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「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」再演を聴いて

2016年2月5日 渋谷区文化総合センター大和田伝承ホール
「トーキョー・アンサナブル・ファクトリー vol.6 イタリアと日本の作曲家の真摯な挑戦」

三輪眞弘:「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!-ボリビアの唄に寄せるふたつの物語-」

指揮:阿部加奈子
アンサンブル:Tokyo Ensemnable Factory

三輪さんの「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」の25年ぶりの再演に 立ち会った感想を以下にまとめておく。

いつもの事だが、以下は演奏会に立ち会った私的な記録に過ぎない。 プログラムを構成する他の作品については触れないし、同様に、 聴いた範囲で充実したものであったと感じられた演奏自体についての 記述も割愛させていただくことにする。 (現実には私は、途中の休憩で失礼させて頂いたので、三輪さんの作品と、 その前に演奏された作品しか聴いていない。このコンサートのタイトルが 「イタリアと日本の作曲家の真摯な挑戦」であることを思えば、 この一事をもってしても以下の文章が、このコンサート「について」の 文章ではないことは明らかであろう。)

聊か弁明めくが、そういうことになった背景について簡単に述べれば、 単純に、平日の夜のコンサートに赴くことが、私にとってはますます 困難なものになってきているということに尽きる。 単純に時間的な問題から言っても、朝7時くらいからオフィスにいて 疲れていることは否定できないということに加え、全く異なった 世界に埋め込まれているが故に、聴くための姿勢への切り替えが 難しく、殊に今回は、客先での長時間の打合せからの帰途、1時間近くの 時間をかけて直接会場に向かい、到着は開演の10分前であったこともあって、 切り替えがなかなかできなかったというのが実態なのだ。

打ち合わせの進行によってはそもそも間に合わない可能性もあり、 一度は断念した程であって、折角のチャンスに相応しい聴取ができたかかと 問われれば、全く心もとないという状態での聴取で、客観的に他の、その 作品を始めて聴く作曲者の作品について何か述べたり、これもまた初めて 演奏に接するアンサンブルの出来を云々する資格があるとは到底思えない。

前回、「火の鎌鼬」を聴いた折は休日の昼間のコンサートであったにも関わらず、 体調がすぐれず、やっとの思いでプログラムの最後まで聴いたものの、 コンサートで取り上げられた作品に対してにせよ、演奏に対してにせよ、 その客観的な質に相応しい聴取が恐らくはできなかったことも念頭にあり、 今回は途中で失礼させていただくことにした次第である。

それゆえ、ここでは何よりもまず最初に、私にとっては25年前の作品を 取り上げてプログラムに組み込むこと自体が非常に意義あることであるが故に、まずはその企画に対して、更にはその再演が非常に充実したものであったことに 対して、コンサートの企画・演奏をされた方々に対して敬意を表し、 感謝の気持ちを述べて、以下では専ら「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」 について、このコンサートで感じたこと、コンサートを契機に考えたことを 記すことにしたい。


三輪さんの初期作品の再演自体は近年は徐々にその回数が増えており、 偶々昨年の年初には、三輪さんの作品と、細川さんの作品をテーマとした大井浩明さんのリサイタルにおいて、最新作の初演とともに幾つかのピアノ作品の再演を 聴くことができた。

ピアノ独奏曲の場合には問題にならないが、特に初期作品の中には、 コンピュータ音楽ならではの機種既存性のために、再演にあたり、 プログラムの移植などの問題が発生するものが存在する。

例えば「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」と同じCDのアルバムに 収録されている作品の中では、既に「夢のガラクタ市」が再演されている (こちらも幸運にも、その再演に立ち会うことができた)が、 この作品は奏者とリアルタイムのインタラクションをするコンピュータ プログラムの動作環境であるコンピュータハードウェアの制約のために、 再演時に利用可能な環境でも動作するようにプログラムを移植しなくては ならなかった。移植にあたってエミュレーション環境が利用できたとしても、 リアルタイムで動作するプログラム固有の問題もあるわけで、 その困難さは容易に想像できる。

今回再演された「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」について言えば、 寧ろ近年の作品同様、アルゴリズミック・コンポジションの結果が人間に 演奏可能な形に記譜され、人間により通常のアコースティックな楽器で 演奏される形態の作品なので、「夢のガラクタ市」のような問題はなく、 作品の素材でもあり、構成要素でもあるボリビア民謡の一部が オートリピート再生できる「ラジカセ」さえあれば、後はシューベルトの オクテットと同じ編成の室内楽で演奏可能である。

だがそれでもなお、25年間の時の隔たりは、初演時にはエンドレステープを 用いた「ラジカセ」でのボリビア民謡の再生に関して問題を惹き起こさずにはいない。 しかもそれは決して些末な問題ではなく、この作品にとって極めて本質的な部分に 関わっていると考えられるのである。

