芸能人と一般人の死生観~コメディアン、上島竜兵さんの死を通して~
こんにちは。yuです。
久しぶりの投稿になります。
今回は芸能人と一般人の死生観について前から私が思っていることを書き綴りたいと思います。
上島竜兵さんについて
日本のコメディアンである上島竜兵さんは有名なダチョウ俱楽部の大ボケ担当で、キス芸や「どうぞどうぞどうぞ」というお決まりのギャグ、「押すなよ、絶対に押すなよ!」と言っているのに熱湯風呂に落とされてしまう芸が印象的です。私自身もこのネタが好きでした。
俳優業でも活躍されていていました。
上島竜平さんが自殺した原因(推測)
あくまでも推測になりますが、他の方が書いたブログ記事などでは自宅で首吊り自殺をしたそうです。
その原因はコロナ禍でのストレスや実はうつ病だったこと、親しい仲だった志村けんさんの死、コロナの影響で身体が密になる芸風ができずに仕事が減少してしまったことなどが考えられます。
メディアでは明るく面白く振る舞っていてストレスとは無縁そうに見えますが、お笑い芸人も色々と悩みが多いのだなと思いました。
芸能人と一般人の死生観について
芸能人と一般人という区切りが明確に表れたのは恐らくTVが普及した時代からでしょうか。
私が生まれた時には、すでにTVがあったので芸能人と一般人の区切りは頭では当然のことのように受け入れていました。
しかし、現実のこととして受け入れられたのは中学生の頃でした。
中学校で子供向けのニュース番組を見て感想文を書くという国語の授業がありました。
私の祖父が亡くなった後にその授業があったので、ニュースになるのかな?と思っていました。
しかし、私の祖父が死んだことはニュースでは取り上げられませんでした。
今考えれば当然のことですが当時は驚いて、こんなことを考えました。
「人の死は平等じゃないんだ。。。。有名な人はニュースで取り上げられるけど、祖父や私のような一般人はニュースに取り上げられることもなく死んでいくんだ。
じゃあ、人間の命って何なんだろう???
有名なら、生きている時間の命の価値は一般人より高いのかな???
私が有名になれば一般人より命の価値って高いのかな?」と。
当時は、この思いを言葉にすることも書くこともできませんでしたが、こんな感じの思いが込み上げてきたのを覚えています。
私自身、大人になるにつれて人間の命の価値というものが、その人が持っているステータスで決まるという悲しい見方を持っていることに気づきました。
お金持ちか貧乏か、顔がいいのか悪いのか、賢いのか賢くないのか、学歴があるのかないのか、働いているのかいないのか、仕事ができるのかできないのか、明るいのか暗いのか、面白いのか面白くないのか、、、、、
2次元的な思考で自分で作り上げた理想的な価値観に基づき、自分自身や他人を裁いていく。
表には出ていませんが、社会では何も取り柄がなく努力もしない人間は捨てられて淘汰されていくものだと思います。
でも、そんなことって悲しいことだし。
じゃあ結局、人間の命って何なんだろう???
という疑問が大きく膨れ上がるばかりです。
これは推測になり恐縮ですが。
恐らく上島竜兵さんも
「思った通りの芸ができず、仕事も減った。
皆を笑わせることができずに、ただ生きているだけ。。。。
こんな俺に何の価値があるんだろう。。。。」
ということを1回は考えていたかと思います。
人間が社会に貢献することは大事なことかもしれませんが、人間1人が持っているステータスで人間の価値を人間が決めるのではなく、命そのものの価値を自身で見つめる必要がある時代かもしれませんね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