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真を極めんとする求道者

 親友Mさんが出場する試合にお招きを頂き、初めて極真空手の試合を生で観る機会を得た。
 Mさんは、私より一回り以上若いが、武術の技術面はもちろん人生観、国家観等でも教わることが多い。彼の空手は単なる趣味ではなく、幼少より厳しい稽古を積み、学生時代はキックボクシングチャンピオンとしても実績を残し、今は多忙な本業の傍ら、プロとして多くの実績を上げるとともに某空手道場の師範代として、後輩の指導に当たっている。指導においては技術だけではなく、武道の持つ精神性、日本人としての生き方を自らの背中で伝えることが出来る今の時代には珍しい修行僧の様な人である。Mさんが少年時代の稽古で大人の蹴りを顔面に受け、歯が折れたことを先生に報告したところ、「お前は戦の最中に歯が折れたからと言って闘いを止めるのか?」と言われ、ハッと気づいて、折れた歯を窓際にそっと置いて何事もなかったかの様に稽古を再開した話や、試合中に突きが強すぎてグローブの中で甲骨が皮膚を突き破りながらも相手に気づかれない様に試合を続行した話等、武勇伝は数知れず。しかし彼には格闘技界で成果を残した人にありがちな派手さや自己顕示欲の様なものを全く感じない。彼の武道修行の動機が、名声や金ではなく、何の為に修行するのか?何の為に闘うのか?強さとは何か?について日々自らに問いながら実践する「求道」であることが、その大きな要因である様に思う。
 Mさんの試合が始まるまで、他の選手の試合を観ていたが率直な感想は、これは相撲なのか?である。極真空手の試合を生で見るのは初めてだが、伝統空手やキックボクシングの様な、間合いの駆け引きや捌き等が殆ど無い様に見える。身体を正面に向けて制限時間内に数多く打ち込んでいるだけの様に見えてしまうのだ。打たれてもひたすら勢いよく前に出て手数が多ければ勝つのか?これが多人数だったら?刃物だったら?等と考えると、これでは体がデカくて打たれ強くパワーが有る者が勝つスポーツであり、武道ではないのでは?と思ってしまった。一方で、極真空手選手の打たれ強さは、実戦でも重要な強さの要素であることは間違いない。技に相当な差が無い限り、全く被弾しないことはあり得ないし、たまにYouTube等で見る伝統武術と総合格闘技選手との闘いを見て感じる。
 素人目にそんな疑問を持ちながら、いよいよMさんの試合。Mさんも体重90キロを超えるが、相手は身長190センチのロシア人。デカい…Mさんの視線は、相手の背中の後ろ辺りをボンヤリと集中して見ている(表現が難しい…)様に見える。これが観の目というやつか。さすがMさん、相手は若さとパワーに任せてドンドン前に出て攻めてくるが、両手は開き気味で常に間合いを測りつつ、かつ、相手には間合いを誤認させながら、ゆったりとした動きで、相手のパワー任せの攻撃を見切って捌きつつ、ビシッ、ビシッと確実な反撃を繰り返していく。これぞ空手だ!武術だ!相手が倒れた場面もあったが、Mさんは被弾することなく試合終了。さて勝敗は?何とロシア人に旗が上がった。判定だと思うが、ルール上のことか?相手が前に出ていることが多かったから?結局は私には理由はよくわからなかった。しかし、倒されて死に体になった相手と、一発も被弾していないMさんであれば、実戦ではどちらが勝者であるか明確であろう。
 試合後、Mさんが観客席に戻ってきた。ご両親や奥様も応援に来られていたので、私がMさんの立場だったら、負けの言い訳の一つでもしたくなるところだが、彼からは一切その様な言葉は無かった。  
 激しい打ち合い、怪我が当たり前の様な極真空手であっても、殺し合いではない以上、ルールが有って当然。だからこそ、ルールはなるべく実戦性を追求して決められるが限界はある。結局は、自分が何を目指すかによるのだが、稽古の最大の目的が実戦で生き残ることと考えると、試合は実戦を想定して磨いた心技体を試す「手段」である。試合後のMさんとサシでの酒の席で、このことについて話が聞けた。Mさんは、今回の試合のルールでは負けでも、稽古してきたことを試合で試すという彼の試合の目的を達成した。さらに言えば巨漢のロシア人と闘った後も、相手に怪我させることもなく、トドメを刺す寸前までの状態を作りながら自身は傷一つ負うこと無く、普通にこうして今、酒を呑んでいる。これぞ武道の本来の姿ではないか。この様なことを、Mさんの今日の言動全てを通じて改めて学べたことは、最大の成果であった。

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