比較のために、やはり同じCDに収録されたDithyrambeのような(最早過去の呼称だが、 当時は文字通りそうであった筈でもあり、この呼称を用いることにする) 「テープ音楽」を考えると、こちらはテープに記録された音響それ自体が作品であり、 再演は常に可能であるというより、最初の1回から同じものの反復でしかなく、 いわゆる「演奏」という契機を欠いているといって良い。 勿論、ここでも再生装置や再生される空間の条件を論じることは可能だが、 少なくとも、「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」におけるような 「25年ぶりの再演」というのはそもそも問題になりえないだろう。

「テープ音楽」の持つこの性質は音楽にとって(人間による)「演奏」が 必須の契機であると考える三輪さんにとってはクリティカルであり、 それゆえ三輪さんは、この作品以降、20年近く、いわゆる「テープ音楽」を 作曲しておらず、しかも、20年ぶりの作品には、後述するように、 この点に対する「仕掛け」が施されていたのである。 (とはいえ、Dithyrambeのみが例外であったという訳ではないことは、 それが「上演」された文脈を思い浮かべればわかる。デュオニソス祭の 唄に名称の起源を持つこの作品は、「結婚式」という儀式の場での 「上演」を企図されていたのであり、そのことは、他の「テープ音楽」と 異なって、この作品の場合には本質的な契機であると考えられるからである。)

それに対してこの作品は、エンドレステープに記録されたボリビア民謡の 特定の歌唱の記録の再生を「演奏」にあたっての必須の構成要素としている点で ユニークであるが、と同時に、まさにその点に「伝承」の危うさを秘めている。 すなわち録音された記録自体が喪われたり、或は再生装置がなくなって再生不可能になれば、 通常の楽譜に記譜されたオクテットのパートの記譜法・奏法の継承が続いたとしても この作品の「演奏」は不可能になるというリスクが存在するのである。

実際、今回の再演にあたっては、まず25年前に用いられたエンドレステープの所在と 再生可能性の確認から始まって、テープからCDへの媒体の変換といったプロセスが あったと聞く。今やテープレコーダつきのラジカセはすっかり少数派になったし、 テープの耐用年数は想像以上に短く、テープに録音され、そのままの形で保管された記録は、テープ自体の物理的な劣化に よって早晩再現できなくなる懸念が大きいが、今回の再演を機会にCDに媒体が変わったことで、 この作品の演奏可能性は大きく回復されたと考えることができるだろう。

口承に依存する部分が多い伝統芸能の世界では、一旦上演の伝統が途絶えた作品の復曲には大きな困難を伴い、 事実上同一素材による新作と変わらなくなることもしばしばで、それゆえ、新曲や復曲は、 継承を目的として演目に含める努力がなされていると聞くが、事情は電子メディアを用いた 「現代音楽」においても変わらない。それどころか、人間の記憶は不正確ではあっても 頑健であるのに対し、外部記憶媒体への記録は正確であったとしてもエラーに対して 脆弱であるのに加え、テクノロジーの変化の速度が速いが故に、こちらの方が遥かに 時の流れに対して存続することが困難であるとは言えまいか?


三輪さんの近年の他の作品との比較という観点からすれば、 「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」においてシューベルトのオクテットのような 特定の過去の作品が楽器編成上のモデルとされている点に関しては、例えば369 Harmonia II (こちらはシェーンベルクの「浄夜」がモデルとなっている)といった例が思い浮かぶし、 更には、その後の「新調性主義」において、特定の編成ということではないが、 西欧のいわゆるクラシック音楽の伝統により維持されている高度な演奏技術を、 アルゴリズミック・コンポジションの「演奏」に「利用する」ことが意識的に 企図されていることも思い浮かぶ。「歌えよ!そしてパチャママに祈れ!」は そうした流れの(ここではまだ十分に意識されているわけではないかも知れないが) 先駆と見做すこともできるのではなかろうか。

他方、「ラジカセ」の利用ということでは、プログラムノートに言及されている Lux aeternaもそうだが、それ以上に、上でも触れた「再現芸術における幽霊、 またはラジオとマルチチャンネル・スピーカーシステムのための、新しい時代」 (2007年2月18日東京日仏学院エスパス・イマージュ(CCMC2007))での 利用との比較が興味深い。そこでは再生される音響(もはやテープを媒体に しているわけではないが)に対して逆に「現在」を穿つかのように、スピーカシステムの 前にラジカセが置かれ、ラジオ放送が流されるのだが、再生される音響素材の方は、 街頭での布教活動であったり、「新しい時代」のイニシエーションであったりするわけで、 ラジカセが「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」とエンドレスで呼びかける中を、 オクテットが演奏するという、この作品におけるメディアの布置を倒立させていると 捉えうるからである。

