「架空の島の唄」としてのチェコの音楽について―中沢新一『音楽のつつましい願い』を巡っての書簡より―
三輪さんとマーラー以外の作曲家についての小文をアーカイブしているブログについて、いよいよ「決着をつけよう」と思ったとき、まず念頭に浮かんだものの一つがチェコの音楽でした。ここでチェコの音楽について三輪眞弘さんの「架空の島」に関連したかたちで少し記しておこうと思います。というのも、今にして思えば、子供の頃から親しんできたけれども、訪れたことのない異郷のチェコの音楽は、寧ろ一つの「架空の島」の音楽であると言うのが適切だろうと思われるからです。
三輪眞弘さんの「369」シリーズの作品群と関わりがあり、その「由来」に相当するテキストを提供している中沢新一さんに『音楽のつつましい願い』という本があります。私は中沢さんの本は基本的に読まないのですが、例外的にこの本は気になって手元にあります。「つつましい願い」とはずれますし、やり方は全く違いますが(中沢さんは程度の差はあれ「物語」化しているけれど、私にはそれはできない、唯一つの物語で自分にとって大切な音楽を書いた人間について語り尽くせるという発想自体、自分のアプローチにはそぐわない)、ある意味では私のブログは、中沢さんが『音楽のつつましい願い』で企図したことに近いことを自分なりの仕方でやろうとしているように感じるからです。中沢さんが三輪さんに369という「物語」を提供したのと並行するように、ここで12人についての物語を編み出したのと構造的に対応するように、私は三輪さんに応答するように、それぞれの作曲家に対して応答を試みているのだと思います。
「つつましさ」というのも魅力に富んだ切り口ですが、中沢さんの選択した12人は私の選択とはずれていて、私がもしかしたら取り上げるかも知れないと言えるレベルですら、唯一ヤナーチェクがいるだけだし、中沢さんの「つつましさ」というのは或る種のマイノリティ、つまり音楽史においては傍流、みたいなものはあるのだろうけど、12人を並べて考えると、私は途方に暮れてしまいます。なので事実関係についてもほとんど評価はできないですが、物語の本体ですらない重箱の隅とはいえ、たとえばヤナーチェクの紹介で、ブルノをモラヴィアの「首都」と呼ぶのには違和感がある(モラヴィア最大の都市で、まあ中心都市とは言えるけど、政治的・行政的に「首都」であったことはない)し、ハチャトゥリアンの紹介でその出身を「アルメニア共和国のティフリス」としているのには(それが勘違いだとしてもなお、こういう勘違いを、わざわざ選んだ対象に関してするのは私には考えられないので)驚かされます。(いうまでもなく、ティフリスはトビリシのこと(確か古名)なのでグルジアの首都で、アルメニアに属したことはないはずです。)そんな細かいことを、と言われるのでしょうが、「つつましさ」が問題になるとき、アルメニア人であるハチャトゥリアンがアルメニアではなく、グルジアの「首都」生まれのアルメニア人であるという事実、ブルノが「首都」になったことがないという事実は決して無関係とはいえないと私には感じられます。
マーラーがオーストリア=ハンガリー帝国という「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」の後継国家の「辺境」、モラヴィアとの境に近い、ボヘミヤのカリシュト(今のカリシチェ)の生まれで、その近くのドイツ語の言語島として知られるイグラウ(今のイフラヴァ)で育ったドイツ語を話す同化ユダヤ人であるということが三重の意味で故郷を持たない異邦人であるという彼の自己認識に深く関わっているのを目の当たりにしていて、おそらくある程度チェコ語を解し、ボヘミヤやモラヴィアの民謡を聞いて育った彼の「無国籍」的な音楽は、でも何が基盤かと言えばボヘミアとかモラヴィアの音楽であるのは聞けば明らかであるというのが一方にあって、それが、彼が出身を聞かれたときには「ボヘミア」であると答えたという事実にも見合っているように思えることもあるし、『音楽のつつましい願い』が、フェリックス・ガタリに捧げられているのを見れば、嫌でも彼とドゥルーズの『カフカ』論のサブタイトルでもある「マイナー文学」という規定が連想され、単純に音楽に敷衍して「マイナー音楽」とすることの当否に議論はあったとしても、「つつましさ」とどこかで接点を持っているし、ことマーラーに関して言えば、「つつましさ」の方は措いてもカフカとの並行性は明らかだし、もしそうならツェランとの間にもそうした並行性は見られる(ツェランは現在のウクライナの西部、北ブコビナのチェルニウツィー生まれのドイツ系ユダヤ人)ので、ヤナーチェクの場合は(明らかな誤認はないので)措いても、ハチャトゥリアンについては気になってしまいます。
中沢さんの本の話が長くなりましたが、要するに自分がこれまで訪れ、それについて「応答」をしておきたいと感じた「架空の島(の住人)」で、これまで触れてこなかった対象について棚卸をして、その名前を挙げてリストを確定させたいと思ったということです。もちろん、私が何か言わなくても別に価値は揺るがないし、誰も困らないかも知れませんので、何のためにやるかといえば、自分が見た風景を、その布置を含めて記録しておきたい、同じことについて同じことを言っても、その隣に何があるかで展望が変わり、価値が変わるので、一部を書き付けた以上、欠損を埋めてしまいたいという感覚でやっています。ただし、周縁部分は0/1が明確に決定できるわけではなく、あれを書いたらバランス上これも、という感じで書き足していく感じになっています。
上で、中沢さんの選択と被っているのはヤナーチェクだけと書きましたが、チェコの作曲家なら、個人的にはまず、ノヴァークについて書いておきたくて、後は幾つかの理由で稍々特権的な位置にいるスメタナから始まって、チェコについてはボヘミヤ・モラヴィアの音楽ということでマーラーの音楽を位置づける「地」のようなものとして、寧ろマーラーの側から書いた方がいいような気もしています。この時考えてみたいのは、マーラーの音楽が根無し草の「ありえたかもしれない民謡」だとして、では「国民楽派」として従来括られてきた彼らの音楽を異邦人である私が聴くとき、一体何を聴いていることになるのかということです。チェコ人にとっての『我が祖国』や『ダリボル』『リブシェ』は、日本人にとっての信時の『海道東征』とどこが違うのか?私は『我が祖国』を、音響体として、絶対音楽として聞いているのでは絶対にありません。特にビロード革命後の「プラハの春」音楽祭で、クーベリックが里帰りして、ハヴェルが大統領として「臨席」しての演奏を聴くとき、三輪眞弘さんの「逆シミュレーション音楽」でいう「命名」の相の重みは明白です。そのことを明確に自覚するとは言えないまでも明らかに意識はしていた私は、かつてオーストリア・ハンガリー帝国の支配層の末裔であるアーノンクール(彼はオーストリアの貴族ウンフェアツァークト伯爵家の嫡子であり、母方には、神聖ローマ皇帝レオポルト2世の第13子、皇帝フランツ2世の弟で、フランツ・ヨーゼフ皇帝は大甥ということになるヨハン・バプティスト・フォン・エスターライヒ(ヨハン大公)が居ます)が、従来の古楽のレパートリーを時代を下る方向に拡張していくにつれ、旧オーストリア・ハンガリー帝国領の作品であることがそのレパートリーを性格づけていることを典型的に示す、ウィーン・フィルとの「我が祖国」の録音に接した私は、以下のような感想を記したのでした。
