日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ (26(了)・文献リスト)
26.
もう一度冒頭の問いに戻ろう。文体を放棄し、自己を放棄したアリサが古典的と形容される精緻な文体によって描き出されるのは、矛盾ではないのか?
アリサの或る種の自己破壊衝動には注目せずにはいられない。それは書き手のジッド自身の衝動とは相反するものである筈だから。例えば以下のアリサの日記の一部に 記された衝動が、押しとどめられることなく、そのまま実行されたなら、そもそも「アリサの日記」はなかったことになる。だが、「アリサの日記」が無ければジェロームは この文章を書いただろうか、という問いを立てることもできよう。私見では否、だろうと思う。実際にはジェロームは、この「アリサの日記」を読んで、その上でこの文章を 書いていると見做されるべきだ。たかが虚構の中の話に対してかくも拘るのは滑稽だろうか?だが、ジェロームの物語を書く衝動、アリサの日記を書く衝動は ジッド自身のものであった。その中で、まるで特異点のように書くことの否定が巣食っているのを見逃すことはできない。
あるいは、書棚を整理し、自らを貧しくすることを想像するだけではなく、実践すること。注意すべきは、このような登場人物はジッドの他の作品には出現しないということだ。 アンドレ・ワルテルでは寧ろ書くことに対する欲望そのものが問題だったし、その手記は、読書に基づく膨大な引用の集積と饒舌が支配していた。のみならず詩作さえ 為されたのだ。「田園交響楽」の牧師も、途中で変質したとはいえ、語りの欲望をもって手記を綴った点では同じだ。だが、ジェロームはともかく、アリサ自身は沈黙へと 近づいていく。
おしまいには、書かれたが破棄され、出されることのなかった手紙、、、
そして聖書のみを持って、住所を捨て、名を捨てて死ぬ準備をするアリサは、日記を破り、火中に投じようとする。だが彼女は読み返して後、それを思いとどまる。 日記は彼女のものではない、というのだ。結果的に日記は遺され、ジェロームが読み、ジェロームの綴る物語の中に埋め込まれて、永続化する。 この結論は、とりようによっては辻褄合わせとも考えられるが、仮にそうであったとしても、この作品の持つ、他の作品にはない特異な力の源泉を 指し示している。そして、ここに至って、アリサに欠けていたものについての議論は、その結論に対する反論を、日記を遺す、それが自分のものではなく、他者のものである、罪の意識に由来する自己破壊の衝動の裡に没落する己れの「代理」であるそれが寧ろ自分自身よりも自分が愛した相手に相応しいとでも言うかのように、自分が遺せなかった「子供」、自分のものでありながら、自分だけのものではなく、寧ろ優れて相手のもの、相手のものであることにこそ価値の源泉があるものとして、日記を遺すというアリサの行為の中に読み取って、己の浅慮を愧じることになる。日記を通じて、アリサはジェロームと対話したのではないか?それは書いたその時点では、事実として一方的なものだったと、冷静に言うべきであろう。だが、ジェロームの手に渡った日記は、彼に書く衝動をもたらし、その内容に、決定的に遅れながらも応答するジェロームの行為によって、その回想の中に埋め込まれて生き延びる。出された手紙ではなく、出されなかった手紙の方が、まるで投壜通信のように、差出人の死亡後に、誤配のようなかたちで転送された結果、遅配されることになった手紙は、生死が分かつその絶対的な遅延と無限の距離の中で、ようやく本来の名宛人であるジェロームに本当の意味で届いたということはできないだろうか。かくして彼女に欠けていたかもしれないものは、彼女が最後に自分の衝動に忠実であることによって補われたと言ってはいけないだろうか?あまつさえその衝動は、賢しらな知性に勝って、正しい認識に過たず到達する。ジェロームもまた、決定的に遅れて応答することで、応答を記録し、他者に対して公表することで、それは最早アリサその人には決して届かなくても、自分がそれを確かに受け取ったことを証明する投壜通信を行う。そしてその中には、差出人自身の言葉がそのままクリプトのように埋め込まれている。そうすることによって、衝動が、己の起源を指し示すことを企んだかのように。まるで自分が何かを語ることよりも、そうすることで自分が歓待する相手を指し示すことが目的であるかのように。そしてそうすること自体が行為としての歓待であるかのように。かくして対話がようやく成立する。ジッドの後付の説明や、研究者の解説などからは遠く隔たって、この作品は、そうした運動の記録であることに特異性があるのではないか。ジッドの作品において唯一度きり、恐らくは彼の意に反して、対話の可能性(ただしこれは一般には失敗した対話、成立しなかった対話の物語として読まれることになるのだろうが)を指し示している点で、この作品は特異点を為している。尚もこれを、お互いわかった時には最早手遅れだったという愚かさの記録であり、こうなってはいけないという批判なのであるという読解を、作者に誘導されてするのは、ジッドその人とともに、ここでいうところの対話の成立する条件を全く見誤っているのだ。それは彼が、そしてユマニスト達が決して気付かないような仕方でしか可能ではないのだ。もし彼らが、応答をすることができたジェロームをなお「廃人」と呼ぶのであれば、寧ろ「廃人」であることの中にしか、ここでの応答の可能性はないのだ、と言うべきだろう。