布置は逆転しているとはいえ両作品に共通するのは、ラジカセがある種の時空を超える装置、 そこから今・こことは別の時空が垣間見られる「通路」の如きものとして機能している点であろう。ただし、「再現芸術における幽霊、 またはラジオとマルチチャンネル・スピーカーシステムのための、新しい時代」 では、図と地が反転させられており、音響の幽霊的な再生に満たされたこちら側に埋め込まれた聴き手に対してラジカセは、あちら側にある「今、ここ」への通路となっているのであって、再現芸術がそうした逆転を惹き起こす「魔法の鏡」たることを示唆していると考えられる。 だが実際に再演に接してみて感じたことは、そうした共通性そのものでもないし、ここでは「演奏」が介在する故に、こちらとあちらの関係が正常に保たれているという点そのものでもなく、「ラジカセ」のあちら側というより、寧ろ それを前提とした装置と人間の演奏との相互作用という点において、この作品がある種の マトリクス(母体)というか、アーキタイプの如きものであるという点であった。


再演に立ち会っての印象を端的に言えば、(作曲者自身によって プログラムノートで言及されている装置や手法そのものも勿論だが、それだけではなく、 その結果として聴き手が受け取る)音楽の触感のようなものにおいて、 その音楽が驚く程一貫していると感じられる一方で、そうした一貫性した歩みによって 四半世紀の間に踏破された距離の大きさの印象が最も大きなものであった。

作品の構造の要となる音高分析の詳細や、それのオクテットへの変換処理の 詳細を私は知らないが、それでも、実現された音響を受け止めた限りにおいて、 25年前にコンピュータが「作曲した」ことを思えば驚異的なものと感じられる一方で、 最近の作品において達成されているものを思い浮かべれば(これは意図的にしているというよりは、 どうしてもそうなってしまうだが)、その後の作品の技術的な洗練と卓越、 作品としての完成度の高まりや円熟を感じずにはいられない。

だがその一方で、一見したところ、当時の技術的な可能性の範囲内での、 今日から見れば、ともすれば素朴で、人によってはある種のぎこちなさのようなものさえ 感じかねない試みと見えるものでありながら、そこで獲得された地平は、実際には その後の作品においてすらなお、未だに汲みつくされてはいないのではないか とも思えるのである。

今まで私はこの作品をCDに録音されたかたちでしか聴いてこなかった わけだが、それと比べると(演奏の巧拙とは別の次元で)、ラジカセから 流れてくるオスティナートのような民謡の断片の反復に、如何にその場での 演奏が(そして聴取が)「引き込」まれていくかというプロセスを克明に 体験できた点が私にとっては鮮烈だった。 これまたプログラムノートで、作曲の過程の再現は「意図されているわけではない」と 書かれているが、意図せずとも、そして恐らくは全く同一ではなくても、 音楽はそうした引き込みを引き起こしてしまう。 その後の作品では、その点は勿論もっとソフィスティケートされ、 都度微妙に違ったかたちで扱われているのだが、この作品では その点が非常にストレートに聴き取ることができるように感じられたのである。

例えばトーマス・マンの「魔の山」の結末近くで降霊術と並置される蓄音機が 既にそうであったように、録音された歌はテクノロジーの力によって時空を超える。 録音された時期は定かではないが25年前には既に過去であったボリビアのどこかで 行われた筈の、その祈りの場に私はいた訳ではない。 それは今日のアメリカなどで盛んに行われている「布教放送」のように、 技術的に「今、ここ」を騙し取ろうとする試みではないが、寧ろそれゆえに、 ここではラジカセが、PA装置やアクスモニウムとは異なって、あたかも提示されるものが 「今、ここ」であるかの如き仮想の現実を指向するのではなく、寧ろ、 そこから聞こえてくるものを端的に「今、ここ」においては非在の「他者」として提示することにより、 「今、ここ」での音高分析の結果の変換の再現作業としての演奏行為と聴取行為を(自分の体験したことのない 絶対的な)過去の記憶の継承とするのではなかろうか。

これは頭で考えた類推の結果というよりは、寧ろ、聴体験の質による連想作用の産物であると いうべきなのだが、過去の記憶を継承する自動機械と人間の合奏という点では、 寧ろこの作品に直接繋がるのは、自動演奏機械の再生する過去の記録への応答という 儀礼の装いを持つ「ひとのきえさり」なのではないかという気がしてならない。