では私が何故、「お国言葉」を話している筈のクーベリックとチェコ・フィルの演奏にではなく、よりによって、かつて被支配層であったチェコ人に対して支配する側を象徴するようなアーノンクールとウィーン・フィルとの演奏からコラールの歌詞が聞き取れるという印象を受けたものか。但し、この点に関連して一言だけ付け加えれば、スメタナはボヘミア北部のリトミシュルの生まれですが、リトミシュル城主でその地方の領主であったヴァルトシュタイン伯のビール醸造者であった父が、仕事の関係からチェコ語を話すことはできてもドイツ語で生活をしていたことから、スメタナ自身の母語は実はドイツ語でした。そもそも当時のボヘミアの公用語はドイツ語でしたし、貴族に仕える職業につく者はドイツ語を話すのが普通だったようなのです。結果としてスメタナにとってチェコ語は後から習得した言語であって、彼がチェコ語を流暢に使いこなすことができるようになったのは、40歳近くになって、スウェーデンから帰国して民族主義的なフラホル合唱協会のコーラスマスターとなって合唱曲を作曲するようになってからのことで、そのために彼はチェコ語の文法書を勉強し、チェコ語で話し、書く努力をした結果なのだそうです。この一事をもってしても、外からの「国民楽派」などというレッテル貼りをすることが如何に皮相な単純化の危険を孕んでいるかを窺い知るに足るのではないでしょうか。
一方中沢さんがヤナーチェクについて、多分同時代的な文脈で無名で孤立していたということで「つつましい」ということなのでしょうが、それ自体としては「疲れを知らない」という、「つつましい」とは稍々異なったベクトルの特徴づけをしているのは、寧ろこちらの方が妥当に感じられます。だけれども例えばそこでのシェーンベルクとの比較は私にとっては全然面白くない。それは多分、一読すると感動的で、冒頭に置いたのも頷ける、コダーイについての「物語」が、コダーイがバルトークともに記録に訪れた民謡の歌い手のスピーチの形になっていて、自分たちでは気づけない価値を教えてくれたと言わせているのを読んで、フィールドに携わる学者の独善を感じてしまうということにどこかで繋がっているように感じます。
宮古島の狩俣の歌謡の記録におけるアブンマのケースでは、いったんは「学問のため」に協力するという決断を下したのではあったけれど、結果は寧ろ破滅的で、その決断を下したアブンマは決断を悔いたかと思えば相次いで物故することとなり、それが神唄を本来存在すべき文脈の外部で、外部の人間に対して公開したことの報いであるとする風説さえまことしやかに流布したようで、結果としてその後は再び外部への公開を拒絶する結果になったことについては、別の公開している論考「「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」」の第4章で言及しています。
もちろんそれはこと中沢さんの著書に対して言えば、とばっちりの類、不当な言いがかりかも知れず、かくいう私自身が安全な場所にいるということはありえない。でも、「つつましさ」という属性の下に収めることの可否は一先ず措くとしても、返す刀で「偉大な音楽」の作者、膨らむエゴの幻想と「創造」へのパラノイア的な熱狂を批判し、それらと対立的だったと断定することには疑問を感じます。ものすごく表面的なレベルでさえ、山田耕筰の「物語」に出てくるスクリャービンは、明らかに批判される側ではなかったか?いややはり「つつましさ」そのものが疑わしいように思います。そもそも山田自身、本当に「つつましさ」で語ることができるのか?私には到底そう思えない。例えば信時が問題で山田が問題ないというのは絶対にあり得ないでしょう。
一方私がヤナーチェクについて何か言うとしたら、その音楽の疲れを知らない若々しさ、瑞々しさについて中沢さんが指摘している点には同意するでしょう。けれどもスメタナがそうであったのと同じくらい、ヤナーチェクについても私の展望は複雑なものです。それはチェコの作曲家を一人だけ、ということになれば選択するであろうノヴァークの音楽にしても同じで、マーラーから意識的に離れた時期にたどり着いたのが、マーラーの生まれ故郷にほど近い南ボヘミアの風景(ノヴァークは南ボヘミアのカメニツェ・ナト・リポウ生まれで、『南ボヘミア組曲』というのがあります)であることに気づいて、やれやれと思ったことをつい先日のことのように思い出します。