ここでコントが晩年没頭した「人類教」の聖女こと、クロティルド・ド・ヴォーの言葉が引用されるのは示唆的だ。そのクロティルド・ド・ヴォ―亡き後、彼女の遺髪に対する祈りを続けたコントは「生者はつねに、そしてますます、死者によって支配される」、あるいは「死者は私たちにおいて、私たちによって、愛し、さらには考えるのをやめない」と言いはしなかっただろうか。ジェロームにとってのアリサの日記は、コントにとってのクロティルドの遺髪なのではないか。「狭き門」という物語は、 聖女アリサを回想し、追憶する、ジェロームの「喪の作業」そのものであり、書かれた作品はクリプトなのだ。そしてここには、コントの「永遠の喪」への接近すら認められるだろう。キリスト教の批判というなら、寧ろそちらの方向への可能性がここに開かれていたのではなかったのか。ここでは霊魂の不滅の否定が、逆説的な仕方で死者との共生に繋がっていくのである。そればかりか、喪が明けることがない、というのは、フロイト的な理解では病的な状態の固定化ということになるのだろうが、見方を変えれば、そうした心的機制への理解に潜む「正常」な状態についての前了解に対する批判の契機すら見出すことができるだろう。そういう意味では、研究者、翻訳者の誰一人として、コントへの言及すらないのは公正さを欠くと感じられる。だが、それがまさに若林等のいう「廃人」というレッテルづけに潜むイデオロギーに対する批判であるとすれば、そうした無視は寧ろ当然なのかも知れない。とはいえそうしたイデオロギーが、今日的な問題としては、例えば鬱病におけるモノアミン仮説の中でもセロトニン欠乏原因説のような根拠のない単純化に基づくSSRIのような薬物の過剰投与への行き過ぎた誘導と共犯関係にある人間の心理の不当な単純化を強化することに加担しかねないとするならば(そして既に記した若林の「一粒の麦もし死なずば」の「独創的」という外ない解釈―勿論、私は憤りつつ、最大限の皮肉を込めて、そのように形容しているのだ―を思い浮かべれば、その可能性は極めて高いと判断せざるを得ないが)、ジッド本人の後付の理屈や、それを鵜呑みにした「解説」の類に抗した読み方こそ、この作品のポテンシャルを受け止めるために必要とされているのではなかろうか。他のジッドの物語との数多の類似性にも関わらず、こうした契機を孕んでいるという点で、「狭き門」は例外であるといわなくてはならない。 繰り返しになるが、例えばしばしば言われる「背徳者」との相補性は、それがジッド自身が意図したものであったとしても、 作品自体について見る限り、皮相なものに過ぎない。向きが逆なだけだというような批評は、他人の書いたものを消費することに慣れきった 思考の盲目性の産物であり、書物の生成というレベルを含めた全体の力学を見誤っているのだ。ジッドはこの作品を書かなくてはならなかったのだし、 この作品を書いた後は、もう同じ主題の作品を書く必要はなかった。「アンドレ・ワルテルの手記」の失敗は、「狭き門」によって贖われた。 この作品は文字通り、行き止まりであり、その前で待つか、引き返すしかない文字通りの門、まさに、それを通り抜けることができない程の狭き門なのだ。ジッドが選んだのはそこから引き返すことであり、その後の彷徨は最早どこにも辿り着くことは なかった。そして21世紀の今日、「狭き門」という作品の射程は、三輪眞弘のモノローグオペラ「新しい時代」の主人公の少年によって引き継がれているのだ。
原文および翻訳テキスト
André Gide, La porte étroite, Mercure de France, 1909
André Gide, La porte étroite, collection Folio, Mercure de France, 1959
André Gide, La porte étroite, dans "Romans, Récits et Soties, Oeuvres lyriques" pp.493-598, Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard,1958
『狭き門』(新潮社世界文学全集第26巻・山内義雄訳、1960年8月初版)
『狭き門』(新潮文庫・山内義雄訳、1970年改版)
『狭き門』(新潮文庫・山内義雄訳、1987年改版)
『狭き門』(新潮世界文学第28巻、山内義雄訳、1970年8月初版)
『狭き門』(岩波文庫・川口篤訳、1937年12月初版)
『狭き門』(岩波文庫・川口篤訳、1967年11月改訳版)
『狭き門』(講談社文庫・中村真一郎訳、1971年7月初版)
『狭き門』(講談社世界文学ライブラリー22・中村真一郎訳、1972年初版)
『狭き門』(角川文庫・淀野隆三訳、1954年6月初版)
『狭き門』(社会思想社、現代教養文庫・白井健三郎訳、1965年初版)
『狭き門』(旺文社文庫・村上菊一郎訳、1970年1月初版)
『狭き門』(河出版世界文学全集第33巻・新庄嘉章訳、1962年6月初版)
『狭き門』(河出書房カラー版世界文学全集第25巻、新庄嘉章訳、1967年11月初版)
『狭き門』(集英社世界文学全集 ベラージュ第62巻・小佐井伸二訳、1978年初版)
『狭き門』(筑摩書房世界文学全集第47巻・須藤哲生・松崎芳隆訳、1970年初版)
『狭き門』(中央公論社世界の文学第33巻・菅野昭正訳、1966年初版)
『狭き門』(学習研究社世界文学全集第18巻、若林真訳、1978年初版)
André Gide, Strait is the gate, translated by Dorothy Bussy, 1931
文献
Jean Schlumberger, « Madeleine et André Gide », Gallimard, 1956
Claude-Alain Chevallier, « La porte étroite », Nathan, 1993
