桜も人も早く散るほうが美しいのではないか

今の俺は20代半ばで人生を終える構想を持っており、そのイメージを頭の中で描いている。
それまでにせめて成さなきゃいけないことをいくつか描いている。
そのために成さなければならないことは何があろうと成さなければならない。

俺は今まで散々な人生を送ってきた。普通の人が体験しないような事を体験してきた。本当に自分が悪いこともあるし自分じゃ選べない不幸もある。
子供ながらに親父の酒の相手をしたりDVされたり、母が父に殴られ蹴られ髪を掴んで引きずり回されるところをみてきたりされるところを見てきたり、学校でいじめられたり、それしか選択肢はないのにやって牢屋入ったり、誤って人を轢いたり、身内に追い出されて1ヶ月ホームレスしたり、夜の女に貢いで散財した挙げ句彼氏子持ちでフラれたり、自殺未遂5回したり。精神病院に隔離拘束されたり、19で親父から逃げた母と姉を養ったり、母にDVして警察来たり、全ての家族親戚と縁を切ったり、同僚と喧嘩してボコボコにして警察来たり、事業やってみて失敗したり、貧困で2ヶ月間2日に1食で駕いだり、そんななか犯罪に俺を利用しようとしてくる先輩もいたり(なおそいつは捕まった)。食べ物がなくて藁にも縋る思いで助けを求めたら宗教勧誘だったり。他にもその時期に何度も騙されかけたり犯罪に利用されかけたり、その時期に第二の父である母方祖父が亡くなったり。

だいぶ省略してこれだ。
まだここには書いてないこともたくさんある。
上でも書いたが本当に俺が悪いこともあるし、環境や世の中が悪いこともある。
とにかく人生散々だ。まだ21だがそこらの20代の3倍は苦しんでるし経験は豊富な自信はある。
こんだけの経験をすると考え方も普通とは変わってくる。

でも、今に思えばこれも含め全て受け止められる。納得できる。きつかったけどいい人生だったと思える。
なぜなら人生に手抜きしていないからだ。常にその状況ごとに一生懸命生きてきたからだ。だから完全燃焼したというか全く悔いはない。
全力で生きてきた自信があるから死んでも悔いはないのだろう。
一応、人に暴力を振るうのにも自分の名誉を守るためにやってきたという自分なりの主張や正義ははあるし、過去に捕まった件も当時の最適解はそれだったと今でも思う。結果こそはこうなってしまったが。

これらも含めて家族に"親戚に"知り合いに"世の人に"分かって貰えるとは初めから思っていない。そもそも家族や親戚すら分かってくれなかった。それに想像力がない人が世の中多いし、そういう人達の意見が通ってしまうからしょうがない。
例外あれど基本的に誰も悪くないし恨んでいない。

さて、本題に入るが、俺は14くらいから自殺や死の構想を頭で描いていたが、今までと今とでは死に対する姿勢が変わった。

今までは辛い現実や仕打ちから逃れたくて死にたかった。
今は本当にいい人生だったと思えるから死んでもいい。

もちろん今も生まれてきたくなかったとは思ってる。人生9割は苦しいことだったが、だからこそ思い返せば楽しかったのかもしれない。
本当に人生楽しい。皮肉ではなくそのままの意味だ。どこかで書いた気もするが"楽と楽しいは対極"なのはガチだ。
楽することなく人生に手抜きせず毎日を全力で生きる。完全燃焼するような、ある意味苦しい生き方をすると本当の楽しさが分かってくる。
本当の楽しさとは言語化はしにくいが、俺の感覚では心の奥深くや記憶の奥深くから溢れてきてる感覚だ。とても幸せである。 
それに色んな人に助けてもらって人の優しさを知ったり、人と話す楽しさを知ったり、人と出会うと次は映画やアニメ漫画、歌などの作品と出会えたり。本当に幸せである。

最近これからの人生のイメージを改めて描きなおしてる。ちなみに人生は設計するものではなく描くものだ。具体ではなく抽象で十分。未来を文字で書くのではなく、頭の中で未来の風景の絵を描け。

んでいくつか絶対に成さなければならないことがあるが、その一つは母親に一生暮らせるだけの金を残すことだ。縁を切っていたが実は寂しかった。祖父の死をきっかけに再び連絡先が繋がった。母は悲惨だ。旦那にDVされ、息子は逮捕され、娘は未だ心はガキのままだ。

いつか孫の顔を見せてあげるという喜びというのもあるが残念ながらそれはできない。
これ以上父方の遺伝子を残してはいけない。親父のコピーである俺の遺伝子を残してはいけない。
穢れた血は絶やさなければならない。
それに孫の顔云々は所詮俺たちのエゴでしかない。分かってるよそんなことは。
それらの理由から俺は子供は作れない。そこまで無責任にはなれない。

でももし何も知らず成長せず心がガキのまま大人になってたら恐らくみんなみたいに短絡に子供作ってただろう。
でも身の程と遺伝子の程度が分かることが出来たから結果オーライだが。

まあ息子とキャッチボールしたり、戦いごっこしたりしてみたりしたかった。他には一緒にゲームしたり、歴史の面白さを教えたりしてみたかった。でもしょうがない。全てはしょうがない。

だから母の為にせめて出来ることは一生暮らせるだけの金を残すこと。あと数年で俺が死んでも母には俺より大事な娘がいる。心の拠り所はある。あとは金さえなんとかなれば幸せだと思う。不安がなく衣食住と話し相手さえいればある程度健康に生きれるんだから。

とにかくいくつかある成さなければ成らないことを成したらもうお休みしたい。しかし何度でも言うがこれは人生の苦痛から逃れるためではなく、成すべきことは全て成したという人生の卒業式というとても前向きな意味である。もう既に悔いはほとんどないが。

桜も人の命も短いから美しい。










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