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「中部電力芸術宣言」を読んで

中部電力芸術宣言
終結版(2009/8/25)
2011/3/13 Webページにて公開

2011年3月11日の地震の日、私は自宅に帰らずに都心にある勤務先のオフィスに留まり、翌3/12の朝、復旧した電車に乗って帰宅した。 3月14日、今度は万全の備えを公言していた原子力発電所の「想定外」であるらしい事故を理由に「計画停電」を自称する突然の 電力供給制限のために運行休止を余儀なくされた鉄道の運休により勤務先に赴くことが不可能となった。鉄道事業者の夜を徹しての 対応により翌日から状況は改善されたが、この恐らくは実施主体にとっては計画的なのであろうと想像するよりほかない(だが、停電の 実施範囲すら自ら正確に把握できていなかった点をはじめ、それすら疑わしい兆候には事欠かなかったのだが)状況は、生活の 様々な面での混乱を拡大し、また地理的な影響範囲を震災自体の被災地から遥かに広範囲に拡大し、また影響の及ぶ期間を長期化させた。

震災から1ヶ月が経過し、電力供給制限はとりあえず当座は回避されることになり、さっぱり好転の兆しがない原子力発電所の災害の影響地域を 除けば、被災地も含め生産や物流網は少しずつではあるが着実に復旧しつつある。勿論、一旦損なわれた生活は恐らくは完全に元に戻りは しないだろうし、この状態に明確な終りなどなく、最初は異常と感じられた様々な事象にも何時しか馴化してしまい、日常の風景に溶け込んで しまうこともあろう。そうした中で、数ヶ月先の夏にはまた電力の供給不足になるという想定の下(もっとも、これに対しても楽観・悲観双方向の懐疑が 正当にも存在するのだが)、そのための備えをしつつ、一時麻痺した日常を取り戻す試みを続けているのが現状だろう。私は仕事柄、 スケジューリング、プランニング、シミュレーションといったことに関わっていることもあり、この1ヶ月の間、寄与そのものは間接的ではあるけれど復旧に 取り組む方々のお手伝いをしてきたし、今後もそれは続くことになると考えている。

そうした中、Webページの更新も別段自粛していたのではなく、より優先度の高い作業に阻まれ、そのための時間が全く取れずに 断念してきたのだが、ようやく多少の時間のゆとりが出てきて、こちらはこちらで積みあがった作業の中で特に気になっていたものの一つが、 三輪さんが3月13日に公開した「中部電力芸術宣言」であった。

この1ヶ月はいわゆる「芸術」に関しても様々な影響が出ていて、私自身がコミットしている範囲に限っても、能楽師香川靖嗣さんの 主宰公演は幸いにも実施され、素晴らしい上演となったのは既に別のところで報告しているが、その一方で公演を予定していた会場である ミューザ川崎が地震の影響で利用不可能になったためにジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの第9交響曲の演奏会は1年延期になったし、 三輪さんの作品の演奏に限っても、例えば栃木県立美術館で行われる予定だった室内楽の演奏会がやはり会場の被災のために中止になった。 実施されたものについても実施可否の判断にあたっての常ならぬ心理的な葛藤から、開催のための関係者間の調整など大きなご苦労が 伴ったことと推測されるが、中止や延期の決断もまた苦難の裡で為されたに違いなく、衷心からお気の毒と思わずにいられない。

その一方で、いわゆる「メディア・アート」、ここで主題とする三輪さんの宣言の中でまさに「装置を伴う/による表現」と的確に定義されている 「電気文明」から生まれる様々な視聴覚及び演算装置による創作にとって、今回の事態が持つ重みは測り知れないものがあると感じたのは、 震災の翌日、電力供給の不足が話題になり始めたタイミングであったと記憶している。私自身の仕事での活動成果が最終的に何らかの 価値を生み出すためにはコンピュータが動かなくてはならず、インフラストラクチャーとしての電力供給に依存していることを否でも自覚せざるを 得ないのと控えめに言っても同じ水準で、「メディア・アート」もまたそのリアリゼーションの前提として電力の供給は不可欠であろうし、更に言えば 殊更「メディア・アート」を名乗るのであれば、コンセプチュアルな水準、定義そのものが電力に依存しているとさえ言えるだろう。震災前に 見たICCでの展示会を思い起こしても、電力供給が止まったらそもそも作品が成立せず、展示は不可能になるに違いない。

