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意識と音楽:「人工知能と音楽の未来」および「三輪眞弘を理解するための要約表」に向けてのプロレゴメナ(2002~:未定稿)

20世紀のマーラー、21世紀のマーラー:再び空間性から時間性へ

「架空の島の唄」としてのシベリウスの音楽について―新保祐司『シベリウスと宣長』を巡って―

フォルマント兄弟の「和音平均化旋律・運指法計画」で用いられている制約プログラミングについて(2)

モノローグ・オペラ「新しい時代」の再演に接して(前半)

落穂拾い:『人新世の「資本論」』における芸術の価値についてー「ドイッチュ『無限の始まり』における持続可能性批判についてのメモ」余録(1)

人工知能と音楽の未来・梗概と補遺

フォルマント兄弟の「和音平均化旋律・運指法計画」で用いられている制約プログラミングについて(6・了)

フォルマント兄弟の「和音平均化旋律・運指法計画」で用いられている制約プログラミングについて(5)

フォルマント兄弟の「和音平均化旋律・運指法計画」で用いられている制約プログラミングについて(1)

「時の逆流」および時間の「感受」のシミュレータとしての「音楽」に関するメモ

落穂拾い:「人工知能と音楽の未来」の準備のための対話より(2018.3)

「新調性主義」を巡っての断想

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:あとがきに替えて・謝辞・参考文献

『三輪眞弘祭 清められた夜』にネットワーク越しに立ち会う:ライブ配信視聴の記録

フォルマント兄弟の「和音平均化アルゴリズム」をめぐって

「スポーツ劇」を観て

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第5章 社会集団の構造と成員の心の構造の関係(3):祭祀と神歌における心の社会性

落穂拾い:『人新世の「資本論」』における芸術の価値についてー「ドイッチュ『無限の始まり』における持続可能性批判についてのメモ」余録(3)

落穂拾い:『人新世の「資本論」』における芸術の価値についてー「ドイッチュ『無限の始まり』における持続可能性批判についてのメモ」余録(2)

日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ (26(了)・文献リスト)

『母音廻し、または遠隔音響合成のための五芒星』にネットワーク越しに接して

「架空の島の唄」としてのチェコの音楽について―中沢新一『音楽のつつましい願い』を巡っての書簡より―

三輪眞弘(監修)・岡田暁生(編)『配信芸術論』

6か月前

「赤ずきんちゃん伴奏器」「東の唄」の再演を聴いて

「火の鎌鼬」再演を聴いて

「TRANSMUSIC 2014」について

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:まとめと結論

「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」再演を聴いて

モノローグ・オペラ「新しい時代」の再演に接して(後半)

ドイッチュ『無限の始まり』における持続可能性批判についてのメモ

「新しい時代」への応答のための準備作業(4):(不)可能なアルゴリズミック・コンポジションの周辺を逍遥する

「参考文献要約表:三輪眞弘を理解するために」 表の見方と説明(2019.8.15)

セザール・フランク 「別の部屋」からの響きについて

「アルゴリズミック・コンポジションの(不)可能性」についてのメモ

「ひとのきえさり」日本初演を聴いて

MIDIアコーディオンによるペルゴレージ「スターバト・マーテル」歌唱の試みについて

「New Tonalism / 新調性主義 ―逆シミュレーション音楽の彼方へ―」について

「万葉集の一節を主題とする変奏曲」再演を聴いて

「フォルマント兄弟の”お化け屋敷”」について

ギヤ・カンチェリ 「儀礼=祈り」としての「うた」について

「愛の賛歌 4ビット・ガムラン」東日本初演を聴いて

自己組織化システムとしてのマーラーの交響曲についてのメモ

「三輪眞弘音楽藝術」の題名についてのメモ

NEO都々逸シリーズ「せんだいドドンパ節」初演の感想

「Musica ex Machina ―機械じかけの音楽 記念コンサート 自動ピアノ演奏会」を聴いて

「59049年カウンター」世界初演を聴いて

「中部電力芸術宣言」を読んで

「科学技術終結期」に旧人によって書かれたメモ

「蝉の法」を4種類のアングルハープで聴き比べる