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文章を書くのが特に好きではない

昔から文章をよく書いてきた。

空想が好きでごっこ遊びを家でも外でも一人でやっていた。
その延長線上でお話も書いた。
初めて書いたお話は「さかなになった姫」である。
小学校のお楽しみ会で私のいる班は劇というかコントをすることになり台本を書いた。

あとどういった理由だったかは忘れたけど、学校で反省文を書くことになり、それをスペクタクルな物語にしてクラスで読み上げたこともあるふざけたガキだった。

小学校の卒業式ではとうとう1人ロミオとジュリエットをやった。

ようするに子どもの頃の私はお調子者であった。

中学生でアニメオタクになった私は高校生になる頃には小説サイトを作って、その時好きだった作品の二次創作を書くようになっていた。
高校の友達同士で「師走に負けるな!1日1個のお題」というイカレタ企画を立ち上げて、
12/1〜12/31に全ての日に創作お題を作り、毎日お題に沿った小説もしくは絵をアップするというものだ。
友達2人は完走していた。
私は10本も書いたかどうか。
小説でなくても詩でも短歌でもお題に沿ってさえすれば何でも良かった。
それなのに完走できなかった。

高校で演劇部に入っていた私は部員みんなで台本を書いて、出来上がったものをブラッシュアップして舞台作品にしようという部の方針のために演劇の台本の執筆に取り組んだ。
みんなそれぞれに書いてきていたが、私は書けなかった。
みんなが書いてきた台本が全て台本としてよく出来ていたというわけではなかったと思う。
素人の高校生だったから。
それでもみんな書き上げていたのに、私はそれが出来なかった。

高校を卒業後、演劇部OBの先輩が立ち上げた社会人劇団(当時は大学生を中心とした学生劇団)に入った。
メインは役者だったが、大道具・小道具作りから衣装制作、宣伝まで何でもやらなければいけないので何でもやった。
脚本が書ける人はすでにいたが、色んな人の脚本があったほうが面白いということから、団員全員脚本を書いた。
その時は書ける時は書けた。
いくつか上演した作品もある。
でも書けない時は全く書けない。
しかも書き上げることができた脚本はもともとある作品の脚色がほとんど。
0から書き上げることができた脚本は少ない。

その後劇団を離れ、演劇の作り手の立場からも離れ、たまに演劇をお客さんとして観に行く人になった。

30歳をすぎて二次創作熱が再燃し、その時々にハマった作品の二次創作小説を書いた。
でもその熱は長くは続かない。
演劇脚本の時と同じく、書ける時は書けるが、書けない時は全く書けない。
私のスマホのメモ帳には書きかけが山ほどある。
書き出したものの展開が思いつかなかったり、飽きたり、想定していた展開にならなかったりして途中で書くのをやめてしまったメモたちが。

最近になってようやく気づいたことがある。

私は文章を書くのが特に好きなわけではない。
スマホにしろPCにしろ手書きにしろ、文章を書くことそのものを割と苦痛に感じている。

世の字書きさんはプロアマ問わず、書くこと自体が好きな人が多いんじゃないかと思う。
わざわざ嫌いなことを趣味にする人はいないから当たり前と言えば当たり前だ。
書くこと自体が好きだから、書く途中で詰まってしまっても続きを書きたいから、構成や文章を練り直したりすることが出来るんだと思う。
私は完成品は見たいという欲はあるが、書く楽しさは無いので、書けなくなったらすぐに「やーめた」となってしまう。
この「完成品は見たい」は読みたい欲なのだ。
演劇であればこういう作品が舞台で観たい!という欲求で脚本を書いていたし、二次創作は推しカプのこういうイチャイチャが読みたいという欲求で二次創作をしていた。

でも世の中に面白い演劇作品は山ほどあるし、神字書きの天才的小説はネットでたくさん読めてしまう。
神字書き様のなかには御本にしてくださる方までいらっしゃって、おかげで私は家でお布団に包まりながら最高の推しカプの二次創作を私が死ぬまで読むことができる権利を得ることができた。

文章を書くのが特に好きではない自分が無理して何かを書く必要はないのは自明である。

それなのに、何故か時々こうして文章をアウトプットする場を探してはこういうブログのようなものを書いてみたり、小説を書いてみたりを繰り返している。

好きじゃなくても得意じゃなくても、たぶん自分にとって必要だからそうしているのだと思う。