サマ(Es、null)

日々の思考、カタツムリが残した銀色の道のようなもの

サマ(Es、null)

日々の思考、カタツムリが残した銀色の道のようなもの

最近の記事

『すべての、白いものたちの』白よりも白く

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』河出書房新社 2018年 望洋とした、しかし繊細でたおやかな文章である。 詩篇のようでもあり、しかし断片の連なりに貫かれた筋がある。 1966年の母親に捧げるオマージュのような、哀感と想像と、深い慈愛。 時と場所を変えて現れる白に、思いをひとつ、またひとつと乗せていく。 今、著者もまた娘をもつ母親である。 白さ、その前・その後 白を描くためには黒が要る。本書に黒はない。あるのは、汚された白である。汚れと白は対比して目に映るが、異質な

    • シュヴァンクマイエル『ファウスト』 現実と幻想の巧みなつながりを見る

      ヤン・シュヴァンクマイエル『ファウスト』( チェコ・フランス・イギリス 1994年 97分) 見始めは混乱する。 飛び出してくる鶏、割っても空の卵、一瞬だけの嵐。 謎の地図をもとに、中庭のある打ち捨てられたような建物に男が入っていくところから本筋が始まる。飛び出してくる男。ニヤニヤ笑いの老婆。 階段を地下に降りればそこは散らかった楽屋。男は衣装を身につけて、鏡の前で舞台化粧を始める。ここまでセリフはない。 拾った台本を読み上げる。演目はファウスト博士のようだ。不意に、けたた

      • 読書感想『リチャード二世』の記事、末尾に備考(余談:〈ある〉はある、〈ない〉もある)を追記しました。 https://note.com/sama_box/n/nfc52a116af09

        • 『リチャード二世』 王か、我か、その分裂

          ウィリアム・シェイクスピア『リチャード二世』(松岡和子・訳 ちくま文庫 2015年、小田島雄志・訳 白水Uブックス 1983年、菅 泰男・訳 シェイクスピアⅢ 世界古典文学全集43 筑摩書房 1966年) あらすじ ・リチャード二世王は、ボリングブルック(のちのヘンリー四世)とモーブレーの言い争いを裁定する。 ・リチャードは二人を和解させようとするが、叶わず。  その後、二人をイングランドから追放した。 ・ジョン・オブ・ゴーント(ボリングブルックの父、リチャード二世の叔父

        『すべての、白いものたちの』白よりも白く

          『優雅で感傷的な日本野球』の変換装置

          高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』河出書房新社 1988年 『さようなら、ギャングたち』(1982)単行本第一作 『虹の彼方に』(1984) 『ジョン・レノン対火星人』(1985) 『優雅で感傷的な日本野球』(1988)…と続く。 なめらかで諄諄しく情緒的で無味乾燥。それは言語そのものを扱っていながら言語で表現している、その滑稽を承知した上で書いているからだろう。 以下、その自在さを見る。 変換装置 作中作で、作家が書いた文章がルナール『博物誌』の流用だという指摘を受

          『優雅で感傷的な日本野球』の変換装置

          『虹の彼方に』言語の彼方へ

          高橋源一郎『虹の彼方に』中央公論社 1984年 ※本稿での引用に付されたページ表記とヘッダー写真は新潮社文庫版です。 著者なのか作中の人物なのか失念したが、勾留された際に活字に飢えていたので食品のラベルを繰り返し読んだ、という一節があったように思う。著者はそのような体験をへて言語の意味や文脈が現実から剥離し、自由に浮遊する感覚を得たのかもしれない。本書は言葉への止むに止まれぬ愛と煩悶によってうまれた、実験的実践的な作品と言っていいだろう。書けそうで書けない、ぎりぎりの小説

          『虹の彼方に』言語の彼方へ

          『アフターダーク』移動する視点と膜

          村上春樹『アフターダーク』講談社 2004年 主人公はマリ、19歳。姉のエリはほぼ一日中深い眠りについたまま。姉のことが気になって眠れない夜、マリはファミレスで深夜を過ごす。高橋に声をかけられ、そのつながりでラブホで働く人たちと知り合う。合間を置いて、エリの眠りの描写。午後11時56分から午前6時52分過ぎまでの物語。 私たち読者の視点が、俯瞰的に語られる。いわゆるメタフィクション、メタ認知(Metacognition)の記述が挟まれる。この作品、人と人が織りなす物語より

          『アフターダーク』移動する視点と膜

          『水中の哲学者たち』の息継ぎを見る

          永井玲衣『水中の哲学者たち』晶文社 2021年 対話イベントを通して老若男女と哲学的な話し合いをしている著者が、その経験を振り返りつつ、戸惑いやひらめきや苦心、発見を繰り返すエッセイ。ドラマの水戸黄門的構造がある。 溺れてはいない 著者の活動の一つが、哲学の対話を通して共に悩み考えるというもの。本書ではあたふたしたりボンヤリ思い沈む様子がうかがえるが、じっさいご本人は予備校講師もしておられ、その動画などはチャキチャキとしてむしろやり手のようにも感じられる。たとえ水中でう