ボヘミア人ノヴァークは、しかしながらモラヴィア・スロヴァツコ・スロヴァキアの民謡の採集によってヤナーチェクと並び称されているわけですが、モラヴィアのいわばネイティブであるそのヤナーチェクはといえば、ロシアの文化に傾倒した、寧ろ汎スラヴ主義的な傾向の人であり、それは「タラス・ブーリバ」やロシア文学に取材した幾つかのオペラのような作品の創作の経緯からも明らかで、そうした脈絡を切り離してその「音楽」を聴くことができません(勿論、それが明示的に「汎スラブ主義」的であるかどうかを措いてしまえば、直接にはそうした系列に含まれないということになるのであろう「シンフォニエッタ」にしても「街頭にて」にしても同様のことが言えると思いますが)。その一方で、彼にはカミラ・シュテスロヴァーとの交流といったプライヴェートな側面に関わる作品の系列(「消えた男の日記」、「ないしょの手紙」…)もあって、その交差する位置にかの比類なき傑作「グラゴル・ミサ」があるわけですが、そうしたプライヴェートな側面(例えば、同じくチェコの作曲家ということで言えば、4つの作品番号に渉る376曲にも及ぶ膨大な音楽による「日記」であるピアノ曲集「気分・印象と追憶」を書き続けたフィビヒのアネシュカ・シュルゾヴァーとの関係のような例も思い浮かびますが)を「つつましさ」と形容して、或る固有のニュアンスを持つ質に結びつけてしまえるものなのか、私には疑問に感じられます。否、ごく個人的な感覚の次元では、ヤナーチェクの作品はそれが言われるところの「マイナー性」の徴を帯びているということを認めた上で、でもやはり「つつましく」はない、寧ろそのプライヴェートな側面でこそ、途方もなく大胆で、自由で向こう見ずでさえあるように感じられて、私は彼の或る種の「臆面もなさ」にたじろいでしまう程なのです…
…本当は「架空の島」と言うとき、それがチェコとかフィンランドとかグルジアのような民族なり国家なりの文化的場なのか、もっと個人的なものなのか、という点に辿り着きたかったのですが、結局時間切れのようです。なんでそんなことが問題になるのかと言えば、マーラーの場合、故郷とか風土的なものは徹底的に疎外されて「ありえたかも知れない」ものであることがはっきりしているので、寧ろ当惑することがないし、三輪さんの場合にも、マーラーの場合とは理由は違うけれど、それが柴田南雄さん的には(あるいは民謡採集者、民俗学者、人類学者にとっては)日本民謡の「音楽の骸骨」であっても、常に・既に実在のそれではない「ありえたかも知れない」日本だし、それをMIDIアコーディオンの誰でもない声が「歌う」という前提があるから「海ゆかば」を聴くことが可能になるので、やはり当惑はないのですが、そうでない場合に向き合ったときに、それが自分が子供の頃から慣れ親しんだ音楽にも関わらず、というか寧ろそうであればあるだけ猶更、どう向き合ったらいいのか困ってしまうからなのです。特に私にとってチェコの音楽は、特定の個性に回収しきれないだけに質が悪い。チェコの個別の作曲家については何もしないことになるかも知れません。
それでもチェコの「国民楽派」と呼ばれている作曲家の作品に異邦人の自分が聴きとっているものは何なのかについても、正確に言い当てなくては片手落ちのように感じています。そしてそれに関して、素朴で、もしかしたら下らないかも知れないけれど、否定することができないアイデアが浮かんで来ています。ものすごく乱暴に言えば、「我が祖国」は、それが成就した、あるいは成就しつつあることへの賛美・賞揚ではない、そのようなものとしては受け取っていないのではないか?「我が祖国」は「ブラニーク」で終わりますが、「ブラニーク」は、現実には白山の戦いでフス教徒たちは壊滅してしてしまったという事実から出た黙示録的なビジョンとしての「物語」に過ぎません。それは「…という夢をみた」という構造を備えているのです。それは「古事記」や特に「日本書紀」がそうであるような、支配の正当化の道具として「歴史」ではなく、ついに「歴史」になることができなかった敗北者のバラードであって、だからこそ、私のような異邦人が自分の居場所を見つけることができるように感じるのではないか?
