見出し画像

自分らしく輝いてみませんか?・・・ってどうなの?

こんなキャッチコピーを見たことありませんか?

自分らしく生きる、自分らしく輝いてみる、時々こんなキャッチコピーを見かけます。

「自分らしく」「輝く」なんてワードがあると、自分軸でキラキラした笑顔で、毎日が楽しく幸せいっぱい、そんなイメージを抱かせる感じがしますが、みなさんはどんな印象を受けますか?

現状に何かしら不満や不足があったら、そんな風に生活できたらさぞや楽しいだろうなと思うのも無理はありませんし、本当にそう生きられたら楽しそうな気がしますよね。

これは二元性での視点で自我(エゴ)の思考です。

私たちの多くは、何かを得れば喜びや楽しさを感じます。そして何かを一生懸命学んだり、何かを得ようと必死になっています。

たくさんお金があれば幸せになれるだろう、そんな風に考えます。確かにお金がぜんぜんないよりは「お金がない」と考える苦労は少ないかもしれません。

パートナーがいれば、友達がいれば、もっと楽しく過ごせるだろう、もっと幸せだろう・・・そう考える気持ちはわかります。

二元性の視点では「良い悪い」で判断し、「ポジティブとネガティブ」が必ずセットで存在しています。

ですからお金を手に入れなければ、生活していけないという不安や恐怖があるからお金が欲しいのであり、また人よりも良い生活がしたいからお金が欲しいという人もいるかもしれません。

何かが無いと不安だから手に入れようとする。手に入れたらそれを失う不安も出てきます。またはもっと他にも必要かもしれない、もっといいものがあるかもしれない、などの不安を消すための欲求が生まれたりします。

パートナーや友人が得られれば、一緒に過ごせる楽しさがある一方で、喧嘩をしたり、意思疎通がうまくいかないとトラブルになったりします。

それが原因で距離を置くことになることもあるかもしれません。

つまり手に入れることで得られる幸せと同時に不安も手に入れているのです。何かを手に入れることによる幸せは一時的な幸せであり、時間とともに消えてしまいます。場合によってはすぐにでも消えてしまいます。

ですからずっと本当の幸せにはたどり着けません。それでも繰り返し何を得ようと努力することを続けることは、それはそれで一つの生き方であると思います。

また自分らしく生きることが「良いこと」という価値観が根底にあります。自分軸が良くて他人軸はダメだと。

自分が好きな事をして明るく楽しく暮らしていることが「良いこと」だという価値観。一見、よさそうに感じますが、そう生きてみたら思った以上に苦労することがあるかもしれません。いや、きっとあるでしょう。

そして「輝いている」とはどういうことなのでしょうか?仕事や活躍していることが人に注目をされて、称賛されているような状態でしょうか?

輝いている、というのは他人からの評価であり、自分ではわからないものです。しいて言い換えれば楽しんでいるという自覚でしょうか。

自分が好きな事、やりたいことができていないと、「輝いていない」と思うかもしれませんし、また人から称賛、評価されていないと輝いていないと思うかもしれません。

確かに人から称賛されたり、評価されたりしたら嬉しいでしょうし、それは素晴らしいことだと思います。

しかし、そういうことがない人はダメなのでしょうか?

決してそんなことはないはずです。

でも中には「私はそんな活躍全くしていないし、できないし、自分に自信がありません・・・」と落ち込んだり、自己否定してしまう人も出てきてしまうかもしれません。

無意識の中に、活躍している人は「良い」「立派だ」「素晴らしい」などの価値観があり、そうじゃない場合は「ダメだ」「平凡だ」「つまらない」などの価値観があるように思えます。

何かしら活躍できるように頑張ることは、悪いことではないですし、頑張ってみる価値はあると思います。だからといって、そうじゃない人はダメなのかと言えば、それもありません。

どっちも良いも悪いもないのです。

私たちは子供の頃から、良い悪いのジャッジをしながら生きてきました。そうするように自然と教育されてきました。その結果、多くの苦しみを生み出すことになってしまいました。