          『水中の哲学者たち』の息継ぎを見る

          『ラカンと哲学者たち』で愛の構造を知る

          工藤顕太『ラカンと哲学者たち』亜紀書房 2022年 前稿はこちら。 https://note.com/preview/nd2ee2eb6aaff 今回は第3部、プラトンの『饗宴』から。ソクラテスたちが語るエロス。 その場に乱入して騒ぎを起こすアルキビアデス。その「愛の構造」が興味深いので取り上げる。 ラカンの視点 ソクラテスの立ち回りを精神分析者に見立て、彼と仲間たちのやりとりに精神分析のセッションを見出している。テーマは少年愛の構造。それは年長者が少年を、知や徳の面

          『ラカンと哲学者たち』で愛の構造を知る

          『ラカンと哲学者たち』で無意識を考える

          工藤顕太『ラカンと哲学者たち』亜紀書房 2022年 難解と言われるラカンを、他の大哲学者に関する言及から探っている書。 まずはフロイト 無意識:記憶の集積。=個人の物語的な広がりとしてとらえる。フロイトの発明。しかし無意識には直接アクセスできない。 抑圧:ネガティブな意識を心の奥底に押しこめてしまうこと。意識してそれを止めるのは難しい。これは「事後性」をもってずっと後になって、何かのきっかけで突如現れることがある。 構築:精神分析の専門家は触媒として、患者と無意識のあい

          『ラカンと哲学者たち』で無意識を考える

          『ピカソ論』罠か豊穣か、はたして

          ロザリンド・E・クラウス『ピカソ論』(松岡新一郎・訳)青土社 2000年 ロザリンド・E・クラウス:『オリジナリティと反復』(原著は1985年)では先鋭的に美術における過去の評価軸を一転させ、構造主義・ポスト構造主義の潮流に則って刺激的な格子《グリッド》や、コード、オリジナルとコピーなどの概念を駆使しシリアス・クリティシズムを貫いていた。 一転、本書では資料分析、諸説の併記、さらには用心深さをもってピカソの作品の様相を浮き彫りにしている。 ここでは第1章「記号の循環」を中

          『ピカソ論』罠か豊穣か、はたして

          『言葉にのって』 2で割って1を足す

          ジャック・デリダ『言葉にのって』(林好雄、森本和夫、本間邦雄・訳) ちくま学芸文庫 2001年 原著は1999年刊。1998年12月、カトリーヌ・パオレッティによりインタビューが行われその内容を省くことなく収録、さらには1997〜1999年に4回にわたりラジオで行われた同様の対談も編集の上、加えてある。 難解なエクリチュールのイメージが強いデリダ。その彼の裸のパロール(話し言葉)、思わぬ発露や本心、潜在意識の表れも期待できそうだが… デリダといえば デリダの思想の一つに

          『言葉にのって』 2で割って1を足す

          『感覚の論理 画家フランシス・ベーコン論』心にリズムを刻め、証人はきみだ。

          ジル・ドゥルーズ『感覚の論理 画家フランシス・ベーコン論』(山縣 煕・訳)法政大学出版局 2004年 A4サイズに近い大判である。内、4割でベーコンの作品が掲載されている。本論の各ページの上部には該当する図版番号が付されているので便利。内容は、ベーコンの作品を抽象画やアクションペインティングと対置し、そこに働く作用を分析して論じている。 本書より入手しやすく読みやすい『フランシス・ベイコン・インタヴュー』(ちくま学芸文庫)の方をまず薦めておく。作品掲載も多く、本書とあわせて

          『感覚の論理 画家フランシス・ベーコン論』心にリズムを刻め、証人はきみだ。

          『ボードリヤールという生きかた』も、あった

          塚原史『ボードリヤールという生きかた』NTT出版 2005年 ボードリヤール(1929 - 2007年)。現代思想に大きな影響を与えた。ポストモダンの旗手とも言われる。Wikipedia の説明を見てみよう。 さすがにこれでは簡潔だ。彼の著作『シミュラークルとシミュレーション』(1981年)は日本でも話題となり、80年代以降のカウンターカルチャーを彩った思想としてハイソの象徴的よりどころに。「コード化」「オリジナルなきコピー」これ言っときゃ格好がつく、そんなムーブメントも

          『ボードリヤールという生きかた』も、あった

          『ラカンはこう読め!』の、むずがゆさ

          スラヴォイ・ジジェク『ラカンはこう読め!』(鈴木晶・訳)紀伊国屋書店 2008年 ジジェク:スロベニアの哲学者。難解なラカン派精神分析学を映画やオペラや社会問題に適用、独特のユーモアある語り口のため読みやすい。実際にはそのベースとしてドイツ観念論やマルクスの思想があるとされる。 本書:ラカンの分析や解説をするのではなく、ラカンを使って我々の社会やリビドーを示すことを目的としている、と明記されている。ラカンの思想を道具に、見立てをしてみようということだ。 日本語版への序文

          『ラカンはこう読め!』の、むずがゆさ

          インボイスしなかった個人事業主へ贈る

          インボイス制度(売上の消費税について、納税・控除のための決まりごと)が23年10月1日からスタート。この記事は「いろいろ考えたけど、結局インボイス(課税業者)への転換をしなかった。でも、モヤモヤがある」そんな個人事業主の皆さんに向けてのメッセージです。 インボイスで不安なこと 帳簿や書式などの変更の手間が増える、益税がなくなって手取りが減る。 適格業者になるための手続きも面倒。 でも、適格業者でないと、仕事を減らされたり、新規の取引先をさがす際に不利になりそう。 まずは

          インボイスしなかった個人事業主へ贈る