Jean Maillon et Henri Baudin, Édition commentée et annotée de La porte étroite, Bordas, 1972
Zvi H..Lévy, « Jérome agonistes : Les structures dramatiques et les procédures narratives de la porte étroite », Librairie A.-G. Nizet, 1984
Enrico Umberto Bertalot, « André Gide et l'attente de Dieu », Lettres modernes minard, 1967
Elaine Davis Cancalon, « Techniques et personages dans les récits d'André Gide », Archives des lettres modernes, 1970
Pierre Trahard, « La porte étroite d'André Gide, étude et analyse », Éditions de la penseé moderne, 1968
Critique de Francis Jammes, « La porte étroite », dans L'Occident n° 92, juillet 1909
Critique de Henri Ghéon, « La porte étroite et sa fortune », dans Vers et Prose, avril-juin 1910
Critique de Marcel Ballot, dans Le Figaro, 29 novembre 1909
Peter Fawcett, « Le portrait de cette âme de femme", Alissa dans La porte étroite », dans Lectures d'André Gide. Hommage à Claude Martin. Presses Universitaires de Lyon, 1994, pp. 95-108.
Walter Benjamin, Andre Gide: La porte etroite, in Gesammelte Schriften II/1, Herausgegeben von Rolf Tiedemann und Hermann Schweppenhäuser, Zweiter Teil : Ästhetische Fragmente, Suhrkamp, pp.615--617
ヴァルター・ベンヤミン, 「アンドレ・ジッド『狭き門』, 西村龍一訳, in ベンヤミン・コレクション2, pp.91--96, ちくま学芸文庫, 1996
山本和道, 「ジッドとサン=テグジュペリの文学 聖書との関わりを探りつつ」, 学術出版会, 2010, 特にpp.61-84, 第3章「『狭き門』管見」
打田素之, 「アンドレ・ジッドの四つのレシの構成について」, Gallia. 24号, pp.41-49 , 1984, 大阪大学
小坂美樹, 『『狭き門』のアリサの日記 : マドレーヌの日記から移された箇所について』, Gallia. 46号, pp.17-24, 2007.03.03, 大阪大学
陶山タケシ, 「アンドレ・ジッドの方法(IV)-生命の美学-」、城西人文研究第11号、pp.200(20) - 188(35), 城西大学
吉井亮雄, 「『狭き門』初出テクストの校正刷」、Stella:etudes de langue et litterature francaises 22、pp.139-148, 2003.12.26, 九州大学
吉井亮雄, 「『狭き門』校訂版作成のための覚え書き」、Stella:etudes de langue et litterature francaises 23、pp.115-139, 2004.12.24, 九州大学
加藤宏幸, 「アンドレ・ジッドの『狭き門』と『背徳者』について-聖性と悪魔性-」
園田尚弘, 「ヴァルター・ベンヤミンとクラウス・マンのジッド像」、長崎大学教養部紀要、人文科学篇.1982, 23(2)、pp.121 - 137, 1983.1., 長崎大学
伊達聖伸, 「死者をいかに生かし続けるか―オーギュスト・コントにおける死者崇拝の構造」」, 死生学研究第10号, pp.119-142, 2008.9.30, 東京大学大学院人文社会系研究科グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」
ブレーズ・パスカル, 「パンセ」, 前田陽一・由木康訳, 中公文庫, 1973
トマス・ア・ケンピス, 「キリストにならいて」, 大沢卓・呉茂一訳, 岩波文庫, 1960
ダンテ・アギリエーリ, 「新生」, 平川祐弘訳, 河出書房新社, 2012
ロベルト・ヴァルザー, 「ブレンターノ」, in 『ヴァルザーの詩と小品』, 飯吉光夫編訳, みすず書房, 2003
Jacques Derrida, "Feu la cendre", des femmes, 1987
デリダ, 「火ここになき灰」, 梅木達郎訳, 松籟社, 2003
デリダ, 「真理の配達人」, 清水正・豊崎光一訳, in 『デリダ読本 手紙・家族・署名』, 青土社, 1982
デリダ, 「Fors」, 若森栄樹・豊崎光一訳, in 『デリダ読本 手紙・家族・署名』, 青土社, 1982