不二一元論は不二だから、真我・ブラフマンの性質が、存在・意識・至福=サッチダーナンダであるともないとも言えないはず。思うに、多分、あるというのは二元の世界における便法的表現で、実際には、直接知覚するしかない。 この問題を取り扱った本⇩ https://amzn.to/3WkuPT4
宇宙はエントロピーさ。と急にまどマギのきゅうべいの声がした。光と闇。楽と苦。ただ闇にむかえば絶望だし、ただ光に向かえば薄っぺらい。どちらも深く分かった上で闇をみるのはこの世界が最高に面白いと思えるスパイスになる。 私まどマギにここまで自分の伏線もってたのを初めて気がついた。
「好き」と「嫌い」は同じエネルギー。どちらも注目することによって発する。 太陽の光を見るのか、はたまた太陽に背を向け影を見るのか、それだけの違い。執着すれば囚われる。注目しないで済む解釈を与えられる状態になれた時、執着は消え去り、どちらの気持ちも浮かばなくなる。どうでもいい状態。
陰陽の世にいる龍も人も今日
限りなき慈しみあり龍も人も