そうした中で、電力供給が問題としてクローズアップされるタイミングで直ちに三輪さんが「中部電力芸術宣言」が公開されたことにまず 私は感銘を受けた。更にそれがタイムリーに(意地悪い言い方をすればジャーナリスティックに)書き上げられたものでは決してなく、 既に1年半も前に作成されていたことを認識して、思わず脱帽せざるを得ないと感じた。中部電力と東京電力の間にある周波数の違い、 (三輪さんは中部電力の供給区域内なので)浜岡原子力発電所への言及などを取り立てて、その予言的とさえ言える先見の明を 賞揚してもいいのだが、寧ろ、多くの場合に普段は無意識にその中に埋め込まれ、こうした「限界状況」になって初めて自覚される 自分の活動の地平、「フレーム」に対して常に/既に自覚的であるその態度(ここでは現象学的な意味合いでこの語を用いる)にこそ 真の価値を認め、支持すべきであると私は考える。

そのことは同時に、「メディア・アート」を捨象した「現代音楽」が実際には端的に不可能であることへの認識でもある。逆シミュレーション音楽や 新調性主義のように、作品のリアリゼーションの場面のみに限定すれば電力なしの「人力」で可能な作品もあると言えるかも知れない。 だがそれらのコンセプトには「電気仕掛け」が逆さに映りこんでいるのだし、マーチン・リッチズの一見手作り風な「思考機械」が 展示の際には電気仕掛けで動いていたように、永遠を志向する「布教放送」は電気仕掛けで神の旋律を発信し続けるのであり、 しかもそのことに対して三輪さんは常に/既に意識的であり続けてきた。

水力によって動くことが企図された「またりさま人形」(ただしこれは 実際には安定して動作させることは困難であった)もあり、「機械仕掛け」の中で電力を特権視することに疑念を抱く向きもあるかも知れない。 だが、電力のヘゲモニーのほとんど絶対的とさえ形容できる強大さを認識しなくてはなるまい。原子力発電所の被災は冷却用の非常用 電源の喪失にあったことが物語るように、あるいは多くの工場が電力不足によって生産を止めざるをえず、停電でATMが動かなければ貨幣を 流通させることができず、あるいは家庭やオフィスへの給水ができなくなり、トイレが使えなくなること、電車が動かなければ通勤・通学ができず、 電気機関車が動かなければガソリンの供給が危機に瀕するといった事態が告げるように、原理的なレベルはともかく、現実的には電気無しで 現在の生活を維持することは不可能であることを認識すべきだし、電力供給がなければ「人力」で楽器を演奏するコンサートであれ、 コンサートホールが機能しないという理由で中止せざるを得ないのだ。

そればかりではない。三輪さんが近年問題にしている「録楽」は更に直接的に電気に依存しているし、そこでの「幽霊」もまた然りであって、 今日では「お化け屋敷」ですら電気仕掛けなのである。逆にあえて「手作り」を主張することは、そうした主張を可能にする生活自体が 電気なしでは済まないという事実を都合良く忘却し、隠蔽する危険を孕んでいる。否、たとえ自分は電気のない生活を営み、電気を 用いた通信手段すら拒絶して、そこで「芸術」を実践しえたとして、それは孤立した自己充足的な営みに終始しないと言いうるだろうか。 ほんの1世紀半前には可能であったばかりか、それが当たり前であったものは、だが今日の日本では端的にほぼ不可能になっていると 言うべきだろう。

だが一見そこから脱出不可能にさえ見える「電気文明」は決して自明でもなければ、必然でもない。それは自分では抵抗できない 力によって途絶することがありえるのだということを今回の震災は告げている。「メディア・アート」がある日突然、消滅するという仮定は 何もSFの世界の話ではなく、いとも簡単に現実に起きうるのである。だが私見では「メディア・アート」が消滅しても、「録楽」が消滅しても、 三輪さんの言う「音楽」は残るのだ。そしてそれでもなお、そのことを口実に人力を賞揚し、あるいは己れと己れの作品とを、宣言中の 文言を借りれば、「資源」という名の下に自然環境に対して行う地球規模の略奪行為に対して無辜であるかのごとき囲い込みを 試みるのではなく、「そうではなく、人類が死者を手厚く埋葬するようになった太古から地球上の様々な文化に受け継がれてきた宗教、 芸術のまったく新しいあり方を、我々の手によってこの電気文明のただ中で模索し、創造活動を通して実践していくことを目指す」 姿勢を私は強く支持したい。

例えば「電気文明」を拒絶して見せ、人力による芸術を賞揚して見せることはポーズとしては容易だろう。あるいはまたメディア・アートの 自己批判よろしく、例えば「風力発電芸術」なるものを唱道し、芸術によるCO2削減を叫び、化石燃料や原子力によって得られた 電気を用いるメディア・アートを汚染されているとして忌避し、被曝しているとして差別し、己の環境を破壊するとして断罪するといった パフォーマンスだって可能だろう。あるいはまた、「中部電力芸術家宣言」を、被災し、放射能の影響を受けた地域からの分離を 図る試みとして曲解する人だっているかも知れない。だがそうした立場は、宣言に明確に述べられた「電気エネルギーがすでに我々の 社会の、思考の、そして身体の一部である」という認識とは相容れないだろう。そして私は、私自身は「芸術家」ではないけれど、 そして居住している地域は異なるけれど、それでもなお、同じ地平を共有するものとして、三輪さんと立場を同じくすることをここで 確認せずにはいられない。