これが二元性の世界です。

今までずっとそうやって生きてきたので、それ以外の視点があることに気づかない、またはみようともしない人も多いことでしょう。知るきっかけがなかった人もいるでしょう。

そのせいでずっと苦しみ生きづらさを感じ続けている人もいるでしょう。


非二元性という考え方、見方、捉え方があります。
良い悪いなどのジャッジはしない見方です。起こっている出来事をありのままで見ています。

良いこと、悪いこと、というのはその人個人個人で違うわけです。その人の価値観です。ということは出来事、そのものは良いも悪いもないということです。

起こることは、起こるべくして起こっている。だから、どう捉えようと出来事は起こるのです。そうであるなら、わざわざ不快になるような捉え方をせずに、ただ起こった出来事をそのままで見ていればいいのです。

二元性の視点は物事に焦点を当てます。言葉で縛り、物事を分離させます。

非二元的な見方は、俯瞰した見方、焦点を当てない見方、全体像を見る見方です。

さてここで問題です。ではこれは一体なんでしょう?↓

あなたは何と答えましたか?

金色の蛇、家、蛇と家、干支のヘビ・・・いろいろな答えがあると思います。どれも間違ってはいないと思います。

しかし、これは個別に焦点を当てた見方です。焦点を当てない見方をすると「画像」「写真」というような答えもあるでしょう。

今、目の前に何が見えていますか?

例えば家の中であれば、テレビ、テーブル、椅子、ソファー、キッチン、窓、カーテンなど部屋の中にある物に焦点があたり、見えているものを答えていくでしょう。何か一つを答えている時は、そのもの以外には意識が行っていません。別々に分離しています。

しかし俯瞰して個別に焦点を当てないで全体像として見た場合、なんと答えればいいのでしょうか?しいて言えば、「景色」とか「風景」とか「見えているもの全て」などそんな感じになると思います。

確かに色も形も違うものが目に映っているかもしれませんが、そこに焦点を当てなければ、言葉を付与しなければ分離することはなく、全体像の中の色の違いという程度の捉え方になります。すべてで一つという感じです。

ありのまま、そのままを見るとはこういうことです。これが非二元的な見方です。

良いも悪いもない、またはどっちもある、という焦点を定めず「すべて」を捉えていると無駄に苦しむことがありません。「ネガティブな価値観」に焦点を当てていないからです。

この世界は幻想だと言われます。
しかし幻想と言うと触れば消えてしまう、実体のないものというイメージがあるのではないでしょうか?だから言葉だけだと目の前の物質(触ると硬い)があるので幻想とは到底考えられません。

しかし思考や感情はどうでしょうか?姿や形がないものであれば、幻想だと考えやすいのではないでしょうか?

思考や感情に焦点を合わせなければ、または出てきても視野(意識)を拡大してぼんやりと捉えれば、周囲に溶けていき消え去っていきます。

あっという間に消失してしまう、思考や感情はまさしく幻想そのものと言えるのではないでしょうか?

「自分らしく」と他人と分離させず、ただあるがまま、ありのままでいることで、それが自然なあなたです。私たちは誰一人同じではないですし、かつ一人一人も決して同じままではいられず、常に変化し続けていきます。ですから皆違いますし、それは皆同じです。一つの景色(すべて)を構成する一部でありながら、あなたが見ている世界ですからすべてがあなたの一部であり、すべてが一つであなたであるといえます。

ですから「自分らしく」と定義付けしなくても、最初からあなたらしいのです。

余計な思考や感情は手放してみることです。

過去の価値観も思い込みもすべて手放してみることです。

そこには苦しみはなく、静寂と平穏平安があるだけです。これは何かを手に入れて得られる幸せではありません。常に私たちの中にあるのです。

もうあなたから苦しみはなくなっていきます。かりに過去の習慣から苦しみが生じてもすぐに手放すことができるでしょう。

これが非二元的なものの見方です。



いいなと思ったら応援しよう!