自分の知らない自分との邂逅
こんばんは。エモです。
人間は脳の機能の10%しか使えていないという都市伝説があります。
僕はどれくらい使えているのかな?
ま、知らんけど笑
なぜこの話をしたかというと、先日僕の知らない僕に出会ったから。
その日はメンタルクリニック。相変わらず重だるい体に耐えながらなんとか到着。
いざ診察
「さて、どうですか?」
2週に1回の診察の始まりは大体先生のこの発言から始まる。
いつもなら、たどたどしいながらも2週間の経過報告をし始めるのだが、全く言葉が出てこない。
しゃべろうと思っても口が開かないのだ。
そんな自分を黙って先生は待っている。そういうセオリーなのだろうか。
たぶん時間にして約5分間ほど沈黙していたと思う。
やっと口が動くようになった。
と同時に号泣開始。
なぜ号泣しているのかが自分でもさっぱりわからなくて、ただただ謝りながら号泣。
号泣したのはおぼろげながら幼少期以来だと思う。
ひとしきり号泣して落ち着いたとき先生が一言
「限界ですね。辛かったですね。」
ああ、自分限界だったんだ。
他人に言われてはじめて気づかされた。
言われてみればその日はおかしかった。
起きてから気付きのその瞬間までの事をよく覚えていないことにも気づいた。
最悪もあり得た、と考えるとぞっとした。
物凄いファッションで通院していることに気づいたwwww
人目もはばからず号泣する自分が存在していたんだ、、、
「自分の知らない自分との邂逅」
欲を言えばプラスの知らない自分に出会いたかったけど、マイナスを知っておくことも重要だと思ったのが、先生からの言葉
「プライドさえ捨てれば、生き方なんていくらでもある。だから決して自分からいなくなろうとする事だけは選択してはいけませんよ!もしそれを選択したらご家族は悲しみますよ!」
普段ドライな先生が熱く語ってる先生の目に、僕の姿は相当まずく映っていたのだろう。
そこからまた号泣が始まりつつも、近況の報告をした。話しづらいったりゃありゃしない。
ひとしきり話したのち、さっきと同じ話をもう一度された。入院も勧められた。でも入院しても何も変わらないのはわかっていたから断った。
号泣したら、逃避していた問題がより鮮明に色を持ち、まるで自分のお尻をバシバシ叩くように改善要求を出してくるのだ。
「早く早く!もう怖いものなどないでしょ?大丈夫僕ならできる!」
本当にそうバシバシけしかけてくるのだ。
こんな自分もいるのね。
本日2人目の「自分の知らない自分との邂逅」
そこからは早かった。冷静になれた。頭の中に知らぬ間にもやっていた霞が最大瞬間風速で吹き飛んだ。
「僕を護ってくれていた僕の知らない自分」に応えるために即行動を起こした。
個人的なことなので詳細は伏せるが、結果的に状況が180度変わった。
幸いなことに最善の方法で。最小のリスクで。
今回、病理か潜在意識かどうかは定かではないが、結果的に自分が自分を救ってくれたという形になった。
皆さん、自分の限界は把握してますか?僕は把握しているつもりでした。でも全然足りていませんでした。
もし仮に心に闇やしこりを抱えて生きている方々がいるのであれば、カウンセリングか通院することを強くお勧めします。
こういうご時世です。飲食店をはじめ、危機的な状況の方々が多く犠牲になっているという事実があります。
僕も下手したら。
相談する相手は沢山います。とにかく一人で抱え込まないで!
周りにいつもと言動が違う人や、不遇な環境に追い込まれてしまった方がいたら、尻をバシバシ叩いてでも病院・カウンセリング・役所に連れて行ってあげてください。
それができるのはあなたしかいないかもしれません。
「何百万、何千万借金があろうが、精神疾患があろうが、なんであろうが、行政が何とかしてくれます。残念なことにそれを知らないで、知っていたかもしれないけど絶望感に押しつぶされて、、、とにかく行政を徹底的に使いなさい!!」
と先生がおっしゃっていました。
正直、僕はプライドは捨てて生きていたつもりでしたが、しっかりと残っていたことにも気づかされました。
プライドなんて無価値です。
命の価値は平等に無限大です。
だから、病院行こう?カウンセリング行こう?役所行こう?
護るべき人がいるんだったらなおさら。ね?