その一方で、宣言の基本的な立場に同意しつつ、だがそれは自明のことであってそこから「芸術のまったく新しいあり方」など出て来はしない といった批判もまた、想定される。もともとが「メディア・アート」というのは自分の拠って立つ基盤に対して優れて批判的な性格を備えた 営みであることは、まさにその名前自体が告げているだろう、というわけである。あるいはまた、そうした批判はコンセプト倒れに終り、 実現される作品の貧困と衰弱をもたらすばかりであり、寧ろ自分の環境に対して無意識に埋め込まれ、無自覚な営みの方が メディアの持つ可能性を大胆に突き詰めることが可能であり、「新しさ」はそうした無責任さ、アモラリティにすら近づくアナーキーな想像力を 代償としなくては得られないのだという主張もまた、あるだろう。

けれども、そうした主張は、それら自体が妥当であるとしても、それをもって「中部電力芸術宣言」を無効にする類のものではない。 寧ろ三輪さんのこれまでの活動と宣言の内容が、更にはこうした時節にこうした宣言を公表するという挙措が一貫していること、そして 提唱されるコンセプト、実現される作品双方のポテンシャルが、その一貫性を淵源としていることは確かなことであり、その活動が持つ力が そうした怜悧な批判を乗り越えてしまっていると私には感じられる。津波の破壊力は多くの芸術家の想像力を遥かに凌駕しているし、 停電で動かなくなったメディア・アートは博物館に陳列される最早用途も判然としない考古学的遺物になる他ないだろう。だが、復元楽器を 素材に、奏法のみならず音楽が埋め込まれる状況自体を「夢」として仮構してしまい、強固な西欧音楽の伝統が可能にする身体的な 技能の記憶にそうした伝統と独立のシステムを接木して、そこで生じるまさに未知の(亜)臨界現象の持つ豊饒さを作品として定着させて いく三輪さんの活動は、このような極限状況に抗するだけの力を備えていると私には感じられる。新しさは論理的な帰結でも、 コンセプトによって用意されたものでもなく、個別に状況に亘りあう中で獲得されるものなのだ、ということを三輪さんのこれまでの活動が 雄弁に物語っていると私には思えるのだ。

最後に、震災の前に私が最後にWebページを更新したときの問題領域に立ち戻ることにしたい。私が最後に書いた文章は、まさに メディア・アートの展示会の訪問記録であり、そこで感じた違和感をありのままに記したものであった。とりわけフォルマント兄弟に よる「お化け屋敷」が話題の中心で、そこではメディアが生み出す「幽霊」が問題となっていた。「中部電力芸術宣言」は直接それとは 接続しないように見えるが、メディアを成立させる地平が、それが損なわれた結果、顕わになったこと、これまでのような一時的な、 あるいは個別的なハードウェアの障害やソフトウェアの不具合、あるいは誤操作によって惹き起こされるものとは質的に異なった、 メディアが立つ基盤のより根源的で制御不可能なレベルにおける脆弱さが認識されたことで、「幽霊」の「幽霊性」が一層先鋭なかたちで 浮かびあがってきたように私には感じられる。更に問いを進めるならば、今この時点において「幽霊」はどうなっているだろう。 聖骸布と写真とを結びつけるのではなく、心霊写真を持ち出すのではなく、「幽霊」について語ることはできないだろうか。幽霊を怪談に 回収するプロセスを「お化け屋敷」によってなぞってしまうことで「幽霊性」の括弧入れを(意図せずしてか、確信犯的にか)強化するのではなく、 それ自体は不変であるが、メディアの多様性に応じて隠蔽のされ方もまた様々であるが故に、その都度問い直さなければならない、手前に あるはずの「それ」との関わりのありようの現象そのものである「幽霊」を考えることはできないのだろうか。「中部電力芸術宣言」はまさに その可能性を問うているように私には思われてならない。そして再度、その宣言に、芸術家としてではないけれど、呼応し連帯する意志を、 このようにして、ささやかではあるけれど表明せずにはいられない。即応しなかったことが、懐疑や逡巡のためではなく、別の仕方で、 私なりの行動をもって、間接的で、しかも不完全なかたちではあるが、宣言に対して無言の裡に自分が応えてきたと言いうるだろうと いう確認と、この後も引き続きそうしていくつもりであるという意志表明とを添えて。

(2011.4.24初稿, 2024.6.29 noteにて公開)

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