「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」は、一見そうは見えなくても、同時期に書かれた他の 作品と同様に、やはり人と機械の相互作用に着目した音楽であり、ただしその相互作用は、 後の作品においてのように、演奏の場においては機械に人が引き込まれるという方向に 限定されたものであって、強いて言えば、この作品を取り上げて(再び)演奏しようとする というメタのレベルにおいて、人間の側からの働きかけが見出されるようなタイプの作品なのだ。 そしてそういう意味合いにおいて、確かにこの作品は、とりわけ逆シミュレーション音楽以降の、 一見すると人間の自律性を否定しているかにさえ見えた(その端的な現われは「ゴールデン・ニカ」の両義性に満ちた講評で確認することができる)が、例えば「ひとのきえさり」等の近作においては最早そうではないことが明らかになっている探求の遠い先駆けと見なすことが できるように思えるのである。

更に言えば、例えばこの作品の演奏の録音を更に(多分、エンドレスで)聴く時、 その外側では一体何が起きるのだろう?と問うことができるのではなかろうか。だがしかし、それはまさにこれまでCDによって何度となく してきたことの筈ではなかったか?にも関わらず、今回の再演に立ち会うことで、そうした聴行為の 意味合いはその様相を全く変えてしまったように思われる。しかもその反応は恐らくは 不可逆的なものなのだ。それは単なる受容ではなく、この作品の演奏の録音をラジカセで (多分、エンドレスで)再生しつつ、更にそれを分析、変換してそれを演奏する、 という自己再帰的な構造・自己複製的なプロセスに寧ろ繋がっていくものではなかろうか。

そうして考えてみると、他ならぬこの作品にとって「再演」というものが持つ ユニークな意味が浮かび上がってくる。ことこの曲について言えば、他の曲にも勝って、 CDで演奏記録を聴くことと実演に接することとの差異は本質的なものであり、 「ラジカセ」に、意図してか、意図せずかを問わず引き込まれてゆくプロセスを 奏者とともに聴き手が共有することが求められているのだ。

そして「ひとのきえさり」がそうであるのと同様、この作品におけるアトラクタとしての 「ラジカセ」への引き込みは、機械に対する人間の自律性の喪失などではないのでなかろうか。 いつでも「ラジカセ」は止めることができるのだし(もしかしたら、うっかり自動再生の ボタンを押し忘れて演奏を始めてしまうという事態だって考えられるが)、 「ラジカセ」はここでは、「再現芸術における幽霊、またはラジオとマルチチャンネル・ スピーカーシステムのための、新しい時代」とは逆に、「ひとのきえさり」の Singing Machineがそうであるように、過去の人間の祈りの記憶そのものなのであり、 スティグレールの第三次過去把持が明らかにするように、進化の盲目の詭計によって 有限の生命に閉じ込められた人間の、無限を目がけての自己超越のための媒体なのだから。


超越的なものへのまなざしが形骸化して、 廃墟と化しているかも知れない形式を必ずしも纏わずに(或る時には、 その不可能性の証言とともに)、ある種の祈りが遂行されること。 一見したところ、それが私の「今・ここ」、即ち普段生きている世界からかけ離れているようでいて、 どこかで奇妙な仕方で繋がっていることを確認すること。 自分がそれに立ち会うことで、そのことの困難と危険のいずれをも感じつつ 自分もまたそこに「引き込まれ」ること。 勿論「コンサート」という制度はそうした契機を保証などしないし、 今日の「音楽」もまたそうであって、それを批判することなど無意味な事ではあるが、 にも関わらずそうした契機を欠いた「コンサート」や「音楽」は、 それが別の観点からすれば高い価値を有するものでありうるだろうことを 認めた上で、残念ながら私にとっては疎遠なものという他ない。

一方でこれは、私にとっては別の「巡礼」のサイクルの一つ、 それを欠けば後でそのことを必ずや惜しむことになるに違いない 一つであったに違いない。私個人の聴取の姿勢というのは、 最早対象を問わず、ある種の「巡礼」でしかない。否、それは 聴取に限らず、何某かそこに意義があるとしたら、その意義は、 その行為が「巡礼」であることに帰着するように感じられる。 それは能や狂言の上演かも知れないし、西欧のクラシック音楽に属する 作品の上演かも知れないが、それだけではなく、もっと日常に近い ものでもありうるだろう。例えば今回のコンサートの行われたホールの ある場所は、北村透谷にゆかりのある聖ヶ丘教会のすぐ近くで、 私個人としては、そちらの「巡礼」ルートの近傍であることを 意識せざるを得なかった。それゆえ、この記録は全く私的な性質の 「巡礼記」でしかないけれど、そうした経験、記述することの困難な 経験をこの日のコンサートですることができたという事実の証言には 何某かの意義があることを願いつつ、この文章を閉じることにしたい。

(2016.2.9初稿公開, 2.11加筆修正, 2024.10.4 noteにて公開)

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