【鶏をしめて、命を頂くということ】 人生初体験。 かつての日常が非日常になった今。 このまま自然の摂理との回避が 進んでいいのか考えさせられます。 是非読んでみてください。 クリスマスで大量のチキンがテーブルに上がったことでしょう。 https://ameblo.jp/annapuruna2/entry-12879803644.html
【人生の目的に関する名言】 現存の哲学者であれ、過去の哲学者であれ、 命に価値があるというこの観念を 説明できた人を私は知らない。 イギリス哲学者 フィリッパ・ルース・フット ↓「個性」と「命の価値」について書いた記事 https://note.com/biblog_334goal/n/nc76f5eb4a6e0
命の価値がみんな同じなら、命の価値なんてちっぽけたものだよ。 私の価値も、きっとこの心臓にはないことになるだろうね。
この世界に私は1ミクロだって 必要とされてないことは分かってる。 あんたもそうだよ 産まれた意味なんて探したって 見つかるわけが無い だって最初から誰にも等しく 存在しないものだから “命に価値なんて無い” 無いものを探し続けて生きるなんて 無意味なこと、私はもうしない。
人は 産道という名の 道を通って 産まれてくる のも 皆同じ 帝王切開? ショートカット? 苦しまずに済んで 良かったね それはそれで 道?管? 道ならカミーノ 管ならチューブ 帝王切開は ないところに ドア?つけられる?
“誰も命に価値がないってこと” “みんないつか必ず死ぬってこと” この2つは絶対的な平等。 残酷だし、悲しいことだけど 間違いなくこれが どんな言葉よりも “私を安心させてくれる事実”だし 嘘がない、本当のこと。
いのち 命は重い、とか 命は軽い、とか 皆んな色々言うけどさ 命に重いも軽いもないんだよ 皆んなロマンチストだよね 命に価値を与えても意味なんてない それとも意味を持たせたいのか それならやはりロマンチストだ 体験とか経験するためだけにただ在るもの それが命 それが真実