事ができる。 干し椎茸は乾物として 普段から家にあるものだし、 常備の乾物ではない「かんぴょう」も 店で買ったとしても高いものではない。 ※かんぴょう※ かつてはポピュラーな乾物だったが、 今はさほどでもないため、近所にはなく 足をのば
さて、 いよいよ今日は節分の日 午後1時の昼食までに 恵方巻を完成せねばならぬ。 とはいっても 一番時間のかかる 「シイタケ、かんぴょうの煮しめ」は 昨晩既に完成しているので 作らねばならぬ具材は 「厚焼き玉子」のみ。 あとは、切らねばならぬ野菜が きゅうり・大葉・三つ葉の三種、 そして昨日のうちに買い求めた魚介類を 太巻きの具材に合うように 切り分ける程度である。 ・・おっと、しまった、 その前に酢飯を作らねば! ということで、 まずは炊飯器を仕掛けて ご飯を炊き、
明日は節分。 これまで節分といえば 「恵方巻」がやたらと持て囃され、 この日にスーパーなどで売られる恵方巻は 年々巨大化の一途を辿っていた。 さすがに今年は 大量に売り出した挙句の 大量廃棄を少しでも防ごうと 「恵方巻は予約で」と 巷では呼びかけられているが、 「節分の恵方巻なんて、 わざわざ予約までして 食べなきゃいけないものなのかな?」 ・・と思ったりもする。 いや、 「恵方巻」が流行ること自体は そこまで憂うることじゃない。 ただでさえコロナで 何かと自粛を
声楽家・演奏家である以上 楽器としての自分の声には 敏感にならざるを得ない。 特に今の季節、 花粉が本格的に飛びはじめ 鼻水や涙、くしゃみなど 花粉症の症状に苦しむ季節でもある。 ・・かといって、 花粉症の強い薬を飲むと 途端に喉がガラガラになるしね・・・ 朝、起きて最初にすることは 息を吸う際の喉に 違和感を感じないかどうか。 そして 朝一番のトイレの中で ちょっとだけ喉を鳴らして 「接触」に異常がないかを 確認している。 乾いていると感じたら まずは水か白湯、
誰が言い出したのか 「一月は行く 二月は逃げる 三月は去る」 という言葉がある。 全くその通りで、 気がついたら もう一月は 今日で終わりだった。 そして二月は 「一ヶ月」のくせに 28日しかないのだ。 二月半ばからは 確定申告が始まるため、 そのための準備も しなければならないのだが、 気ばかりがあせって 何も手についていない ・・・というのが 今の状況である。 「ああ、去年の領収書の整理を しておかなければなあ・・」 と言いながら、 正月は正月でのんびり過ご
確か藝大に入ったばかりの頃、 私の担当教官であった 須賀先生が主催する演奏会を 観に行ったことがある。 会の名前は 「アルファオメガの会」、 学部生・院生からOB、OGまで 須賀靖和門下の歌手が集い それぞれの持ち歌を 披露するという趣向だった。 今は亡きテノールの経種兼彦君も 当時はバリトンとして 最年少で出演していたし、 現在藝大の大学院で 剽軽な教授(?)として 名を知られる福島明也先輩も ピカピカの院生として出演していた。 卒業生には当時既に 世に名の売れていた
お互いの宗教やイデオロギーを 尊重できないというのであれば、 後はそれぞれの 「この地上での生存権」 をかけて殺し合い、 相手を滅ぼすまでの 殲滅戦を行うしかない。 「相容れない」 というのは、 そういうこと。 それは個人レベルにおいても、 国家レベルにおいても同じ。 で、問題となるのは、 これまでであれば その国や地域の外には 漏れ出なかったはずの 「ローカルな話題」が、 ネットの普及によって いとも簡単に 「グローバルな話題」 となってしまうこと。 物流においては
都内の感染者数が 2万近くにまで上がり いつ緊急事態宣言が出ても おかしくなくなった今、 予定されていたクラシックの 公演やイベントが再び 延期・中止に追い込まれていると聞く。 出演予定者のストレスは かなり高くなってきていると思う。 だが、 これだけははっきり言いえる。 疫病がどれだけ流行ろうとも、 たとえ戦争が起きて、 国を追われることになろうとも、 人の心が癒しや楽しみを欲する限り 「芸術」は無くならない。 苦しみを笑いに変える活力がある限り 「演劇」も無く
ソ連崩壊後のロシアでは、 オーケストラ奏者も職を失い、 明日の糧を求めていた。 そこに目をつけたのがオウム真理教。 困窮していた奏者を集めて オーケストラ「キーレーン」を結成し、 布教活動の一環として 来日公演を行ったりしていた。 どのような待遇でロシアのオケ奏者が 雇われたのかは定かではないが、 当時のロシアの相場からすると 「破格」だったそうだ。 あの時代のロシアにおいて、 演奏家が演奏家であろうとするならば、 そして 演奏で食べていこうとするならば、 とても魅力
今日、目に止まったネット記事。 インド大使館で行われた インド共和国の73周年記念日祝賀行事に 林外務大臣、本田外務大臣政務官らが 出席したという、外務省の報道だ。 気になったのは記事の2枚目の写真。 向かって左端に立つのは インド大使館つきの武官と思われる。 この武官が制服を着て 軍人らしい姿勢で佇んでいるのは 武官(軍人)という役職上、当然と言える。 立ち姿が際立っているのは、 祝賀行事のホストとして中央に立つ ヴァルマ駐日インド大使。 この凛とした立ち姿はど
そりゃ、わいかて人間や。 悩むこともあるし、 落ち込むこともある! まあ小っさい事なんかやったら、 とりあえずカミサンこづいてたりすれば 直るんやけどな。 ・・いや、 カミサンこづいてスッキリするっちゅう訳やのうて、 虎の尾を踏んでもうて逃げまわっとる内に 悩みや落ち込みがどっか行ってまうっちゅう意味や。 (ついでに、わいの心臓もどっか行ってまう) まあ、そんな吉本みたいなマネで 解決できる悩みならええんやけど、 もっと深刻なもんになってくるとな、 カミサンこづく元気
元々バス系の声に憧れる私だが・・・ ジョゼ・ヴァン・ダム、 ええわあ・・・・・!(はあと) ええとこその1: 声が渋いだけでなく、 漆黒のビロードのような艶がある。 持ち声だけは天性のものやからなあ、 なかなかおらんで、こんな声! ええとこその2: 歌の気品、 「位」と言っても良い程の格調の高さがある。 貴族的ではなく、 むしろ騎士の硬派さと 華やかさを兼ね備えている感じ。 なぜか彼の演奏を聴いていると 「花は桜木、人は武士」 って言葉が浮
子供の頃は 良く音楽番組を見ていた気がする。 たとえば山本直純の 「オーケストラがやってきた」。 私が一番よく覚えているのは 当時既に世界的巨匠だった ヴァイオリニストのアイザック・スターンが、 この番組に何度も出演してくれて サービス精神たっぷりに 面白おかしくクラシックの世界を 紹介していたこと。 また、司会の山本直純と小澤征爾が 親友の仲であったこともあり、 やはり何度もこの番組に出ていたこと・・ 他にも 「『女心の歌』のど自慢大会」を行い アマチュアからセミプ