ドヴォルザークの「新世界」と「アメリカ」は、私がシベリウスやマーラーより前から知っていて、同時に最初から、ドイツ音楽の亜流とか、構成よりも旋律重視であるがゆえに親しみやすくはあっても、規範となったドイツ音楽からすれば劣っていて高級でない、通俗的な音楽であるというネガティブなレッテルに侵食された存在で、何となくそうした雰囲気が常に付きまとう存在です。「亜流」という言葉には、そこには独創性とか革新的なものがないこと、規範とか伝統に従属して、そこから逸脱したり、新しい規範を生み出したりする前衛性に欠けるといった含意があって、ヨーロッパの「周縁」の音楽における「後進国」における「国民楽派」は総じて、その定義からして「亜流」であり、さしづめロシアであればチャイコフスキー、チェコならドヴォルザークがそうしたクリシェの典型とされている傾向があるのだと思いますが、ここで試みるべきは、そうした価値を逆転させるのではなく(それは、それこそ「つつましい」音楽の顕揚、インティメイトでロハスであることに価値を置くといったことにつながっていくように思えますが、私の関心はそこにはありません。例えばアドルノではなくジャンケレヴィッチを持ってくればいいというものではないでしょう)、それらとは異なったもの、そしてもちろん国家主義や民族主義とは別の次元で受け止めることのできる何かがあるように思えて、それを正確に、構造的な仕方で把握して言い当てることではないかと思います。そしてそれができたときに、シベリウスに対する新保さんのような聴き方に対するプロテストが根拠あるものになるように感じているのです。そうした展望の下で、中沢さんが取り上げられた「つつましさ」は貴重な手ががり、導きの糸になりうると思えるだけに、その具体的な個別の相について感じた違和感をそのままにしておくことができず、このような文章を草した次第です。
そう、三輪眞弘さんの「村松ギヤ・エンジンによるボレロ」は、「…という夢を見た」というフレーム中では、ギヤック族の民族主義者による音楽、ギヤック国民楽派の音楽ですよね?新保さんのような仕方でなく、スメタナやドヴォルザーク、ヤナーチェクやノヴァーク、更にはハーバといったチェコの音楽をその横に置き直すことができないかということに他なりません。そういえばハーバは、自分の出自であるモラヴィアの民俗の中から微分音の体系化を成し遂げたのでしたが、記譜法の開発から始まって、微分音を演奏可能なピアノ、ハーモニウム、クラリネットといった具体的な楽器の制作、更には大著『和声学』の執筆や微分音学科の創設といった教育活動にまで及ぶその実践は、所謂モダニズム的な実験としての他の微分音システムとは異なって理論先行でもなければ「調性の破壊」といったような理念先行でもなく、西欧音楽の規範的なモデルに対する「ありえたかも知れない」可能性の、実践を伴う提示であったという点でも性質を異にするものと思われます。そして何より、ハーバのライフワークと目される弦楽四重奏曲や四分音オペラ「母」といった作品の演奏記録を聴けば明確に感じ取れることだと思いますが、音の「ゆらぎ」や「うなり」といった側面に対する身体的な感覚を決して喪うことがないという点も含めて、例えば「村松ギヤ・エンジンによるボレロ」の弦楽器パートでの三分音とそのための独自の記譜法、或いは日本の伝統芸能などに聴かれる所謂「こぶし」をMIDIアコーディオンで「唄う」ためのフォルマント兄弟の「和音平均化アルゴリズム」の開発、更には西洋音楽とは全く異なる音律についての発想に由来する微分音程を含む音律システムを持つガムラン楽器のための作品(例えば「鶏たちのための五芒星」やその姉妹作「人形たちのための五芒星」)にどこかで通じているかも知れません…と、ここまで来てやっと出発点に立てた気がしますし、なんでこれらの報告をしたいと思ったかをわかっていただけるようにできるのではという期待が持てるようになった気がします。
(2022.9.16私信として執筆, 2023.2.20, 3.8, 8.30, 2024.5.16, 5.29, 6.7, 10.8,12.15 更新、2024.12.19 noteにて公開)