Jacqueline du Preという今は亡きチェリストの演奏で、エルガーのチェロ協奏曲を聴き、自分の創作の浅さを痛感しました。安全な浅瀬で泳いでいました。目先に見えるものを追っていました。それで仕方ないと思っていました。しかし書くからには、彼女の演奏のような小説を書きたい。
正月のショートショートをぼちぼちと書いている、元旦に投稿を始める予定である。創作ノート47に沢山のすきを下さり、物語に期待して頂いていると思えて嬉しい。小説の投稿については気分的なものだから、僕のタイミングで再開しようと思う。作品も居場所の様な雰囲気で創作を自由に楽しみたいです。
今朝noteに書いた詩『風のおと』にコメントを下さった素敵な方が🥹✨ 本当に嬉しくて、ありがとうの思いが止まらないです♡ 詩は普通のnoteとは違い人様の役に立ちたい!もなく、100%純度で私が思うままに書いている創作物。それがほんの少しでも誰かの心を動かしたことが幸せです🫶
純度を上げる作業を精製と言う。沸点の違いを利用するから純度を上げるにはそれなりの熱量が必要だ。そこんところ音楽や芸術にも言える。良いものを作るために熱量が絶対に必要だ。そして純度が上がると結晶化する。なんかグッと来る。今帰仁の仲間のことを思う。
母のお気に入りはホワイトです、亡くなったメーに毛並みがそっくり!男の子で性格はメーの真逆です。朝食の時も、魚の煮付けをホワイトに食べさせると、子猫達の食事の様子を見て、他の子猫が煮魚を取ろうとすると声を上げます。母は面倒な事に首を突っ込みます、昨日ブルーが庭の虫を食べていました。
音楽は言葉では伝わらない何かを伝え合える。そう信じたいが考えるって行為ははじめに言葉ありきだから困る。だったら考えるな、感じろってことになってなんだかどっかの映画に出て来た言葉を呟いてしまう。そのもどかしさこそが人間世界の混乱を招いているのかもしれんなあ。
ファンは盲信者ではない。当然のように飽きたり、冷めたりする。結局、歌い手はなんぞええものを発信し続けなくてはファンとの良い関係は保てない。長く追い続けていてくださるファンには、奇跡のつながりさえ感じる。あなたも変わり、私も変わり続ける中の関係だからだ。本当にいつもありがとう。
旅の本当の面白さ、深さを感じる瞬間はなかなかカメラに手を伸ばせないし、伸ばしたくない。そんなもんだ。 でも、楽しさは頑張って伝えたいね。 ライトで行こう!2023/05/11
新しい場所で新しいことが始まる。ようやく生きていける。細胞はいつも入れ替わっているし、エネルギー補給こそ人間の一番の喜び。
巨大な樹海の目の前に来て闇雲に突入するのは危険だ。そこに宝物があるかもしれないと思っても躊躇する。できれば案内人が必要だが、誰が案内人なのかは名乗ってもらわないとわからない。素晴らしい案内人に出会ったなら、それは樹海の宝物より貴重かもしれない。樹海の前で途方に暮れてわしは考える。
十代、身近に憧れるバンドがたくさんあった。特に、センチメンタルシティロマンスやめんたんぴんは喋ったり呑んだりも出来た。それでもやっぱり大スターだったんだよ。そういう憧れを持ったまま成長してシーンのメインで仕事している人はなんかシンパシーをもてていい。共通語があって話しやすい。
出会いのタイミングはとても難しい。自分でも再会のチャンスについ億劫になってしまうこともある。自分が変わって来たと思うなら人もそうだということを過去のイメージから逃れられずどこかで否定してるってことだ。これじゃ進歩はないよな。勇気ってそういう時に使うものじゃないかな。
録音だけの共演という超ビッグネームみたいな仕事をした仲間との初共演。気持ちを合わせるというアンサンブルの基本はどこにあるのかという疑問が生まれるが、いろんな形でグルーヴは作れるという証明にもなる。考えてみれば、ライブでカラオケを使うことが普通のことになってるし。悪いことじゃない。
ここはフォッサマグナである。何億年かけて動いてきた地殻。今も動いている地殻。このエネルギーでわしの体も多大な影響を与えられて変化しているはずだ。きっと日々の調子にもね。なんて考えたらミスや気持ちの凸凹など気にしててもしょうがないと思えてきた。永遠の未完成の理由がそこにもあるなあ。
ハリウッド映画の王道パターンとして桃太郎型のストーリーがある。冒険のお供を見つけながらの旅。荒野の七人、スターウォーズ、ブルースブラザーズなどなど。ライブも参加者が増えて行くとワクワクする。そういうことなんだよね。
オリジナリティにこだわる。できれば特別なものを作りたい。特別な表現をしたい。だが実際のところ、大抵のことは先人がやり尽くしている。個性は声、顔、風体の違いくらいだ。包み隠さず自分を露わにする、欠点を愛し大切にする。欠点てのは良く言えば個性なんだな。 2023/08/18
Do the right thingを見て自分の放送局を持ってみたいと一瞬でも妄想した人は多いと思う。New cinema paradise を見て自分の映画館が欲しいと思った人も少しはいると思う。個人のものではないけれど本当にラジオ局を立ち上げちゃった友人に会いに行く。
目標を目指してる人たちは本当に眩しい。その目指し方に何の翳りもないから。彼らに対して僕らのやるべきことは今が本当に楽しいことを見せていくことだよなあ。彼らより確実に先に行ってるのは年齢だけだからな。私もはやく歳を取りたいと思えるようなことしなきゃね。ジョンレノンより爺さんな僕。
黒部の太陽とか超高層の夜明けとか建築系の映画がたくさんあった。ハコモノ行政とかそんな言葉もなかった時代に育った。あれが未来であり成功だったはずが今は全時代のオニモツになっている。時代は繰り返す。いま良いと言われているものもどんなことになっているのか。成さぬことの楽しさよ。
富士山や虹が嫌いな人間はいない。ライブで会った人に確かめているから間違いない。多分花火も同じ感じだろう。ただ富士山や虹と違い花火は一瞬一発ではなく数を重ねてこそ感動があると思うんだよ。歌い手である以上富士山でありたい虹でありたい花火でありたい。
ジグソーパズルの大作を組み上げたことがない。見た目ほど気が長くはないようだ。手書きの歌詞は途中からどんどん読めない字になっていく。打ち合わせも、あとは任せた!と詰め切らない。まさに爪の甘い男である。それが原因で山のように失敗を繰り返していると。毎朝今日こそは丁寧にと思うのだが。
資格より自覚が大切だな。
旅の本当の面白さ、深さを感じる瞬間はなかなかカメラに手を伸ばせないし、伸ばしたくない。そんなもんだ。 でも、楽しさは頑張って伝えたいね。 ライトで行こう!