善悪、勝ち負け、正誤、それら相反するものたちが一つにあること それを無としての一つ(悪平等)じゃなく、「在る」の一つとしてどう感覚的に簡潔に説明できるかを考えていたら、エレベーターが「我こそは」と語りかけてきたよ たしかに「昇る」と「降りる」の相反するものが一つに「在る」
哲学は、その人自身に あるか無いかだと思ってた…
何方か片方に確定した正しさがある訳ではない。世の中には、表と裏があり善悪があり有無があり何方か一方に正しさがあるように見せられている。秤には、それぞれの正義や正しさがあるでしょう。秤に余分なものまで載せていないか?秤は実は空っぽなんじゃないのか?そもそも秤に載せる必要があるのか?