「きみの創作はネガティブパワーが標準装備らしい」
創作についてのひとりごとつれづれ。
昨今の私の創作事情と、
以前のイラストレーター時代の仕事事情との対比で、
突然ふっとわかる「なにか」が多い気がしている今日このごろ。
今回もそんな感じの、迷いや不安についての話。
最近、「自身の作家プロフィールやコンセプトのようなものを、人に文章でお伝えする」ということがあった。
創作家をやっていれば、そういうことはたびたびにあるけれど
実を言うと、この作業が少しだけ苦手で、
と言うのも
私が絵描きとして描いている、私の作家として柱になるメインシリーズ的なものはあるものの、
それだけをひたすら描いているわけではないし、
「描きたいもの/描かなくては、と感じるもの」がいつもメインシリーズのものというわけではないし、
「私は、”こういう絵“を描いています!」
と限定してしまうことに、躊躇いのようなものがある。ずっと。創作活動を始めてからずっと。
私の中で生成されて出力されて
私が認めて許したものはすべて
我が「作品」ということになる
という感覚があるので
「こんな感覚的で抽象的なことを、どうまとめて、紹介文としても使えるように伝えたものか……」
と、途方に暮れるような気持ちになったりもする。
他の絵描きの皆さんは、いつもどういう感覚で作品を生み出されてるんだろう。
描きたいものだけに邁進しているのだろうか。
そしてその気持ちをどうやって人に伝えているんだろう。
聞いてみたいな。
ともあれ
作品を観てくださるかもしれない方々に、
「yuki.なる作家とは何者であるか」
ということはきちんとお伝えせねばという想いは勿論大いにあるので、
誠実に真摯に、少しでも伝わるよう、いつも文章を考えている。
今回、自身の作家としてのコンセプトを考えたとき、ふと「迷いながら制作している」という文面を使ってみることにした。
「迷いながら」
という文言を、プロフィールに使ったことは無かった。
ここにきて初めて、「迷い」を伝えてしまっても良いのかもしれない。
と思ったりなどした。
だって、考えてみれば私の創作なんて、
「迷い」「不安」「ぐるぐる」「もう嫌だ」
が標準装備で取り外し不可じゃん、
ていうか、「迷い」がない「私の作品」とか、なにひとつも無いのじゃん、
悩みも迷いも内包されてないそれは、「私の作品」って言えるんか、じゃん?
なんてことを、すっとんと、思った。
「いま腑に落ちてるな」とわかるほどに。
┈ ┈ ┈
商業でイラストレーターを務めていたころは、不安や迷いを表に出すことを良しとしていなかった。
自分の能力を冷静に見極めて、どれだけ吟味して「このイラストの依頼を受ける/受けない」を選別したとしても、「この依頼は私には荷が勝ちすぎていた」と感じてしまう案件は、どうしたって一定数で出てくる。
そういうときに、一旦引き受けたからには
「やっぱり描けないかもしれない」「これは難しいです」とは勿論簡単には言えないし、言うものではないと思っている。
(相手方がとんでもない無茶な修正や納期、無理難題をふっかけてくる場合等は除く)
イラストレーター側がクオリティへの不安や迷いを表に出しても、クライアントはますます不安になり戸惑ってしまうだけだし、一度仕事として請け負ったからには
「できます」
「大丈夫です」
と虚勢やハッタリをかますぐらいでちょうどいい。と思う。いわゆる痩せ我慢と言うやつだ。(あまりに描けなさ過ぎるときは、あとになるほどクライアントに大迷惑がかかるので、早めにきちんと申告するべきだろうけど)
水面下の白鳥のバタ足のように、それで自分がもがいてやられてダウンしそうになったとしても、泣いても笑ってもそのときにできる自分なりのベストを尽くすしかない。ていうか、それしか出来ないし。
┈ ┈ ┈
とまあそんな感じで
不安や迷いについてはわりとずっとそういう考えがあったので
創作を始めてからも「いつも迷いながら、なにかをつくっている」と、プロフィールに書いたことは一度もなかった。
作家同士や懇意にしている人たちとの様々な話で、「この、自分の中の、如何ともしがたい、迷いのようなしんどさのようなぐちゃぐちゃした、何か」を聞いて貰うことはたくさんあったけれど、
紹介文のような公的なものの中では「不安や迷い」をわざわざ表明するものではない
と、思っていた。
けれど、ここ何ヶ月かで、
色んなものと離れて、
たぶんいろいろ手放して、
意図せず自分と向き合ったような形になって、そんな時間を過ごしたからか
不思議なくらい
迷いも込みの、我が作品じゃ…
創作でなにかと躓きまくっていることを、観てくれる人に知って貰うことに、もはや否やは無い
と思えた気がする。
創作で迷う自分を受容したってことかね。どうなんだい、自分。
迷いと不安を伝えたり表明することは、自分の力の足りなさを露呈するかのようで怖かったのだと思う。
でも、仕事と創作は違う。
仕事では、多少のハッタリや痩せ我慢が大事な局面もある。
だけど創作では。
いくら迷っても、かっこわるくても、それを伝えても、すべて私のこと。
迷いも懊悩も葛藤もすべてひっくるめて、私の作品になる。
それを公言しても、きっともうこわくはないだろう。
全然思い通りになんていかない、思った通りにいかないその道すじを通って生まれたものが、紛うことなき私の絵だってこと?
うん そうだといいな。
私は いつも悩んでもがいて足掻きながら、
なにかをつくっています。
そうやって、
描かなくちゃ つくらなくちゃ 形にしなくちゃ
って 思うのです。